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OMサポから見た酒井宏樹という男

 酒井宏樹の浦和レッズ退団に寄せて、マルセイユサポーターから見た酒井宏樹という男について少し語る時が来たと思いました。彼の去り際は彼にしかできないものでしょう。儚くてあっさりしたもので、マルセイユの時もそうでしたがついに浦和の時も同じような去り方をしてしまいました。各方面から色んな意見がこだましていますが、マルセイユの時から彼を見ているサポの端くれの私からするとこれが彼なりの最大限の敬意であると言えます。キャプテンマークを背負って途中退団は色々言われても仕方ないのは当然ですが、こんな意見もあるんだと思って読んでいただきたいです。

マルセイユと浦和に愛された男

 なぜ酒井という男がマルセイユでも浦和でも愛されるのか時々考えます。その愛され方は他の選手とは何かが違うような気もします。外から見た時、彼は端的に言えばキャプテンとしてはやや淡白な選手に見えます。あまり言葉が多くなくて前に出るタイプでもないので、キャプテンマークを背負っていてもあまり絶対的な存在感を彼から出さないまでありました。出せなかったのかもしれません。彼の控えめな性格もありますが、もっとも彼が浦和に来た時点で酒井の体はボロボロで、J1における絶対的存在としての賞味期限はあまりにも短かったことは宏樹をよく見ている浦和サポなら分かっていたと思います。それでも酒井が愛されたのはその献身自己犠牲がクラブをアジアタイトルに導きチームの戦う姿勢を示し続けたからでしょう。言葉で取り繕うことをせず、ピッチ上で自分のやるべきことをやる彼なりの「本当の愛」にサポーターは気づいていたはずです。

 マルセイユ時代は、輝かしい活躍を残すアタッカーを押し退けてサポーターの選ぶ年間最優秀選手に選ばれたことがあります。フランスではチームのために死力を尽くして戦うことを「ユニフォームを濡らす」という言葉で形容し賞賛します。彼を讃えるのにこれより適当な言葉はありません。浦和でもその生き方を貫き、それが満足に果たせないのであれば移籍金を残す去り方を彼は選びました。マルセイユ退団の時と全く同じです。自分のプライドを守りながらもクラブのために最後まで責任を取る彼なりの生き様なんだろうと思います。

酒井が見せた自己犠牲の精神

 宏樹はいつもピッチ上で自分の出来ることを100%こなしサポーターを裏切らない男です。ピッチ上では戦う戦士でありながらも、ピッチ外では優しくて言い方は良くないかもしれませんが気の弱そうなギャップがありました。彼は実際自分の内側にある気弱さを自覚していて、それを乗り越えるために自分を捨ててチームのために身を捧げる生き方を選びました。マルセイユに入るまで彼は攻撃的サイドバックとして高速クロスで成り上がってきた人物でした。それが欧州で通じにくいとわかるとそのスタイルを捨てて、恵まれた体躯を生かした身を呈した寄せをストロングポイントに変え、守備的サイドバックとしてマルセイユで名声を得ます。チームの勝利のためなら自分のスタイルを捨てることが出来る選手であると言えます。

 また、彼はマルセイユサポーターの狂気とも言える圧が彼自身を成長させてくれたと振り返ります。自分の背負う責任が重ければ重いほど、それは彼にとって必死に戦う理由に変えられることをその時に学んだのです。浦和サポの皆さんは覚えているか分かりませんが、彼が浦和を選んだ理由は「世界をめざし、サポーターからの圧が最も厳しいから」というコメントを残していました。浦和というアジアに命をかけ日本で最も厳しいサポーターを持つクラブに所属することで、彼自身が逃げ出さないよう追い込み呪いをかける選択をあの時にしていました。2022年にそれを達成し、選択を正解に変えたことは言うまでもないでしょう。

酒井が残したもの

酒井は浦和にアジアタイトルをもたらしました。これ以上のことはそうそうありません。そしてタイトルと同じくらい酒井はその生き様から私たちに大切なものを残してくれる存在ではないでしょうか。

 彼の自己犠牲の精神は、時に彼自身が最高のパフォーマンスを出すための手段であるように感じます。でも、実際はそれで良くて他人のために自分を犠牲にし、やるべき事をやれば巡り巡って自分のキャリアを豊かにすることと人を喜ばせることができるを彼自身が証明して見せました。この生き方から私たちが学べることは大いにあります。フットボールを見る時、結果だけでなくそのような視点で彼を見るとまた違う見え方が出来るかもしれません。彼の退団に際して、彼の生き様に少し思いを馳せてみて、人生の手本にしてみるのも悪くはないです。

結び

 マルセイユ時代から彼に魅了されている私として彼が浦和でのキャリアが幸せなものであったことを本当に嬉しく思います。浦和サポの皆さんも酒井を大切にしてくれてありがとうございました。
 まだまだ言いたいことが多いのですが、それは彼が引退した時のために取っておきます。最後に、自分の弱さに打ち勝つ為に自己犠牲を厭わない彼を、一緒にもう少し見守り続けてみませんか。

暑苦しい文章になりましたが、以上。

OM時代も大陸カップ戦で重要な働きをしていて、かれのバースデーゴールがマルセイユを決勝に導きました。決勝は勝てなかったけど。

P.S なんでオセアニアのクラブを選んだんだという意見があります。これはあくまで推測なのですが、浦和とはACLであっても当たりたくないと思っている気がします。マルセイユを退団した時、マルセイユとは絶対当たらないクラブに移籍したいという意向が強かったので前所属のクラブから大陸を変えた経緯がありました。


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