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いつかすべての高校生・大学生たちに。始まりの話、その4。なぜ高大生なのか。
2018年当時、高校1年生だった学生たちは高校3年生になって、もう丸2年の付き合いになります。
すごく嬉しかったのは、ことし高校3年生になったから生徒から大学の推薦書をお願いされたことです。推薦書はだいたい学校の先生に書いてもらうことが多く、だからこそ依頼されたことにはすごく責任を感じましたし、推薦書を書くのは大変でした。でも、単純にそういう関係になれたことも嬉しかったのです。
「第3の大人」は最初から考えていたイメージで、親でもない先生でもない立場だから話せることがあるはずです。実際、ここでしか話せないことを話している、という感想は多い。そして、もちろん本人の希望があればですが、いちおう学生のあいだは1on1 collegeを続けられるので、あと4年間、ここからさらに関係が続くことを思うとすごく楽しみです。
最近知ったことですが、「Education(エジュケーション)」の訳について、福沢諭吉は「教育」ではなく、発育だかなにか違う言葉にしたかったようなのです。
教育という言葉は「教える」。つまり「teach」だから主語が先生にあります。だけれども、やる気がなければ学びにならないように、教育は「教える」ものではなく「学ぶ」ものです。主語は学生側にある。1on1 collegeの方針は、基本的にはアドバイスはせずに聞いて問うプログラムです。考えること、行動すること、決めること、すべて本人がやることで、僕はあくまで後方支援。
従来の「教育」は「学び」に変えていくべきで、1on1 collegeはあくまで学びを促すプログラムでありたいのです。
学生時代にしかない葛藤
いまコーチングがブームになってきていて、社会人のほうがよりコーチングのニーズはあるかもしれませんが、やっぱり僕は学生と一緒にやりたい。
僕がこの年代を好きな理由のひとつは尋常じゃない向上心とその可能性です。彼らは、いま自分の持っている悩みや課題を解決したい、もっと成長したいと高みを目指しています。社会人のコーチングは、1つの課題が克服されたらそれで終わることも多い一方で、学生たちのの意欲が1〜2年では終わらないことも素晴らしい。その熱を何年も何年も温め続けた人たちが勢いのまま社会に飛び出していくことが一社会人として楽しみだし、彼らはきっといつか社会にインパクトを残す人になります。 彼ら彼女らからつくられる社会や未来はきっとよくなっていくと思えるのです。
大人には描きづらくなってしまった荒唐無稽な野望だったり大きな葛藤が彼らにはまだあります。遠い国の誰かのことに胸を痛めたり、自分が何者でもないかもしれないことに漠然と絶望する時期にいます。なぜ世界は平和にならないのか、なぜ日本は経済的に出遅れてしまったのか、なぜ日本にはこれだけ自殺者が多いのか、どうしたら自分にしかできないことができるのか。
その感情的な強さは社会人にはあまりないものです。そういう葛藤に折り合いをつけ、妥協し、手に届く範囲で目標を小さくしていくことが大人になるということでもあります。
しかし、高校生や大学生のうちに荒唐無稽な野望や大きな葛藤に対して挑んでいかなかった人は、大人になってからも挑むことはありません。僕はどんなに荒唐無稽でも信じるし、そのためにできることを一緒に考えるし、その感情の強さに応えていきたい。重要なのは本人が本当にそう思っているか。それをやりたい、それを考えたい、少しでもそれに貢献したいという興味関心。
すべての学生に対して、夢や野望や葛藤や複雑な思いもすべて、なにも諦めなくていい。そう考えています。
(続く)
※これは、高校生・大学生のパーソナルメンター「1on1 college」がどうやって生まれたか、インタビューしてもらった内容を文字におこしたものです。