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ブータン旅行記① ワンワン天国

海外旅行が難しいときは、旅行記を読んで旅の気分を味わうのもいい。
そう思って、ふと、ブータンを2019年夏に一人旅したときの旅行記を読んでみた。すると、すごく楽しくて夜もなかなか寝つけないほどになった。こんな気分は久しぶりだ。誰に読んでもらうでもなく書いたものだけど、旅行記というのもなかなかいいものではないか。

この旅行記を読んで、ひとときの旅行気分を味わってもらえれば幸いだ。実際にブータンを旅したあと、5ヶ月ほどかけて書き終わるのが惜しいくらい楽しんで書いたものなので、分量もそれなりにある。5回にわけてお届けするのだけど、第1〜4回が1万文字ほどで第5回が5千文字ほど。全部で、4万5千文字くらい。各回読むのに10〜20分ほどかかるかもしれない。だから、実際に旅行にいく気持ちで、のんびりと読んでもらえればと思う。

■ブータンに行くための準備

 何となくブータンという国が前から気になっていた。いつか行きたないと思いつつ、行くなら今しかないと決心し、準備を始めた。準備を始めて知ったのが、公定料金という謎の存在。ブータンには、ブータン政府が認可した旅行会社に手配してもらわないと入国ができない。つまり、個人手配ではブータンに入国できないということ。
 この公定料金には英語ガイド、車と運転手、スタンダードホテル、食事の代金が含まれている。公定料金は、1人で行く場合には1日2万5千~3万円となかなかいいお値段(1ドル104円で計算)。閑散期は1日2万5千円、繁忙期は1日3万円かかる。私が行くのは閑散期だが、8泊するからそれだけで約21万円。それとは別にビザや航空券代等で18万円くらい必要。つまり、どれだけ費用を抑えても40万円。
 さらに、4つ星ホテル以上に泊まる場合は追加料金が必要だ。また、日本語ガイドを頼む場合は1日追加で5千円かかる。今回はブータンについて突っ込んだ質問をしたいので日本語ガイドを頼む。そんなこんなで私の場合、50万円ほどの費用がかかった。他のアジアの国を旅するのと比べると2倍近くかかる。

 外国人は基本的にガイドと一緒に、あらかじめ決められた旅程表をもとに行動する必要がある。なので、旅行中の制限がけっこう多い。
 とにかく、この利権のにおいがプンプンする公定料金のおかげで、どこかの誰かがボロ儲けしていることは確かである。ブータン旅行はこの公定料金と飛行機の直通便がないせいでお金がかかる。ブータンの旅はお財布にはやさしくないのだ。また、一人旅をしようとすると、複数人で行くのと比べて公定料金が1日千円〜4千円余計にかかる。いわゆるボッチ税というやつだ。ただしこのような障害も好奇心の前には無力なのだ。
 今回は深夜に日本を出発、8泊9日でブータンに滞在し、翌早朝に日本へ帰国というスケジュールで行く。

 旅行の手配は、ブータンの日本人向け現地旅行会社「ドゥルック・サクラ・ツアーズ」を通して申し込んだ。ブータン関連の旅行会社のWebページをいろいろ見たが、この会社のWebページが一番しっかりしていて充実していた。一見の価値あり。
 やりとりの相手は佐藤さんという日本人女性で、現地のブータン人男性(この会社の社長)と結婚して現地に住んでいる。この佐藤さんはブータン界ではかなり有名人らしい。そして休日に問い合わせてもすぐに返事をくれる。だから、こちらはとても安心できる。せっかくブータンに住んでいるのにそこまで働かなくても、と思ってしまうのは余計なお節介というもの。何にせよ、やりとりを通じて何の不満もなく、もう一度ブータンに行くことになったとしても、またこの会社にお願いするだろう。

 旅のルートとしては、ブータンの西のパロ空港から、下記図の赤線のルートを東へ進み古都ジャカールまで行き、またパロまで戻ってくるルートを辿る。

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■ブータン基本情報

面積:スイスや日本の九州と同じくらい
人口:80万人ほど
首都:ティンプー。ブータンの西にある。超建設ラッシュ中
王族:国民は王族大好き。町の中、家の中、至る所に国王夫妻の写真がある
宗教:チベット仏教。国中、このチベット仏教が人々の生活に根付いている
言語:公用語はゾンカ語と英語。ゾンカ語はブータンの西で話される言葉。西と東では言葉が異なり、お互い全く通じない

自然:見渡す限り山。南の低地(100m)から北の高地(7,500m)までかなりの高低差がある。ティンプーを含む主な都市はだいたい高度2,000m以上で国の真ん中にある。北は寒すぎ、南は暑すぎるからだろう

交通:移動は自動車。バイクや自転車はほとんど普及していない。近くの都市に移動する際は山の合間を縫って移動するため、時間がかかる。まっすぐな道がほとんどない。ひらすら曲がりくねった道を進む。日本だと2時間で行けるところをブータンだと2日はかかる。主要道路から一本中に入ると、未舗装道路のことが多い

旅行者:2018年の日本人旅行者は2,674人、外国人旅行者全体では27.5万人(『BHUTAN TOURISM MONITOR 2018』より)

ブータンと関わりが深い日本人
多田等観:1913年に仏教修行でチベットのラサに行くため日本人として初めてブータンに入国し1ヶ月かけて横断。もちろん非公式入国
中尾佐助:1958年にブータン政府から招かれ日本人として初の公式訪問。植物学者
西岡京治:1964年から28年間ブータンの農業の発展に大きく貢献。その貢献を讃えられ、ブータン政府からダショー(政府高級官僚)の位を授けられる。ブータンでも有名な方

さあ、ブータン旅行に出発しよう。

■1日目羽田~バンコク~空の玄関パロ~首都ティンプー

 ブータンのパロ空港へは、羽田発・バンコク経由で向かう。羽田は深夜便の出発。出発直前まで、第二次大戦中チベットへスパイとして潜入していた西川一三の『秘境西域八年の潜行』を読むのに夢中で、あっという間に搭乗時間になる。飛行機に搭乗したら、すぐに枕を装着し、睡眠モード。気づけば、バンコクに到着。午前4時半前。ブータンへの出発は13時過ぎだから、8時間近く待ち時間がある。急ぐ必要もないのでゆっくりトランジットへ進み手続きを終える。
 そのあとはベンチで眠ったり本を読んだりして過ごし、12時ごろにチェックインしようと、ゲートの受付に行く。ここで一悶着あったのだけど、それは最終回で。チェックインを終え、飛行機には無事に搭乗。こぢんまりとした飛行機だが、これくらいシンプルの方が自分は好きだな。人もそれほど多くない。搭乗率50%もないのではないか。窓側の席でさえ、ちらほら空いていたくらいだ。やはりこのシーズンは観光客が少ないのだろう。だとすれば、もう少し飛行機代を下げてもようさそうなものだが。この路線を運行しているのは2社しかないから、競争原理が働かないのだ。両社とも狙ったように全く同じ価格で運行している。怪しいにおいがするが、まあいいや。
 乗客はお坊さんや、何やら偉そうな方々も乗っている様子。お坊さんはビジネスクラスに乗っているが、これはお坊さん特典なのだろうか。

 離陸し、しばらくは空からの眺めを楽しむ。下は雲が広がる。次第に雲が濃くなる。さすが雨季だけのことはある。
 2時間ほど後、パロ空港に近づく。予想通り、あいにく雨期で視界は悪く、ヒマラヤ山脈は見えない。天気がいいときはヒマラヤ山脈の絶景が見えるという。
 高度を下げていくと、雲間にブータンの山々が見えてくる。というか山しかない。平地なんてものは見えない。そして谷の中腹にぽつりぽつりと村があるのが見える。そこで、さっそく興味深い風景を見た。
 山とその谷間がずっと続いているのだが、谷の真上には雲がないのだ。これは山の斜面にそって吹き上げる山谷風が、谷の上空の雲を散らしているためだ。尾根の形に沿って雲が形作られている。ブータンの本にも書いてあった。さっそく本で読んでいたことが目の前で起こっており感動。

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山谷風の影響で谷の上空には雲がない

 そして左手前方にパロの空港が見えてくる。山の谷間をぬいながら着陸する必要があるため、パロ空港への着陸は世界屈指の高難度。パイロットの中でも専用のライセンスがないとパロ空港へは着陸できないという。
 着陸前の最後のアプローチ。山の斜面ぎりぎりをかすめて飛行。目の前数十メートルに山が迫っている。この山、最近斜面に植林しているようだけど、十数年後に木が高くなったときに、飛行機に引っかからないよね? そんな余計な心配をしているうちに着陸。

 飛行機から降りて、空港の施設に入る。こぢんまりとしており、すぐ入国手続きのカウンターがある。何かゆるい感じ。いいね、このゆるさ。他国と違って全然堅苦しくない。入国手続きを終え、手荷物を受け取りに向かう。向かうといっても10メートルくらい先。
 手荷物を待っていると、Apple社のiMacの箱が流れてくる。ブータンにiMacって、なんか意外だなと思いつつ眺めていると、何とお坊さんがそのiMacを取り上げるではないか。意外すぎて思わず凝視。なるほど、悟りに到達するにはiMacがいるというわけか。仏教の真理の知られざる一面を発見し満足しているところへ自分の荷物が流れてくる。

 さて、荷物も受け取ったことだし、両替してから空港を出るか、と思い両替屋を探すが見当たらない。そういえば、入国カウンターの手前にはあったけど、もしかして、入国手続き後は両替できないの?と思い少し焦る。
 念の為、空港の女性職員の方に聞いてみる。予想通り、入国カウンターの前にしか両替屋はないようだ。でも、何と入国カウンターの横を通って行ってもいいとのこと。その発想はなかった。彼女の言うに従い、カウンター横をどきどきしながら通り過ぎて、(何も言われなかった)、両替を行い、またカウンターの横を通り過ぎる。これなら入国手続きをしなくても入れそうだな。職員さんにお礼を言いつつ建物を出る。

 出るとすぐ、私の名前を書いたカードを掲げるブータン人の男性が立っていた。彼がガイドか。彼に車まで案内され、車に乗り込んで出発。
 ガイドさんとドライバーさんは2人とも男性で、20代後半といったところ。この2人と最終日まで行動をともにする。さっそく首都ティンプーに向かう。
 途中でペットボトルの水を調達してくれる。水代は公定料金に含まれ、1日1本配られる仕組みになっている。待っている間、家々を眺める。さっそくマニ車を発見。なるほど、あれが回すと功徳がたまるというマニ車か。パシャり。

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家の壁に埋まっているマニ車

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 本当にブータンに来たんだな、と思っているとガイドさんが戻ってくる。そして、お口リフレッシュと称して、なにやら怪しげな包みを渡される。中には草らしきものと赤い玉。味はそれほど抵抗がなかった。もしかして、インスタントのドマか? 
 ドマというのはブータンの嗜好品で、ガムのように口の中で噛むもの。具体的には、ビンロウヤシの実と石灰をキンマの葉でくるみ口の中に入れて噛む。これを噛むと口の中が真っ赤になる。旅の途中、口の中が真っ赤なブータンの人に度々出会った。口の中が真っ赤なせいで、過去ブータン人は他国の人から食人種だと思われていたこともある。確かに、何も知らずに口の中が真っ赤な人に出会うと怖いだろう。

 気を取り直して出発。驚いたことに、パロからティンプーまでの道路はとても綺麗だった。日本の路面と比べても、遜色ないレベル。どんな悪路かと思ったので拍子抜けだった。1958年、初めて公式にブータンを訪れた中尾佐助が馬を使いティンプーまで行ったのと比べると何と発展したことか。
 ただし、道路は山の斜面を削って作っている。日本なら当然削った山の斜面に対してがけ崩れ防止のための工事がしてあるが、ブータンにはそれがない。山肌がむき出して、いつがけ崩れが起きてもおかしくはない。雨期にはがけ崩れでたびたび通行止めになると聞いていたが、そうなるわけだ。がけ崩れを起こさない方がおかしい。かなり切り立った所に道路を作っている個所もあるので、そういったところではがけ崩れが起きるのは当然だ。

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ティンプーに向かう道路。斜面からは今にも石が落ちてきそう

 ティンプーまでは、ひたすら谷間を進んでいく。日本では見慣れぬ風景に目が釘付け。1時間弱でティンプーの街に入る。目につくのは建築工事の多さ。3件に1件工事中の都市。ティンプーは今建設ラッシュと聞いていたが、目の当たりにしてそれをしみじみ実感した。竹で足組を作り、建物を支えている。これらの竹はブータンの南から採ってくるものらしい。家を建てて建てまくっている。空き地があれば建てている。

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建築中の建物。足場、斜めになってますけど。。。

 16時45分頃、ホテルに到着。荷ほどきをして、ガイドさんとドライバーさんと夕食に行く。以下、夕食をしてホテルで過ごしながら徒然感じたこと。

・えっとね、とりあえず辛いです
 ブータン料理は世界一辛い、ブータン人は辛い物好き、と聞いていた。が、本当に何にでも唐辛子をかけて食べている。ドライバーさんが焼きそばにまで唐辛子をかけていて、そんなんあり?ってなる。
 スープにも唐辛子。スープ単体だと味がしない。唐辛子を入れることが前提の味となっている。つまり、味なんてあろうがなかろうがどうでもいい。だから、全体的に(唐辛子なしで食べると)味が薄い、というかない。仕方がないので塩で味付けをする。
 なお、夕食ではビールを頼んだが、いたって普通の、特においしいとも思えないビールだった。しかしこの認識は2日後に覆るのだけど。

・インドの影響
 夕食中、テレビには、インドの歌手が歌って踊っている番組が写っている。テレビのチャンネルの多くがインドの番組だという。インド文化がブータンに大きな影響を与えている。
 ブータンの昔の主な貿易相手はチベットだったが、1950年頃に中国がチベットを併合し、ブータンまでも併合されるかという事態に至った。その結果、ブータンはチベットや中国との接触を避け、以後急速にインドとの関係を築いていった。
 その結果、経済的にも、文化的にもインドとの結びつきが強くなっている。インドからの労働者もたくさん来ている。特に、建設関係の仕事はほぼインド人が行なっている。
 そういえば、翌日民族博物館に行ったときも、ブータンの学生と思われる人達がインドのダンスを踊り、観光客のインド人たちが喜んで一緒に踊っていたし。

 インド人は、区分としてはRegional Visitorsと呼ばれ、他にバングラデシュとモルディブがそれに当たる。それ以外の国の人は、International Visitorsと呼ばれる。
 Regional Visitorsであるインド人は、通訳を付けずに自由にブータン内を旅行できるという。ここで生まれて初めてインド人いいなあ、と思ったことはちょっとした秘密である。が、これを見ても、ブータンにとってインドは「特別」な国であることがわかる。さらに、20~30年前までは、ブータンに入国するのにインド政府の許可がいるくらいだったことからもインドの影響力の強さが分かる。

・ブータンにやってくる日本人について
 日本から来る人は、先生や看護師の方が多いらしい。若い人は3~4泊で来ることが多く、1週間以上滞在する人のほとんどは年配の方だという。さもありなん。今回自分は8泊するので、比較的長い方。だから、今回ガイドさんも、どんな年配の人が来るのだろうと空港で待っていたら、意外にも若い人が出てきて驚いたとのこと。思わず笑ってしまった。今の時代、日本人よ大志を抱け、ではなく、日本人よ休暇を取れ、というのがふさわしいか。

 ブータン政府の観光についての報告書「BHUTAN TOURISM MONITOR 2018」によると、欧米の人たちは8泊が平均なので、自分もそれと同じくらい。スイスからの観光客が一番長く滞在し、11泊程度。移動まで含めると、2週間は休暇をとって来ていることになる。1位から、スイス、フランス、オランダ、ドイツ、オーストラリア、カナダと見事に欧米の国が続く。当然のように日本が最下位なのには笑い転げた。
 日本からの客は予想通り、お正月、GW、お盆に集中しているという。この時期は、どこに行っても日本人ばかりだそうだ。日本語通訳の人たちはこの時期大忙しで、通訳の数が足りなくなる。日本人ガイドは現在35人くらいだそうだ。繁忙期には、会社の社長(日本語ができるブータン人の方)自ら通訳を行うという。その際は、自分が社長であることは隠すという。まあ、相手が社長さんだと分かると日本人は気後れしてしまうしね。
 また、統計を見ると特にお盆はひどい。国別観光客数は日本が9位だが、8月だけでみると2位である。だから、お盆にブータンに行くと周りは日本人ばかりだろう。

・隙が多いホテル
 ホテルにチェックイン時、フロントのお姉さんから、シャワーはお湯が出るまで5分かかると言われる。そんなものか。そして実際その通りだった。
 そして従業員が自由である。エレベーターを降り自分の部屋に向かおうとすると、階段の下から女性たちの楽しそうな歌声が聞こえ、ほほえましい。翌朝、朝食をとろうと食堂に向かうと、厨房から男性たちの陽気な歌声が聞こえ、これもまた、ほほえましい。
 公定料金で泊まれるホテルは3つ星ホテル。今回、自分は4つ星ホテルに泊まったが、ホテルの建物やサービスには隙が多い。これで4つ星なら3つ星ホテルってどんな所?と思ってしまう。もちろん、普通のホテルと思えば特に問題はない。
 なお、観光客が少ないシーズンなので、宿泊客は私を含め2組ほどしかいない。普通に赤字だろう。

・ワンワン天国ブータン
 ブータンで最も印象的なことの一つは野良犬の多さだ。いや、多いなんてものじゃない。道を歩けば5メートルごとに犬が寝ているといっても過言ではない。人も歩けば犬に当たるのだ。犬もなれたもので、人が近づいてもたいてい何の反応も示さない。おとなしいものだ。しかしこれは仮初めの姿。騙されてはいけない。奴らの本領は夜にある。

 夜、奴らは活動を開始する。そして吠え始める。そのうるさいことといったら。犬の大合唱が延々と流れ続ける。夕食時、ガイドさんが「夜は犬が元気になって吠えます」と犬の鳴き声について念押しして忠告していて、何でそんなこと言うんだろうと思っていたが、それもうなずける。来る前にインターネットで、あるホテルのレビューを見ている際、犬の鳴き声がうるさいというレビューがいくつかあった。これはそのホテル特有のものではなく、ティンプー市内全域に言えることだったのだ。ティンプーは、昼は人が支配し、夜は犬が支配する都市なのである。そして、夜出歩くなんて、とてもじゃないけど怖くて出来ない。その原因が人間以外にあるというのは面白いけど。

 「夜の街 支配するのは わんこ様」
 「恐ろしや 夜の帝王 わんこ様」

 また、西川一三は『秘境西域八年の潜行』の中で1945年のチベットの首都ラサについて以下のように記述している。「暗闇が漂うころ、早や家々の門はかたく閉され、人ひとり通らない真暗闇となった街は、今度は終夜犬声でなやまされる。乞食の多いせいか、犬までもひょろひょろで痩せこけた野良犬が多い。これもラサの特徴で、それが夜になると、「何と犬の多い街だろう」と呆れるほど、「一犬吠えて万犬吠ゆ」のたとえ、彼らの鳴き声で一夜が明けるのである。ラサ第一夜の印象は、この物凄い犬の鳴き声。この鳴き声は今なお忘れることのできない強い印象となっているのである。 」

 なんとまあ、ブータンと同じ印象を受けることか。ティンプー第一夜の印象は、この物凄い犬の鳴き声。おっと感想が完全に被ってしまった。でも、そうなのだ。しかもティンプーの場合、山に囲まれているため、犬の鳴き声が山に反響し、やまびことなって余計にやかましい。山の音響効果は抜群で、犬のコンサートホールと化している。この日は「ワンワン行進曲」「ワンワンのために」「G線上のワンワン」などが演奏されていた。

 「ワンワンと 夜通し続く コンサート」

 ちなみに、ティンプーと昔のチベットのラサの状況が似ているのは偶然ではない。そこには両者に共通するあることが関わっていると推測。けど長くなるので話すのは最終回で。

 ブータン人は犬の鳴き声に慣れているから平気というが、その神経の太さには驚嘆するばかりだ。ブータンは幸せの国というが、正確には、犬が幸せの国といった方が正確である。今後、この国のことは、ワンワン天国と呼ぼう。唐辛子と犬。この2つでブータンの50%は説明できる。
 とはいうものの、1日目は夜行便で来ていたため、疲れもあって8時間半ほど眠る。

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ホテルの部屋から下を見ると・・・、いる!



最後まで読んで頂きありがとうございます。 槍が降ろうが隕石が降ろうが、もっとよい記事をコツコツ書いていくので、また来てくださいね。