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ブータン旅行記⑤ 最終回パスポートの次に必要なもの

前回までで、ブータンの地をめぐる旅は一段落となる。
これ以降は、ブータンの旅を終えて、旅行中に失敗したこと、持っていくべきだったと後悔したもの、旅から見えたブータンの生存戦略やブータン滅亡までのシナリオ、ブータンについての一般的な意見と異なることなど、私が考えたことをお伝えしたい。ついでに、旅を通してどこで一番幸せを感じたかも。

失敗したこと①乗り継ぎ

 行きのできごと。羽田からバンコクに到着したのは午前4時半前。ブータンへの出発は13時過ぎだから、8時間近く待ち時間がある。急ぐ必要もないのでゆっくりトランジットの手続きを終える。そのあとはベンチで眠ったり本を読んだりして過ごし、12時ごろにチェックインしようと、ゲートの受付に行く。

 さあ、ここで問題の発生だ。事前にWebチェックインしたので、Webチェックインした際のEチケットを渡せばいいと思っていたが、受付のお姉さんが搭乗チケットは?と言う。え、Eチケットじゃないの? ここで搭乗チケットをもらうと思っていたけど、もしかして何かやらかした? 職員が複数集まってきて、何か話し合っている。そしてどこかへ電話をかけている。ドキドキ。
 どうやら、チェックインカウンターというところで、チェックインをしなければならないとのこと。あれ? 過去に乗り継ぎで行った際にはそんなことした記憶がなかったけど。ど忘れしたか。とにかく、急いでチェックインカウンターに行けとのこと。仕方がないので案内に従い、チェックインカウンターのサインが出ている方向へ向かう。

 でも、全くそんなものがある気配がない。え、この方向であってるよねと、ウロウロする。出発時間が迫る。ええい、行くしかないと先に進む。かなり進んだところで、チェックインカウンターまで残り500mくらいという看板を見つける。なんと、方向が間違っていたのではなく、ただ単にもの凄く遠かっただけだった。にしても遠い。ようやく辿り着く。出発40分前。確か1時間前までにチェックインが必要とか書いてあったから、もしかして…と不安になったが、無事にチェックインを済ませる。
 ここから元来た道を戻る。超早歩き時々小走りで戻る。そして、出発20分前にゲートにたどり着き、手続きを済ませる。何とか間に合った。汗だくである。

 iPhoneの記録を見ると、この間、ちょうど2キロ走り回っていたようだ。チェックインカウンターまでちょうど1キロ。どんだけ遠いねん。そりゃあ、焦るのもわかるわ。どんだけ行っても見当たらないんだもん。
 後から分かったが、今回、羽田~バンコク間は自分で予約し、バンコク~パロ間は旅行代理店の人に予約してもらった。この場合、乗り継ぎの空港でチェックインして乗り継ぎ便の航空券を発券してもらわないとダメなようだ。まったく無知とは恐ろしい。

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失敗したこと②両替

 帰国の際、失敗したことがあった。それは余ったブータンの通貨(ニュルタム)を両替できなかったこと。出発の方のターミナルには両替屋はなかった。バンコクに着いてから両替屋に聞いてみたが、やはり両替できないといわれた。
 通貨が弱い国を旅行する際は、国を出る前に両替をする。さらに、どこで両替が出来るかを予め確認しておく。もしくは、少な目に両替をして足りなくなったら、再度両替をする、というようにしておくのがよい。しかし、そう考えると、どこの空港でも両替できる通貨というのはやはり国の力が強いということなのだとわかる。弱い国の通貨は、そもそも需要がないし、不安定なので、両替する価値もないということなのだろう。
 そう考えると、日本の通貨がたいてい国で両替できるのは、やはり日本という国が周りの国々から経済的な意味で強いと思われているからだ。


ブータンではなぜ工業の発展が難しいか

 ブータンをめぐって気づいたが、ブータンにはそもそも大きな工場を建てられるだけの土地がない。だから、工業国になろうというのは無理な話なのだ。
 また、ブータンはそもそも道路を使った輸送には向いていないのではないか? トンネルを掘るというのも、お金と高低差を考えると現実的ではない。ブータンが固定電話を飛び越えて無線電話に移行したように、道路での流通を飛び越えて、空での流通を発達させるのがよいのではないか。

 ブータンは今後いかに空輸を発達させるかが重要になってくると思う。そういう意味で、自分ならドローンや空輸に関わる企業に国外から来てもらい、いろいろ実験してもらうだろう。

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ブータンの生存戦略

 ブータンは文化と自然を大事にしているという特徴ある国だが、これはいろいろなものから選んでそうしたのではなく、ブータンには文化と自然しかないからそうするしかなかったというのが本当の所ではないか。
 これは良し悪しだと思う。選択肢が他にないという意味で悪いという意味だし、長所に特化して研ぎ澄ませられるという意味で良いという意味だ。自分がブータン人でもこの選択をすると思う。

 ブータンは小さな国だが、その意味ではブータンはスイスを手本にしているのかもしれない。ブータンはスイスとほぼ同じ面積で、気候も似ている地域があるということからスイス人による農業の技術協力を受け入れている。ジャカールのチーズやビールなどがいい例。
 今度はスイスをまわるのもいいかもしれない。そうしてブータンと比較をして見るのもいいかも。比較をして、小さな国が生き残るための戦略とは?を考えてみるのだ。スイスは金融だった。エストニアはITだ。小さい国の方が一つのことに集中できるという強みがある。ブータンやスイスと同じかそれ以下の小さな国がどのような戦略を採っているのかを調べてみるのも面白い。

 さらに言うと、ブータンとダライ・ラマがとっている生存戦略は似ている。どちらも世界中の人々に興味・関心を持ってもらい、自分を好きになってもらうことで、周りの大国から身を守ろうとしている。
 私たちがダライ・ラマを好きになるということは、チベット問題について中国に反対するということであり、私たちがブータンを好きになるということは、ブータンが有事の際にインド・中国に反対するということである。

 ともあれ、この次はスイスに行こうかという考えは、ブータンに行く前は全く思い浮かばなかった。実際に行動するとはやはり面白いものだ。事前に考えていたことが変わり、予期せぬ方向に行ったりするから。


ブータン滅亡のシナリオ

 ブータンの野良犬の多さを見ていると、野良犬が将来、ブータン滅亡に関わってくるのではないかと想像してしまう。

 まず、ブータンの野良犬の将来については、あまり明るくない未来が待っていそうだ。これ以上野良犬が増えてくると、人の生活にも影響が出るようになり、彼らを殺処分しないといけない状況になる可能性が高い。
 野良犬たちを殺処分せずに済む方法は、彼らすべてに避妊手術を施すことだ。と思って帰国後調べてみると、ブータン政府も同じような危機感をもって、野良犬に避妊手術を施すプロジェクトを行ったらしい。だが、ここまで数が増えると漏れもかなり出てくるだろから、この手段にも限界がある。ド・チュラ峠やタクツァン僧院のような高地・僻地にわんさかいる野良犬にまで手が回るとはとても思えない。

 すると残る最後の手段は、「外国人」へ犬の殺処分を依頼することだ。その外国人とは十中八九インド人になるだろう。そうなると、野良犬たちがトラックに満載され、次々とインドへパージされる光景が目に浮かんでくる。
 懸念点は、この対応がブータンとインドの両国民に及ぼす影響である。ブータンでは殺生を嫌っているので、犬を殺処分するインド人をブータン国民は(筋違いとはいえ)恨むのではないか。すると、ブータン国内にいるインド人たちへの差別がさらに深まってしまうのではないか。ブータンでインド人が公然と差別されることほどブータンを危険に晒すものはない。
 インド政府はあたりまえのように自国民保護を名目にブータンに介入することができる。それをしない政府など想像もできないくらいだ。そうしたらその先に待っているのはインドによるブータン併合である。何か野良犬問題からインドによるブータン併合と、話が恐ろしい方向に進んでしまった。

 これのシナリオはぜひ外れてほしいけど、たかが野良犬、されど野良犬である。昔何かの漫画でみた「ここはワンワンの呪い」が現実にはならないでほしいものだ。

 そもそも、ブータンはチベット仏教が盛んで、基本的に殺生をしない国であり、生き物にやさしい国だと言われている。でも、ブータンの野良犬の状況は、そのやさしさが引き起こしてしまったもの。
 ガイドさん曰く、ブータンの人は生き物を大事にするから、野良犬に余った食べ物を与えているということ。それが野良犬を増加させる要因にもなっている。日本でもそうだけど、野生動物に人間が餌を与えると、ろくなことにはならない。

 つまり、やさしさは行き過ぎると無責任になってしまうということ。やさしさと無責任は表裏一体。これは、ソーシャルビジネスと貧困ビジネスが表裏一体なのと同じ。愛情と憎しみが表裏一体なのと同じ。気をつけないと、やさしさのつもりが無責任になり、困っている人の役に立つソーシャルビジネスのつもりが彼らを食い物にする貧困ビジネスになったり、愛情を注いでいるつもりが何かのきっかけで憎しみになったりするのだ。
 これらはいきなりそうなるのではなく、自己正当化などを繰り返して徐々にそうなるから自分では気づけない。茹でガエルと同じ。熱くもなく冷たくもないグレーの領域があるから難しいのだ。

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彼らの運命やいかに


ブータンでは殺生はしない、のウソ

 ブータンでは他の国に比べ殺生をすることは少ないと言われるが、それも程度の問題である。ブータン人は家畜を害するような熊、豹などの動物は躊躇なく殺す。それによく肉も食べる。チベットもブータンも殺生禁止の国だが、肉食が主体というのは面白い。どこの国も、それはそれ、これはこれ、という暗黙の了解がある。
 自分もドイツなどヨーロッパは一神教という先入観を持って回ったら、どう見てもそうではない例に度々遭遇し、理論と現実は違うと思い知らされたものだ。結局はどの程度か、という程度の問題に行きつく。


国の真実を教えてくれる人とは?

 また、今回はホームステイ先の子供たちから一番ブータンのことを教えてもらったと感じる。大人は決して教えてくれないような、家族の中のかなり微妙な問題まで教えてくれた。
 なるほど、子供は一番の教師、とか子供は国を写す鏡、とはよく言ったものだ。子供は良いことも悪いことも含めて気兼ねなく教えてくれるから。そう考えてみると、ブータンの子供たちには感謝。
 確かに、外国を旅行した人や外国で言葉を学んだ人たちも、その国の不都合なことは子供たちが教えてくれ、また言葉は子供から学んだと言っていた。その国の言葉をおかしな発音で話した時に笑い転げてくれるのは子供くらいだ。これが言語を学ぶ上で最上のフィードバックとなる。


パスポートの次に必要なもの

 これまで読んた方ならすでに気づいたかもしれないが、他国では不要でもブータンならではの必需品がある。私はこれを持っていなかったばっかりに苦しめられた。しかも、10以上のブータン旅行のwebサイトをチェックしても、どこもこれを挙げていない。それはさすがに不親切というもの。
 サイフを忘れたとしても、こればかりは持っていた方がいい。
 それは何か?

 ずばり、ノイズキャンセリングイヤホンである。

 すでに書いたとおり、ブータンでは毎夜、ワンワンたちによる大合唱が繰り広げられる。私は耳栓を持っていたが、そんなものではとてもじゃないが間に合わなかった。ぜひともApple社のAirPods Proのような強力なノイズキャンセリングイヤホンが必要だ。
 これがあれば、夜苦しむこともなかったろうに。
 ブータンに行くなら、私と同じ過ちをしないよう願うばかりだ。

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一番幸せを感じた瞬間

 今回、あまり観光客が行かない雨季にブータンに行った。だから外国人観光客が少なく、のんびり、静かに観光できた。特にプナカより東では、自分が独り占めしているのではないかと思うくらい、観光客がいなかった。だから、現地に溶け込んでいるという感覚があり、それはよかった。

 でも、食事については、こんなに体に合わなかった国は初めてだ。辛いもの苦手な人にとってはなかなか過酷な国である。辛さを選ぶか、味のなさを選ぶか。そんな思いをしたくなければ、大人しく外国人向け無国籍料理を食べるか。けれど、やはりその国の料理は食べてみたいものだ。実際、バター茶に関しては、美味しかったし。
 また、犬の鳴き声に悩まされて、夜によく眠れない日があったのも大変だった。これも地味に体にこたえる。
 一方で、自然豊かな環境の中で、心の方はリラックスできた。

 心は合い、体は合わず、というのがブータンとの関係だった。また、ブータンは幸せの国と言われているが、少なくともブータン滞在中、食欲と睡眠欲が満たされなかったので、幸せかどうかなんて考える余裕がなかったのは確かだ。食欲と睡眠欲が満たされるのは、幸せという感覚が生まれるための前提条件なのだろう。

 そして日本に帰って、お腹を壊す心配なしに食べ物を食べられ、犬の鳴き声に悩まされずに眠れることの有り難さを実感。
 布団の中で、これが幸せだとしみじみ思うのであった。


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以上、ブータン旅行記をお届けした。
旅行記を読んで、もしブータンについてもっと知りたいと思った方には、以下の記事でブータンを知るのに役立つ本を紹介しているので、参考にして頂ければ幸いだ。


最後まで読んで頂きありがとうございます。 槍が降ろうが隕石が降ろうが、もっとよい記事をコツコツ書いていくので、また来てくださいね。