プロバスケ現場にどうして出れたのか?
さて今回は医療機関に勤めながらプロバスケの現場に行っていた時の話についてお伝えしたいと思います。
※画像の右端後ろ姿が私です。汗
17,18歳頃の夢はスポーツトレーナーになることでしたが、これまでのnoteでも触れたように、夢破れて理学療法士の資格取得を目指し始めた二十歳頃の夢は違ってきていました。
よりコンサバティブなものになり、
医療機関に勤めながら週末トレーナー活動をすることが夢であり目標となっていました。
その為に就職先を選定する際から、スポーツドクターがいるクリニックや先輩がそういったトレーナー活動しているという条件のもとで前職のクリニックに就職しました。
院長はプロ野球やラグビートップリーグのチームドクターでもあり、先輩セラピストがチームドクター先の現場へコンディショニングにも出向いていました。
臨床2年目から高校女子バスケの現場に出向き、前十字靭帯再建術後のリハビリを専門にしていた私にそういったチャンスが来たのはハワイ大学へ研修に行った2011年でした。
兵庫県にプロバスケのチームができるとのことで、院長の後輩がbjリーグのチームドクターを
していたことから紹介で創設時のチーム首脳陣がクリニックに挨拶にきました。
その際、私も同席させて頂き、チームドクター制ではなかった旧JBL2の体制でメディカルスタッフとして私がチームに関わることになりました。
(今のBリーグが統合される前のJBL側の2部リーグです)
具体的にはシーズン前のメディカルチェックをクリニックで実施する際の窓口となり、ヘッドトレーナー(ATC)との連携。
ホームゲーム全試合でメディカルスタッフとして試合帯同し、救護担当とヘッドトレーナーのサポートや試合前後のコンディショニングに関わっていました。
また治療が必要な選手に対してクリニックでリハビリを行い、ヘッドトレーナーへ症状の原因をお伝えしたり、一緒にトレーニング方法を相談したりしていました。
ちなみにサポート当初は高校女子バスケへのサポートも兼務で行っており、経験年数だけではない貴重な経験を沢山積むことができました。
この時を振り返り自分でよかったと思える判断は
・現役スポーツドクター(資格だけでなく)、スポーツ現場に行っているPTがいる職場を選んだ。
・先輩PTが行っている現場やよくみる疾患以外を専門としており、それをドクターに知ってもらっていた。
**・AT資格取得を目指している最中であり、リハビリ以外の関わりや連携も重要な仕事と捉え実践することができた。
(いつでも電話でトレーナーやドクターから連絡があっても動けたり勤務先へ連絡できる状態であった)**
以上3点になります。
比較的当時の私は、歯に衣着せぬ物言いで、院長とも関わっており、それを受け入れる器量のある上司にも恵まれやりたいことを知ってもらえていたことが結果としては非常に重要であったと感じています。
表現を間違えば、反対意見や足元をすくわれることもありなんでも言えばいいと言うわけではありません。
しかしTPOをある程度わきまえながら自分の意思や目標を少なくとも上司には伝えるべきだと
私は思います。(ちなみに私は表現の仕方の未熟さ故にたくさん失敗もしました。汗)
本当に部下の事を思う上司であれば、チャンスがあれば機会を与えてくれ足りない部分があれば指摘してくれると思います。
実は先日も、急なトレーナー現場の依頼が前職とは関係ない繋がりからあり、指導してきたトレーナーがなかなか経験できない海外のアスリートの対応をしています。
こういったお話を頂くたびに本当に人のご縁に感謝しています。
そして私が過去の活動や浅い歴史を振り返るたびに、多くの皆様のおかげでチャンスを頂き、今このように活動ができているとつくづく感じます。
だからこそ、自分に今できる事を最大限継続していくことで、これまで貴重なご縁を繋いでくれた多くの方への感謝の形となればと思い行動しています。
月並みな表現になりますが
夢や目標に対してまっすぐに走っていれば
誰かが手を差し伸べてくれる瞬間があります。
夢や目標がなくても、尊敬できる人や
背中を追いたい人と一緒に行動していくことで
自分の夢や目標が自然と湧いてきます。
このnoteを通して現場で選手と共に
心身ともに汗をかけるスポーツトレーナーが
一人でも多く出現し
選手の悩みを解決する一助となれば
本望です。
時にカッコ悪い失敗談も
でてきますが、それも選手のため。
同じ失敗を繰り返して欲しくない。
だからこそこういった発信に意味がある。
そのように強く感じています。
といった感じて、今日のところは此処まで
最後までお読み頂きありがとうございました。