4 months intensive course Day17 Day18
マイズナー 4 months intensive course 17日目18日目。
本番終わりの参加者が合流して、ようやくまた全員での「作業」と「準備」のワークへ入った。
この2日間もたくさんの発見があった。
2ヶ月という短い時間ではあるけれども、それぞれの多面性が表にどんどん出始めてきて、改めて素直に尊い瞬間に居合わせているのだなと感じた。
壮悟さんはよく他の人のワークを見ることも自分のためになると言う。
本当にその通りだ。
他の人のワークを見ていると自然と自分自身に許可を与えることができる。
もっと外に出ていいんだと。
もっともっと自分を曝け出していいんだと。
不思議とそう思うようになる。
舞台や映画を観ることもそうだと思う。観るだけで一気に何かが変わるわけでは決してないけど、何かしらの刺激とキッカケを植え付けてもらえる。最近は映画や舞台を観るのを遠ざけてしまっていたけど、これを機にまた少しずつ再開していこうと思う。
「準備」と「作業」のワークについて、この2回で感じたこと。
用意・準備したものに固執しないこと。
「準備」で用意した状態や「作業」で考えてきた状況設定を抱え込もうとしすぎると、途端にその人はバブルに包まれて閉鎖的になってしまう。
「準備」で動きやすい状態を作ったらあとは勇気を持って手放す勇気も必要だ。
それと同じように「作業」に関してもそれぞれ考えてきた状況はすでにその人の中にあるので、わざわざその状況の中に入ろうとせず、ただ手放してシンプルに作業をすることが必要だ。作業がきっと自然とその状況に入らせていくから。
「魚は水を信じない」
これもクラスで何度か話される言葉だ。
じゃあ魚は何をするのか。
ただ泳ぐだけ。
関連づけて説明するのが難しいが、自分にはこの言葉はしっくりくる。
生きることは行動することだ。
私たちは日々たくさんの行動をしていて、その行動1つ1つにはやらなければいけない理由や状況がある。
朝、仕事場に向かうために電車に乗ろうとする。だけど寝坊してしまって走らないと間に合う電車に乗れない。その電車に乗れなければ遅刻してしまう。上司に怒られてしまう。給料に響くかもしれない。働きにくくなるかもしれない。だから全力で走る。でも走っている最中にそれら1つ1つのことをゆっくりと考えてはいない。もしかしたら上司のことや同僚の目は考えるかもしれないが、いずれにせよ考えるのは間に合うか・間に合わないかの時間の問題だけのように思う。走り出す前に、今日は寝坊して〜昨夜は徹夜したから〜上司はどんな人で〜なんて状況の整理なんてこともしていない。靴紐を結んでいるときにはもうその状況に既に落ちきっていて、しなければいけないことは間に合わせることだけだ。
そういった意味でも、状況を信じる/信じないは関係ない。考えてきた状況がしっかりワークするものであれば、入ろうとせずともただするべきことをするだけで自然とその状況に陥っていく。
早くそんなところに行き着きたいものだ。
分かってはいるけど出来ない。
それはもしかしたらほんとの意味では分かってないのかもしれない。
モジュール2も残り2日。
全力で楽しんで掴み取る。
小比類巻諒介
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