![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/78837491/rectangle_large_type_2_68a05f66b74c940aeab67507e0a20347.jpeg?width=1200)
明豊高校の時の思い出〜練習から夜の寮生活編〜
前回の記事では、1日の始まりから学校生活までを書かせていただきました。
今回は、明豊高校の練習内容を思い出せる範囲で書いていきたいと思います。
ただ、当時の大悟法先生の時の練習になりますので、今とは全く違うと思います。
そこは認識していただけると嬉しいです。
それでは、前回の続きから。
●寮からグランドまで
寮からグランドまでの長い坂道を走って、グランドに着いた頃には、すでに結構なダメージを負います。カバンには野球道具が入っており、重りを持って2キロの坂道を走っている状態だからです。
しかし、グランドに着いてゆっくりしている暇はありません。
●ハードなアップメニュー
まずグランドに着くと、すぐにスパイクに履き替えます。
そして、倉庫からバットを2本手に取り、グランドに入る時に「今日一日、精魂尽くして精進します」と挨拶します。
そして、3列に並んでバットランニングが始まります。
●名物練習バットランニング
バットランニングとは、全員で足を合わせて、1.2.3.4と掛け声を掛けながら、両手に持ったバットを肩より高く上げてランニングするメニューです。
普段はグランドのフェンス際を5周走ります。
しかし、地獄が開始される時があります。
それは、足が揃っていなかったり、声が小さいと、追加で5周、10周と増えていく時です。
途中で、何回も心が折れそうになりますが、根を上げたところで終わってくれるわけもなく、大悟法先生の納得いくところまで繰り返されます。
一度、冬の帰省前に50周した時がありますが、本当に最後は死ぬかと思いました。
(※さらにその日の夜9時に宇佐神宮を出発して、別府までの80キロの道のりを歩き、寮に到着して年末の帰省でした。家に帰っても一日中動けませんでした。これは錬成会という行事ですが、また詳しく書きます)
バットランニングが終わると、体操をしてブラジル体操のようなアップと、短ダッシュが繰り返されます。
短ダッシュ自体は、10本ぐらいと多くありませんが、それまでのランニングで体力が削られており、毎回グロッキー状態で走ります。
ここで地獄のアップが終了します。
●キャッチボールからノック
アップの後は、キャッチボールです。キャッチボールの前に、なげる〜んというシャドーピッチング用の棒を振るメニューがあり、それが終わってキャッチボールです。
キャッチボールのあとは、トスバッティングをして、シートノックという流れになります。
●終わらないシートノック
シートノックは、最初は外野と内野で分かれて行います。投手は内野ノックの補助やベースカバーです。投手のフィールディングもあります。
一通り終わると、外野も合流して全体のシートノックになります。この時シートノックに入るのはA班とB班の選手で、残りは補助や強化メニューをやってました。
シートノックがひと段落するとゲームノック(試合の場面を想定したノック)が始まります。このゲームノックですが、50本ノーエラーでやらないと終わらないという地獄の時間になる時があります。さらにエラーすると、ベースランニング1周しないといけないという、1年生にとってはイップスにしかならないというハードなものでした。
40本過ぎたあたりからは、頼むから飛んでくるなという想いしかありませんでした。
●楽しいバッティング練習
ノックまでは、とにかくハードなメニューでしたが、この後は3箇所でのバッティング練習でした。マシン、スローカーブ、バッティングピッチャーという、3箇所の並びです。
大悟法先生は、スローカーブをセカンドの頭に打てと常に指示を出していました。
バッティング練習中は、楽しかったです。投手は、バッティングが終わるとブルペンでの投球練習や外野のポール間を走ります。
大体往復で10本ぐらい走っていたと思います。外野で走っている時は、基本的に投手陣でふざけた話をしながら、インターバルが長くならないことだけ意識して走ってました。
インターバルが長くなると、大悟法先生の逆鱗に触れることがあるので、そこは意識していました。そして、膝に手を置かないという謎のルールがありましたが、レフトのポール際だけ、少し死角になるのでちゃっかり手を置いて休んでました。
●個人練習
バッティング練習が終わった後は、30分から1時間程度個人練習になります。
ピッチャーはシャドーピッチング、野手はティーバッティングをする人が多かった記憶があります。
個人練習では、コーチや部長に呼ばれて特守を受ける事もありました。
1年生の時は、集団で500本のシャドーピッチングを掛け声を掛けながらやらされていました。
自分はシャドーピッチングが好きだったので、あまり苦労はしませんでしたが、シャドーピッチングが嫌いな人はキツかったと思います。
平日の授業の日の練習は、大体がこんな流れとなります。
●片付け〜六魂
練習が終わると、グランド整備をして道具を片付けます。その後全員でホームベースのところに整列します。
そこで"六魂"という6つの誓いみたいなものを全員で唱和します。
●六魂
我らの誓い
我らは明豊健児である
我らの野球は、不撓不屈が精神なり
我らの野球は、絆を以って信念なり
我らの野球は、人間力が目的なり
我らの野球は、真理探究が本文なり
我らの野球は、明朗き気魄が真髄なり
我らの野球は、日本一の鍛錬にあり
このような事を唱和していました。
3列ぐらい横に整列して、代表で1人が前に出て唱和し、それに続き全員が唱和していました。
90人部員がいるので、数ヶ月に一度前に出て唱和しないといけなかったのが、少しだけ精神的にしんどかったです。
間違えるとめちゃくちゃ冷たい視線を背中に感じます。
六魂の唱和が終わると、全員でグランドに礼をして終わります。
●練習後
大体練習が終わるのが、19時半から21時の間の時間だったと思います。
練習メニューによって、終わる時間に少しバラつきがあった気がします。
練習が終わった後は、すぐに帰る選手も居れば、少し残って練習する選手も居ました。ただ、寮の夕食は全員が揃ってから食べることになる為、残っても30分程度でした。
練習が終わると、寮までの坂道を歩きながら帰っていました。
坂道を帰りながら、本当はコンビニに寄りたい気持ちがありましたが、そこは我慢していました。
※年中外出禁止のため、コンビニに行ったのがバレるとシバかれます。
●寮での夜の過ごし方
寮に帰り着くと、食堂での夕食です。
席は個人個人で場所が決まっており、キッチンに近い方が3年生の座る席でした。
4人テーブルもあれば、12人ぐらいの長テーブルもありました。
夕食が終わると、1年生から先に風呂に入ります。3年生は、22時過ぎに風呂に入る人が多かったです。
逆に22時過ぎに1年生が風呂に入ると怒られていました。
なぜかというと、3年生は夕食の後も22時頃まで素振りやシャドーピッチングをする人が多かったからです。
練習した後に風呂に入りたいので、どうしても22時過ぎに風呂に入る人が多くなります。
1年生がこの時間に入ってくると、風呂がごった返すので、1年生は夕食が終わったらすぐに入るように指導されていました。
風呂から上がると、1階に洗濯機があるので洗濯をしていました。
洗濯が終わると3階の洗濯物を干すスペースがあったので、点呼前に洗濯物を干しに行ってました。
洗濯物を干していると、あっという間に点呼の時間になります。
点呼は22時45分でした。
点呼が終わると、すぐに部屋に戻り23時に消灯して寝るという流れでした。
消灯後は、結構部屋のメンバーによって過ごし方が異なりました。
基本はすぐに寝ますが、仲のいいメンバーの部屋だと、1時間ぐらい喋ったりしていました。
3年生の時は、8人部屋で全員が投手陣でしたので、よく話していた気がします。
しかし、寮に住み込んでいるコーチにバレると怒られるため、なるべく早く寝ていました。
●最後に
明豊高校野球部の1日の流れはこんな感じになります。
前回の記事と合わせて読んでいただくと、こんな1日を過ごしていたんだなと分かると思います。
明豊高校野球部のときは、とにかく3年間が長く感じました。
今過ごしている3年間とは密度がまるで違いました。
それは、幸せな事ではあると思いますが、二度と戻りたく無い過去でもあります。
とにかくしんどかったです。
今思うと、あの3年間は人生の修行だったんだなと思います。
自分は3年間で、公式戦で投げられないまま終わったので、しんどい日々もその時は報われず、ただただしんどいだけでした。
でも、それが今に繋がっているというのは、間違いないですし、どこで苦労が報われるかなんて、その時には分からないものだと思いました。後で気がつくものだと思います。
明豊高校の時の1日を振り返ると、1年生の時から3年生の時までの事も、時間がある時に振り返ろうかなと思いました。
また、間が開くかもしれませんが、いずれ書こうと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。