明豊高校の時の思い出〜寮生活、朝の起床から練習まで〜
●はじめに
私が明豊高校の野球部に在籍していたのは、15年以上も前であり、監督やコーチは当時とは変わっています。そして、私が生活していた寮は現在は変わり、おそらく現在の野球部の選手たちと私のいた時の選手の生活は違います。
あくまで私が明豊高校の野球部に居た時のことについて、自分の過ごした3年間と野球のこと、学校生活のこと、寮生活のこと、そして大悟法先生の指導していた明豊高校野球部で何を学んできたかについて、noteで書いていこうと思います。
実は指導者を志したきっかけは、高校時代の恩師の大悟法先生です。卒業時に送られた野球短歌は、いまだに見らずとも覚えています。
大悟法先生が遺したものを少しでも受け継いでいければいいなと、今も思っています。
”秋霜の 厳しきを知れ その時が
己の心 閃きしと知れ”
意味は、
”お前はまだまだ甘いよ。もっと自分に厳しくなりなさい。もっと厳しさを知りなさい。そうすれば心も強くなれる”
そんな意味です。
何故この歌が贈られたか、おそらくnoteを読み終わった頃にはわかると思います。
かなり長い文章になると思います。ですので、何回かに分けて 書いていきたいと思います。
寮生活や学校生活、1日の流れについて練習までを本日は書いていきます。
●一日のスケジュール
7:00 起床、点呼、朝食
8:00 登校
8:30 オリエンからの授業開始
14:30 下校(走って帰る)
15:00 練習開始
20:00 練習終了
21:00 夕食
21:30 自主練
22:20 風呂
22:45 点呼
23:00 就寝
細かいところは、正直少し違うかもしれませんが、こんな感じのスケジュールだったと思います。
●寮生活について
・寮の造り
私がいた時の明豊高校野球部の寮は、別府市役所の近くにあり、学校まで歩いて10分程度でグランドまでは2キロぐらい離れた位置にありました。
グランドから寮までは坂道になっており、練習の時はその坂道をカバンを抱えたまま走っていく決まりでした。
4階建ての建物で、おそらく元々は訓練所か研修施設だったのではないかという古い朱色の建物でした。
1階はエントランスと食堂と洗濯場と監督室。2階に選手の部屋(大部屋含め、10部屋ぐらいあったと思います)と会議室と洗濯物干場と風呂場。3階は部長の部屋と選手の部屋(10部屋以上あったと思います)とトレーニングルーム。4階はホールという構造でした。全体の形はV字のような並びで部屋があり、V字の真ん中に会議室やトレーニングルームという配置です。
1階は、扉を開けて入ってすぐ玄関があり、右側には階段がありました。階段を上ると踊り場があり、2,3人でシャドーピッチングや素振りができるスペースがありました。
そして階段を上がって向かって右側には扉があり、渡り廊下と会議室の入り口になっていました。
2階の会議室は広く、90人の部員全員が入れる広さでした。その会議室では、大悟法先生のミーティングや、勉強部屋として使われていました。
1階の玄関に戻ります。
玄関に入ってそのまま奥に進むとエントランスがあり、エントランスの右に食堂、正面奥に洗濯場とトイレ、奥に行って左側に監督室と談話室がありました。
またエントランスにも2階に上がる階段があり、階段の脇には自動販売機が設置されていました。
エントランスから2階に上がるとすぐ右に風呂場、すぐ左に大部屋があり、そこから奥に向かって左右に選手の部屋がありました。大部屋と風呂場の正面あたりに会議室に入る入口がありました。
3階に行くには、2階の踊り場から続く階段から行くことができます。3階に上ると2階と同じ踊り場があり同じように右側の扉から渡り廊下とトレーニングルームの入り口がありました。奥に進むと左右に選手の部屋がありました。左奥の角部屋が部長の部屋でした。
・寮の規則
携帯の持ち込みはOKでしたが、年中外出禁止で、コンビニに行くことなどは禁止だったり、私服は持ち込み禁止だったり、結構厳しめの規則がありました。また、眉毛を剃ることも禁止でした。
部屋は複数人の部屋で、10人部屋、4人部屋、3人部屋の構成でした。部長のいる3階の列には、主力の2,3年生が多く居ました。2階には、大部屋があり3年生1人、2年生2人、残りが1年生のような配置でした。
●一日の始まり~学校生活、練習まで
寮生の朝の始まりは、寮長(選手)の「起床~、起床~!、起床~、起床~!」という館内放送から始まります。
眠い目をこすりながら下のエントランスに集合して点呼が始まり、たまに反応が遅くなった人がみんなから冷たい目線を浴びせられ気まずい雰囲気になる儀式が終わります。
その後掃除をして学校に行く準備をし、朝食を食べて学校まで歩いて登校します。
学校についてホームルームまでの時間は、他のクラスの人も教室に来たりして話しています。
野球部は、1年1組、2年1組、3年1組とクラスが決まっています。野球部と卓球部だけの坊主頭クラスでした。
卓球部も全国でも上位の強さで、顧問の先生はおそらく野球部より怖かったです。
授業中は、練習疲れでどうしてもウトウトしてしまいます。
しかしガッツリ寝ていると、たまに部長や監督が見回りに来るので怒られます。
午前中の授業が終わり、昼休みにはガッツリ寝ていました。
外に行く気力はありません。昼休みの楽しみは、学校に来ているパン屋さんの甘いパンを買って食べることでした。
1年生、2年生の時には、たまに先輩が来て「今日の練習休みらしいよ」という本当か嘘かわからない情報を流していきます。
練習が本当に休みの時は、3年生のクラスから順に雄たけびが聞こえてきます。
その雄たけびを聞いて、1年生と2年生も呼応します。オオカミの遠吠えのような感じです。
しかし油断なりません。たまにフェイントの雄たけびもあるので本当のことはこの時点ではわからないのです。
午後の授業が始まり気が付くと2時過ぎになります。
この時間になると昼の先輩からの情報が本当なのか嘘なのか気になりだします。
学校から寮までは、走って帰らないといけません。
授業が終わると、3年生から先に学校を出ていくのですが、ちょうどクラスの目の前を通ります。
その時に走って帰っていれば、今日の練習はあるということです。逆に歩いて帰っていると、今日の練習は休みということです。
ここで歩いて帰っている姿を見た時には、全員で本気の雄たけびを上げます。
しかしここでも、休みにもかかわらず、走って帰る時(フェイント)があるのです。
もう何を信じていいのかわからなくなります。
練習の時には、学校から寮まで走って帰るので、寮には5分ほどで到着します。
寮に着くと、晴れの日にはコーチが愛車のパジェロを洗車しています。
コーチに挨拶して部屋に戻り、ばたばた着替えてカバンを持ってグランドまでの2キロの坂道を走って登っていきます。ここから明豊高校野球部の練習がスタートしていきます。
本日は、ここまでとさせていただきます。
大悟法先生がどんな練習メニューを組んでいたか、このnoteを書くことで思い出して、今後のヒントにしていければと思います。
では、また近いうちに更新いたします。