最愛の娘を捨てた父親の優しい嘘
探偵の仕事は依頼者が知りたい事実を調べることだ。
調査結果をまとめた報告書は裁判の重要な証拠となり、また依頼者の人生を大きく左右することもあるので、決して脚色を加えたりしない。それがどんな辛い事実だとしても、見たこと聞いたことをありのままに報告する。
「生き別れた父を捜してください!」
兵庫県から来られたM子さん(31歳女性)は救いをもとめるような目で依頼内容を語り始めた。
「あたしが小学校に入学する前に両親が離婚しました。あたしは母に引き取られ、それまで住んでいた広島から母の実家である兵庫に引っ越しました。それ以来、父には会えていません。
会えなくて寂しい思いをしましたが、母も祖父母も父の話題を避けていたので、子供心にも父のことは聞いてはいけないと理解していました。
最近になって、ふと母に父のことを聞いてみると、『M子には言わんかったけど、あの人は私たちを捨てたんよ。当時のことを思い出すと辛いから、もうあの人のことは聞かんといて』と。あたしの記憶の中の父は穏やかで優しい人でしたので、その話を聞いて大変ショックを受けました。
父と母が上手くいかなかったのは仕方ないと思うのですが、何故、今まであたしに会ってくれないのか…」
「お父様を捜し出して、どうされるおつもりですか?」
「あの、あたし、3か月後に結婚式を挙げるんです!」
「え、はい?それはおめでとうございます」
「会って聞きたいことがあるんです。実は、婚約者が父に似ていて。顔とかではなく優しい雰囲気が。そんな優しい人でも平気で妻子を捨てることができるのかなと、いろいろ考えてしまって。あたしに会えない理由があるのなら、それを聞いてみたくなったんです」
M子さんは結婚式を挙げることが決まって、急に不安になったようだった。
「お父様の戸籍の附票は取得されましたか?」
「はい!弁護士さんに依頼して。それで戸籍の附票に記載されてある住所地のアパートを訪ねてみたのですが、そこに父が住んでいるのか分からなくて」
「分からないとは?」
「有給を使って3日前から広島に来ているのですが、その間に早朝から深夜まで1日に何度も訪ねてみました。でも、いつ訪ねても留守で。部屋の灯りも点くことがなく、郵便受けの中を覗いてみたらチラシも溜まったままでした」
「その住所地に住んでいなのですかね?」
「でも、空き部屋じゃないので誰かは住んでいると思うんです。今日の終電で兵庫に帰るので、これ以上は確かめることができなくて」
「分かりました、ではまずアパートに誰が住んでいるか確認してみましょう。お父様の写真はありますか?」
「母は父の写真を全て処分していましたが、伯母が両親の結婚式の集合写真を1枚だけ持っていました」そう言って渡してくれた写真の真ん中には幸せそうな新郎新婦が写っていた。
翌日、M子さんの父親(以下、Tさん)の住所地を訪ねてみた。
部屋は古いアパートの2階で、窓にはカーテンがかかっており少し窓も開いていた。ベランダには物干し用ハンガーもあったので空き部屋ではなさそうだ。しかし、M子さんの言う通り、いつ訪ねても不在だった。
訪問する度に電気メーターとガスメーターをチェックすると、平日はメーターに動きが無いが、週明けになるとメーターが動いていた。
玄関ドアに細工したマーキングも月曜日の昼~日曜日の昼まで変化が無かったが、翌月曜日の朝に確認すると外れていた。つまり、日曜日の夜から月曜日の朝までは誰かが滞在しているようだ。
翌週の日曜日の時刻は19時。Tさんのアパートを訪ねると読み通りにベランダ側の部屋の灯りが点いていた。カーテンの隙間からはテレビ画面の光が微かに漏れていたので、誰かが居るのは間違いない。
玄関チャイムを押しTさんの名前を呼んでみた。
「はい、何ですか?」怪訝そうな面持ちで白髪混じりの男性が玄関ドアを開けた。歳を取っているがM子さんから預かったTさんの写真と同一人物だ。面影は変わっていない。
「Tさんですね?突然すみません。私、探偵をしている者で、お嬢様からの依頼であなたを捜しにきました」
「え!?え!?はい!?」Tさんは驚倒した様子で目を見開いた。
「はい、M子さんからのご依頼で、」
「え!?M子!?」
「そうです、M子さんから、」
「ちょ、ちょっと、待って!!」Tさんはそう言いながら、左手を前に突き出した。そして周りを見渡して、大きく息を吐いた。
「えぇと、すみません、M子が私のことを捜しているんですか?」
「そうです」
「M子に何かあったんですか!?」
「秋にご結婚される予定で、その前にTさんに会いたいそうです」
「M子が?結婚…?」Tさんはそのまま固まってしまった。
「あの、大丈夫ですか?」30秒ほど立ちすくんだままのTさんに声をかけた。
「あ!?はい!大丈夫です!」
「少しお話しさせていただいてもよろしいですか?」
「あ、じゃあ、今から飯食いに行こうとしとったんですが、一緒にどうです?」
Tさんの行きつけの居酒屋で話しを聞くことにした。店内は広く、日曜日の夜ということもあり混雑していた。
「Tさんは平日あのアパートには居られないのですね?」注文したビールを待つ間に気になったことを聞いてみた。
「はい、繁忙期で家には日曜日の夜しか帰れないんです。3年前に勤めていた物流会社が倒産してしまって。それで今は知り合いのツテで長距離トラックの運転手をしています。忙しい時期なので日曜日の夕方に自宅に戻って、月曜日の早朝には仕事場に向かうという生活を送っています」
一口目のビールをTさんが美味しそうに飲んだところで、改めて今回の依頼内容を伝えた。
「そうですか、M子が結婚するんですね。そっかぁ…」
Tさんは財布からおもむろに1枚の写真を取り出し、それを見つめながら呟いた。すっかり色褪せてボロボロになった写真には小さな女の子が写っていた。
「この女の子はM子さんですか?」
「そうです。もう25年も会っていませんから…ずいぶん変わったでしょうねぇ」
本当にこのTさんが妻子を捨てたのだろうか。穏やかな表情からは想像出来なかった。
それからTさんはM子さんのことをいろいろ聞いてきた。幸せに暮らしていることを伝えると顔もほころんだ。
しかし、一杯目のビールを飲み干した後、笑顔だったTさんは真剣な顔になり頭を下げた。
「…せっかく訪ねてくれて申し訳ないですが、M子とは会えません!」
再会できることを喜んでくれていると思っていたので面を食らった。
「え!?どうして会えないのですか?」
「もう25年も会っていないんですよ。今更、父親面なんて出来ませんよ」
「それは分かりますが、それでもM子さんが会いたいと言われているんです。M子さんの記憶の中のTさんはとても優しい父親だったと。そんな優しい父親が何故会ってくれないのか、その理由を知りたがっています」
「…」Tさんの顔が悲哀と苦悶の混じりあった表情になった。
「会えないのは、M子が私の娘じゃないからです…」
「え!?」僕は予想外の言葉に絶句してしまった。
「M子は元妻が不倫をしてできた子なのです」
Tさんは25年間、胸の奥にしまい込んでいた辛い記憶を語り始めた。
私と元妻は社内結婚でした。私は物流会社の営業マンで、元妻は事務員でした。結婚して3年後に子供を授かり、それがM子です。営業ノルマに追われる日々でしたが、とても幸せな毎日でした。
M子が5歳のとき、酷いじんましんが出て慌てて病院に行きました。そのとき行われた食物アレルギーの血液検査でM子の血液型が判明したのです。私はA型、元妻はO型。その場合、生まれてくる子供の血液型はA型か、O型。しかし、M子の血液型はB型でした。
元妻に血液型のことを問いただしましたが、元妻は何も言わず泣いてばかりで話し合いになりません。
数日後、私が仕事から帰ると元妻とM子は居ませんでした。2人の身に何かあったのでは心配していたところに、家の電話が鳴りました。『K子(元妻の名前)の母です』電話の主は義母でした。
『いきなりごめんなさいね。K子とM子はしばらくこちらで預かります』
『え!?どう言うことですか?』
『ほら、K子も気が動転しているし、落ち着いたらまた連絡するから、ね?』
『いやいや、どういうことか説明してくださいよ!K子に代わってもらえますか?』
『また連絡させるから、今日はごめんなさいね!』と、一方的に電話を切られました。
納得できない私は、翌日仕事を早く切り上げ新幹線で兵庫へと向かいました。とにかく直接話しをしたかったのです。20時過ぎに元妻の実家に到着してインターフォンを鳴らすと、中から義母が出てきました。
「Tさん!?」
「K子とM子はいますか?」
「ちょっと、今は…」
「K子とM子に会わせてください!」
玄関で義母と押し問答をしていると部屋から義父が出て来ました。
「T君、悪いが今日は遅いから、日を改めてくれないか」
「お義父さん!僕は全く意味が分からないのですよ!何で突然K子がM子を連れて実家に帰ったのか!」
「だから落ち着いたら、ちゃんと説明するから」
「何の説明ですか!?M子の血液型の説明ですか!?M子は僕の娘じゃないんですか!?」
私は泣きながら大声で叫んでいました。
「すまんが、今日のところは帰ってくれまいか。今はお互い冷静に話ができないだろう」
「…分かりました、今日はホテルに泊まります。明日また来ます!」
翌日、上司に事情を説明して仕事は休ませてもらい、再び元妻の実家に行きました。
実家には義父と元妻と義父の弟が居り、M子と義母は家には居ませんでした。
「大変申し訳ないことをした」義父からの開口一番は謝罪から始まりました。
「お義父さん、僕はK子から事情を聞きたいんです」元妻を見ると泣き腫らした目をしてずっと俯いたままでした。
「T君、この件は弁護士を通して説明させてもらえないか?」
「弁護士?何故です?事情を説明してくれるまで僕はここを動きませんよ!」
そうやって、しばらく義父と堂々めぐりをしていると、
「兄さん、事情を説明してあげんとT君も可哀そうだろ」私を哀れに思ったのか、義父の弟が間をとり持ってくれました。そこで私はようやく真実を知ることになるのです。
元妻が重たい口を開きました。
覚悟はしていましたが、やはりM子は私の娘ではありませんでした。M子は不倫相手との間に出来た子供で、その不倫相手は…私の上司でした。そう、今回の事情を聞いて休みを取らせてくれた上司です。
私は元妻と上司に裏切られていたのです。とても尊敬していた上司でしたので大変ショックを受けました。結婚前はよく上司の家に遊びに行ったものです。上司の奥さんも気さくな方で、私は上司のような家庭を築きたいと思っていたくらいです。
元妻は私と結婚する前から上司と不倫関係にあったようでした。私は生まれて初めて怒りに手が震えました。
「本当に申し訳なかったね」義父はそう言いながら私をなだめました。元妻は自白した後はずっと下を向いていました。
私は何も言わず元妻の実家を後にして、新幹線に飛び乗り、そのまま上司の家に乗り込みました。腹が立って仕方がなかったのです。怒りに震える私を見て、上司は土下座をして謝罪しました。それから上司は別の会社に転職。私も会社を辞めました。
それでも私はM子を何よりも愛していました。たとえ、血が繋がってなくても最愛の娘ですから。元妻との離婚は望んでいましたが、当時は離婚をしたら子供は母親が親権者になるのが当たり前の時代でしたので、M子のためにも離婚はせず元妻を受け入れようと思ったのです。
それから何度か元妻の実家に話し合いに行ったのですが、いつも言い訳をされてM子に会わせてくれません。私もいい加減に腹を立てM子に会わせるよう要求しましたが聞き入れてもらえず。
最初は謝罪してくれた義父母も居直り始め、もうM子のことは諦めて、新しい人生を歩んだ方がお互いの為に良いのではないかと言い始めたのです。これから親子3人で暮らしても上手くいかないだろうと。
私はその言葉に正気を失い、テーブルの上に置いてあった灰皿で自分の頭を思いっきり叩きました。噴き出した血を見て意識を失い、気が付いたときには救急車で病院に運ばれていました。それ以降、実家の敷地内には入れてもらえなくなり、元妻の代理人の弁護士から連絡があり離婚の申し出があったのです。
離婚の条件はM子の親権は元妻。M子の養育費は一切請求しない代わりに、不倫の慰謝料と相殺させてほしいとのことでした。私は全てに絶望して心身ともに疲れ果てていたので、何も考えず元妻側の離婚条件をそのまま飲みました。養育費は請求されませんでしたが、M子が高校や大学に入る前にはまとまったお金を送金しています。
本当はM子に会いたくて会いたくて仕方ありません。でも、M子に『何故、今まで会ってくれなかったの?』と聞かれたら、私は真実を語ってしまうでしょう。本人を目の前にして嘘は付けません。上手く誤魔化すことができるほど器用ではないのです。
真実を伝える方が酷です。真実を知れば母親との関係も崩れるでしょう。元妻は私を裏切りましたが、M子のことは大事にしていましたから。
そういう訳で、M子とはこれからも会いません。それがお互いの為なのです。
Tさんは目から零れた涙を拭って2杯目のビールを苦しそうに飲み干した。
Tさんの気持ちは痛いほど理解できるが、僕の依頼者はあくまでもM子さんだ。申し訳ないが、M子さんの要望を最優先で応える必要がある。
「M子さんはここの住所地を知っていますので、今回会えなくてもいつかTさんを探しに来られますよ」
「じゃあ、M子には私は死んでいたと報告してください」
「Tさんの戸籍の附票を取り寄せて現住所を判明させていますので、その嘘はすぐにバレます。お気持ちは分かりますが、M子さんはずっとTさんに捨てられたという気持ちのままなのですよ、それでも良いんですか?」
「…たとえ捨てられたと憎まれていても、たとえ二度と会えなくても、M子の「父親」として生きていたんです。真実を話すと私はもうM子の父親ではなくなってしまう…」
それから1週間後。M子さんにZoomでの報告を行った。前もって郵送しておいた調査報告書をご覧になられたようだ。
「報告書を拝見しました。父はお付き合いされている人と幸せに暮らしているのですね!」
報告書に写っているのはTさんが女性と仲良く暮らしている姿だ。
でも、これは嘘の報告書だ。実際にはTさんにお付き合いしている女性はいない。僕の友人がTさんの彼女役を演じてくれたのだ。
「はい、お父様は幸せに暮らしておられました。住民票は戸籍の附票に記載されていた住所地のままですが、普段は内縁関係にある女性の家で生活されています」
「だから何度訪ねても不在だったのですね~」
「はい、それでお付き合いされている女性の体調が悪いようで、今はお父様が献身的に看病をされているようです。ですので、病状が落ち着くまでM子さんと会うのは難しいとのことでした」
「そうなんですか…今は会うことは叶わないのですね…」
僕は初めて依頼者に嘘の報告をした。いかなる事情があっても事実を報告する、それが探偵としての矜持だったが。
「父からの手紙も読みました。あたしのことを『この世で最も大切な宝物』で、あたしと過ごした時間は『人生で一番幸せな時間』だと。とっても嬉しかったです!」
TさんはM子さんへの思いを伝える手紙をしたためた。
「とにかく父が見つかって良かったです!ありがとうございます!生きていれば、いつかきっと会えますもんね!」
健気に笑うM子さんの言葉に、後ろめたさと安堵が混じり合った気持ちになった。
「あたしの結婚式の写真を重川さんに送るので、父に渡してもらえますか?」
「もちろん、お安い御用です」M子さんからの最後の依頼だ。
せめてもの償いとして、結婚するM子さんに向けてTさんからのメッセージムービー作ることにした。
Tさんは10年ぶりのスーツ姿で、用意していたお祝いの言葉を緊張しながらビデオカメラに向けて読み上げた。たどたどしいが祝福の気持ちが伝わる良いメッセージムービーになったと思う。
「あとこれも一緒にM子に送ってください。元妻が持ち出すのを忘れた、M子のへその緒です」
3か月後、M子さんから結婚式の写真がたくさん送られてきた。どの写真にも幸せな笑顔のM子さんと優しそうな新郎が写っていた。
人探しは対象者の居場所を見付ければ終わりではない。ときには対象者の心に寄り添う必要もある。そのことを今回の調査であらためて考えさせられた。
僕はTさんと待ち合わせた居酒屋へ足早に向かった。きっと結婚式の写真を見てTさんは嬉し泣きをするだろう。
いつかM子さんが真実を知る日が来るのだろうか。いや、Tさんは決して真実を語ることはしないだろう。残酷な真実を語るより、優しい嘘を選んだのだから。