地方創生って結局、何なの?
地方創生って結局何なの?そんな大きな問いを肴に、酒を交わした男だけの札幌の夜があった。人口が増えるとか、稼ぎが増えるとかじゃないよね、と地域の最前線に立つ若者たちが、口を揃えて今の地方創生政策に違和感を唱えている。僕もその1人だ。
日本の地方創生政策の枕詞には必ず「人口減少問題」「少子高齢問題」が前提にある。その解を求めるべく何千億の予算が動いていて、例えば人口を減らさないための、移住政策がその代表例だったりする。日本全体で人口が減っているのに、地方ごとにおらが町へ、と声をかけても結局パイの奪い合いでしかなかったりするのが現実だ。あるいは子供を産んでもらうためには結婚させにゃあかん、と「婚活政策」まである。行政が、結婚斡旋所になる時代。SDGsとか言って多様性を、と叫びながら「結婚して子供を産む」人生の選択肢に優先して公共予算を割くという皮肉。
移住したいのに、結婚したいのに、子供が産みたいのに、これが何らかのサポートがないことで、叶わない人がいるんだと、この方々への公共サービスが必要であることは否定しないが、これは果たして「地方創生」なのか。
そもそも、人口減少は問題なのか?少子高齢が問題なのか?ずっと疑問を持っている。人口減少も、少子高齢も、あくまで「事象」でしかない。子供を産まないという選択肢をとった夫婦やカップルを「問題」ということで生き方の多様性を否定している気がするし「高齢」まで生きるおじいちゃん、おばあちゃんの長寿健康を否定するように感じる。長生きしてくれてありがとう、心からありがとうって言えてんのか?と。
問題の本質は、人口減少でも、少子高齢でもなく、人口減少や少子高齢に伴う、様々なシステム崩壊にある。例えば、人口が減ることで、町の稼ぎが減る。例えば、子供たちが少なくなることで、町から笑顔が減り活気がなくなる。あるいは、事業の担い手や自然を守る担い手が減っていく。稼ぎ(経済)。コミュニティ(社会)。自然保護(地球)この3点の成長を今のシステム構造では対応できないことにこそ、問題がある。であれば、我々は、その構造を大きく変えないといけないんだと思う。SDGsの文脈のこの社会構造の大変革を求める流れなんだと理解してる。SDGsも17に分類されてるけど、本質は、この3本柱だ。
地方創生とは、決して移住政策にお金を使うことでもないし、婚活にお金を使うことでもないのでは?と感じるのは、微妙な本質理解のズレが生まれているからじゃないか。
ウェルダイイング well-die. よく死ぬという価値
あらゆるシステムの限界が起きる今、地域の現場に立たされる若者ではどうにもこうにもミクロに太刀打ちできる問題では無くなっていて、その現場にいる若手が、大きくマクロの予算を動かせる立場にもないとすれば(牛耳る過去システムで未来を考える大人たち)、次世代を担う彼らから見える「地方創生」とは、何なのか。
それは、目の前にいる町の人たちが「この町で生まれてよかった」と心底思いながら死ねるかどうかだと、1人が言った。僕達ができることは、関わっている地域にいる人が1人でもそう言ってくれるかだ、と。
VUCAの時代に、いい会社に入り、都会で暮らすことが唯一の正解ではなくなりつつある(もちろん、幸せの一つのあり方として十分機能している)。幸せの定義は、地位でも、名誉でも、財産でもなく、自分らしく生き、その生き方を受け入れてくれる人が周りにいるかにかかっている。借金をしたかもしれない。離婚をしたかもしれない。それでも「いい人生だった」と言えるかどうか。ブータンが世界一幸せだというのは、この文脈に近しいところにある気がする。
酒の場で「ウェルビーイングじゃなくて、ウェルダイイングだね」。つい、僕はそんな言葉を発した。よく生きるという意味で、ウェルビーイングが昨今注目されているけれど、ウェルビーイングを謳うプログラムを覗いてみると朝ヨガをやってみたり、リトリートと呼ばれるような旅が高価格の旅商品になったりしていて、流行れば流行るほど、その言葉を謳歌するには、ちょっと眩しいし、お金を持っている人たちの言葉になりつつある気がする。
1つの成長マーケットになりつつある、これはこれでいいんだけど、地方の現実とは程遠い。このウェルビーイングという言葉は、都会に住まう人たちの、モノやカネの豊かさを求めてきた人たち向けの生き方の再定義を届けるメッセージなんだと気付かされる
地域の人にとってのウェルビーイングとは、もっとシンプルに言えばきっとウェルダイイングなんじゃないか。地域に住んでいた人たちが、この町で、身の丈にあった生き方で、「この町で暮らせてよかった」と思える人がどれだけいるか。
地方創生は、移住政策でもなく、婚活政策でもなく、こうした、一人ひとりが地域で積み重ねてきた「小さな幸せ」を認める寛容さにかかっている。朝から釣りに行き、昼から農作業を手伝い、そんなことをしてると、地域の方々が、たくさんのお裾分けをしてくれていたりする世界線。1週間、お金を一切使わない暮らし。この生き方が、都会で暮らし、アフタヌーンティーに8,000円とかかけちゃう人たちにとって「かっこいい」と言ってあげられる「場」を作ってあげることで、彼らの生き方は昇華され「これで良かった」と地域で暮らし続けた自分を認めてあげられるきっかけになる。
この「場作」りに、地方創生が堂々と向かっていったら、地域は結果、もっと生意気で、誇りのある場所になっていくんじゃないかなぁ。地域に暮らす自分達の生き方が、何も間違っていないんだと気づくきっかけをつくること。
このマッチングの「場」がたくさん生まれる結果、移住する人が増えるかもしれないし、結果、結婚し、その地で子供を産む人も出るかもしれない。移住も、結婚も、子育ても、こうした「この町で暮らしていい人生だ」と思える市民が増えた「結果」でしかないんだと思うんだよね。数字だけ追いかけず、気持ちを変えていく場づくりこそ、地方創生の本質なんじゃないかな。
そんな、札幌、ススキノのラーメンをすする夜の思い出。