いつまでも青年の気持ちで生きていこう!
私が子供の頃、おじいちゃん、おばあちゃんの家に、正月になるとたくさんの人が集まっていました。当時は、二人の名前を知りませんでした。私が18歳の時、おじいちゃんが亡くなりました。その時に初めておじいちゃんの名前を知りました。
親戚でも同じようなもので、いとこの名前は知っていても、その親の名前は知りません。「〇〇ちゃんのおばちゃん」というような呼び方をしていました。知る時は、やはり葬式の時です。
私には孫はいませんので、私のことをおじいちゃんと呼ばれることはありません。でも兵庫県の実家に帰ると「にいちゃん」(アクセントはなく、平坦に)と呼ばれます。沖縄だったら「にぃにぃ」でしょうね。私は長男だからそう呼ばれます。母親から名前で呼ばれることは少ないです。だいたい日本の家庭はそんなもんだと思います。もちろん、母のことを私が名前で呼ぶことはありません。「おかあさん」「かあちゃん」のようになりますよね。
私は常々思っていることなんですが、「おじいちゃん」と呼ばれ始めた時から、その人は「おじいちゃん」になると思うのです。当たり前か~! そうではなくて、「おじいちゃんという自覚が生まれる」と、私は言いたいのです。「おかあさん」「おにいちゃん」も同じです。
子供の頃は「あなたは、おにいちゃんなんだから〇〇しなさい」とよく言われたものです。それはしつけの一環として、兄である自覚を持たせるためだったと思います。「おかあさん」「おとうさん」に関しても、そう呼ばれることで、親としての自覚を持つのだと思います。
一方、「おじいちゃん」「おばあちゃん」に関してはそれに値しないと思うのです。あるいは、そう呼ばれたくない、年寄りだと自覚したくないという理由から、名前で呼ばせている人も最近では増えているそうですね。あなたのところでは如何ですか?
「おじいちゃん」と呼ばれると、「自分がおじいちゃんであること」を、どんどん自覚していくと思うのです。呼ばれれば呼ばれるほどに、自覚が深まっていきます。そんな言葉から「老いが増していく」気がしています。
「あなたはできる子だから」と言い続けて育てると、その子は「自分はできる子なんだ」という自覚が生まれるそうです。言葉による暗示ですよね。逆に「あなたはダメな子だ」と言い続けると、どんどんダメな子になっていくと聞きます。子育てをしたことないので親の気持ちは分かりませんが、子供の気持ちから想像すると、この話はうなづけます。
スポーツにおけるメンタルの強さを育てるにも、このような話がよく出てきます。言葉によって自分が持っている以上の力を発揮することが可能だということです。言葉の力は偉大です。
私は独身ですから、家庭の匂いがしないそうです。当たり前です。家庭を持っていないのですから。何も言わなくても、なんとなく見た目から分かるそうです。「独身で気楽に暮らしているシニアは、見た目が若々しい」というのは私の持論です。おおむね合ってるんじゃないでしょうか。でも、孫がいるのに若々しい人であれば、それは最高ですよね。
先日、80歳の人に「精神年齢は何歳くらいですか?」と尋ねると「50歳くらいかな~」と言われました。このように、みんな心の中では実年齢より若いはずです。50歳過ぎたら実年齢なんて気にせず、いつまでも青年の気持ちで生きていきましょう! 私は今でも精神年齢は、二十歳です(笑)