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月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして

「日本文化における時間と空間」という本を読んでいたら、在原業平の歌に出会いとても美しかったので、ついnoteにしてしまいました。

詩人が今はそこに居ない恋人の旧居を訪ねたときの歌である。主人公の不在は、同じ場所の月も春も別のものに変えてしまう、我身は我身であるが、環境はすなわち世界は、変り、その変化は非可逆的である。

日本文化における時間と空間 加藤周一

ウェブでは以下のような現代訳にしています。

月はちがう月なのか。春は過ぎた年の春ではないのか。私だけが昔のままであって、私以外のものはすっかり変わってしまったのだろうか。

古典和歌 stream

両者とも「もはや同じ月(春)ではない」となっていますが、ただ実際には薄っすらと同じ月かもしれないと感じる心があったり、過去を思い出すことで同じ月に見える(そして春を感じる)瞬間があり、昔の月や春の面影を感じていると思います。

そして、その面影があるからこそ「あゝでも、もはや同じ月ではないし、同じ春でもない」という寂しい心が強くなっている気がします。

#在原業平 #加藤周一 #古今和歌集 #伊勢物語

写真はanikinearthwalkerさんから

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