(ニッチ戦略)プロネクサス:株券の印刷屋がディスクロージャー専門会社へと進化できたその理由とは?
競争しない競争戦略という本をもとにした記事です。プロネクサスという超ニッチ企業を理解するために、その歴史を振り返りたいと思います。話は長いですが、もしよろしければお付き合いください。
ディスクロージャー・IR資料を作成する際の実務支援を行う専門会社
戦後間もない創業期に、単なる印刷屋であることを嫌い業務を徹底的に絞る
創業は1930年12月で、亜細亜商会という名前でした。単なる印刷屋になることを嫌い、1947年に「亜細亜証券印刷」を設立し、株券や証券の印刷に特化した証券印刷の専門会社を目指します。この時の志が今のプロネクサスの業務に通じているとも言えます。
1974年の商法改正の波に乗る
1974年に商法が改正され、商法特例法(通称)が制定されたことをきっかけに、招集通知など株主総会関連の印刷需要が急増します。
競争しない競争戦略 には「その頃から同社が注力したのが、有価証券報告書の印刷だった。有価証券報告書は、それまでは経理部が作成していたものをタイプ印刷していたケースが多かったが、同社はその受注に集中した」とあります。
しかし、プロネクサスのサイトを見ると有価証券書は証取法(現 金融商品取引法)に関するビジネスとあるので、ここは本が間違えてるかもしれません。
「ディスクロージャービジネス宣言」を1985年に公表
商法改正の波に乗ったあともそこで満足せず、企業の担当者とも勉強会を重ねて、証券取引法分野に進出。1984年に上場申請書を初受注、1985年には有価証券報告書も初受注し、証取法分野のビジネスも広げていくことになります。
電子開示の波にも乗る
有価証券報告書等に関する電子開示のEDINETが2001年に稼働が開始され、2004年に義務化されます。
印刷業務を主軸にしていた企業が2001年時点で既にシステムインフラの構築やデータセンターの建設を始め、さらに関係する会社を買収…さすがに凄すぎます。
そして2003年にはEDINETに対応した開示書類作成支援システム「エディッツ・サービス」をリリースします。
どうすれば企業として、このような危機感と行動力が身につくのでしょうか?
XBRL(事業報告専用コンピュータ言語)にも対応
まずはXBRLの説明
XBRLなんぞ、宇宙語はやめてという感じだと思います。私もそうです。金融庁サイトを見たら、分かりやすいかもしれない?PDFを見つけたので、この中にある図をもとに説明していきます。
先ほど紹介した電子開示システムのEDINETが2008年にXBRL対応なりますが、それまでにEDINET入力した数値や文字は、単なるテキストです。
例えば入力情報をコンピュターが解釈しようとしても、単なるテキストなので、どこに売上があるのか、単位の通貨がなんであるかが全然分かりません(検索をかけて一致させて無理やり解釈することは可能ですが…)。
それが上の図にあるように、XBRLではこれは「売上」とか、通貨単位は「円」ですということが、日本だけではなく世界共通のルールで定義されます。従って、コンピュターも容易に解釈ができますし、日本語書類から英語書類への変換も一瞬です。なんとなく、こちらの方が便利そうですよね。
タクソノミとかインスタンスとかディメンションとか、なんか色々用語はあるようですが、まあ本当に必要になったら覚えたらいいと思います。どうしても気になるかたはこちらから勉強してみてください。
XBRL対応サービスを即座にリリース
EDINETの2008年XBRL対応にあわせて、開示支援「PRONEXUS WORKS」を即座にリリースします。
投資家向けディスクロージャーを全面サポートする企業
印刷業から始まったプロネクサスはシステム化の波に乗っただけではなく、投資家向けの情報開示(ディスクロージャー)業務をコンサルティングも含めて、全面的にサポートする企業へと成長しました。
企業が情報開示する上で必要な様々な業務においてプロネクサスが絡んでいるため、大日本印刷や凸版印刷などの大手企業が参入しようとしても容易ではありません。
【龍成メモ(プロネクサスの強みの源泉は?)】
プロネクサスという会社はなぜここまで危機感を持つことができ、そして節目節目で俊敏に行動できたのでしょうか。さぞ凄い企業理念があるのかと思い確認しましたが、正直言って非常に平凡な内容で他の会社と社名を入れ替えても成り立ちます(あ、作った方、すみません。。。)。
何か目に見えないものや創業以来のこだわりがある気がします。私が勝手に気になったことを以下に列挙します。
創業者の執念が社の伝統に
「印刷技術の最高峰」「東洋一の株券印刷会社」「印刷屋と呼ばれたくない」「信頼を買って頂く」は創業者上野一雄氏が抱いていた志です。
印刷屋なのに「印刷屋と呼ばれたくない」という矛盾に、アンドルー・グローヴのOnly the Paranoid Surviveのようにも似たParanoidな精神を感じます。
創業期からテクノロジー企業だった。その遺伝子が今に
創業期に手掛けた株券は偽造されたら無価値になってしまいます。従って改竄(かいざん)されないための高い技術が必要になります。
創業期のかなり早い段階から情報セキュリティ体制の構築にも注力しています。
つまりテクノロジーを中心に置くという考え方やセキュリティ意識、その後の電子化・デジタル化に必要な要素が、デジタル化の前から会社の中に存在していたということになります。
ユーザー中心設計思想
同社は1983年に商法・証取法セミナーを開始、1990年にも株式公開セミナーを開始しています。1995年にはディスクロージャー実務研究会を発足。そしてコンサルティングサービスも充実させています。
自社商品の売り込みのためのセミナー、そしてコンサルティング自体で儲けるという考えもあると思います。しかし、同社のサービス展開を創業から追いかけていくと「顧客と接点を持ち続け、顧客の業務を深く理解することで新しいサービスを創造する」という姿勢が垣間見れます。
このようなユーザー中心のサービス設計思想も、プロネクサスの強みの一つではないでしょうか。
創業家が引き継ぐ創業DNA
1976年に創業者上野一雄氏が急逝した後は、第2代社長として上野守生氏が引き継ぎます。
そして2010年に上野剛史氏が社長に就任し、上野守生氏は現在は取締役会長です。
名前から判断する限り、全て創業家が社長に就任しているように見えます。経営理念やMission・Valueには落ちてきていない重要な考え方を、創業家がしっかりと引き継ぎ経営に反映しているのではと思います。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像
#プロネクサス #投資家向け情報開示 #ディスクロージャー