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ダルマを知る(≒自分が人生でやるべきことを知る)

以前、気分転換がてら渋谷スクランブルの11階にあるTSUTAYAで、なんとなく本を眺めてました。そこで偶然出会ったのが「自分に集中する技術」という本でした。

ジェイ・シェティという英国出身、アクセンチュアで働いた経験やインドで僧侶のトレーニングを経験したこともあるインフルエンサーです。彼の本を久々に読み直してたら興味深い記述があったので、一部をご紹介します。

ダルマとは?

ダルマをネットで調べると様々な定義が出てきますが、この本では「情熱+専門的能力+有用性=ダルマ」と定義しています。

しかし、これでこの本の「ダルマ」という言葉を完全に説明できるかと言えばそうでもなく、多義的で多面的な言葉です。

「ダルマ」という言葉は、他のサンスクリット語の多くがそうであるように、一つの単語に訳すことが難しい。「天職」に近いと言えなくもないが、僕は「ヴァルナ」と「セーヴァ」が合わさったものだと思っている。「ヴァルナ」は、その人にとって大好きであり得意でもあること、そして「セーヴァ」は世の中のニーズを理解し、無死の心で他者に奉仕することだと思って欲しい。きみが得意で好きなこと(ヴァルナ)が普遍的なニーズ(セルヴァ)と結びついて、人生にの目的になったとき、きみはダルマを生きていることになる。

自分に集中する技術(P191)

テニスが大嫌いだったアンドレ・アガシ

Andre Agassi | Twitter

アンドレ・アガシは、かつて世界ランキング1位を獲得し、テニスの世界四大大会に8回優勝した経験があり、さらにオリンピックの金メダルも獲得しました。

しかし「テニスを始めたのは父親に強制されたからであって、テニスに対しては嫌悪感しかなかった。とてつもない成功を収めて巨万の富を築いたという事実も、本人にとってはどうでもよかった」とこの本にあるように、本人はテニスを嫌悪していました。

このことは、アガシの自伝『Open』に詳しく書かれています。以下、The Guardianの記事で語られているアガシのテニスに対する思いです。

『私は比較的、若い。36歳だ。でも、まるで96歳のように目覚めるんだ。20年間、疾走し、急停止し、高く跳び、激しく着地してきた私の体は、もはや自分の体のようには感じられない。その結果、もはや私の心を自分のものとは感じられなくなった』

つまり、他の人からすればテニスを通して、あらゆる面で大成功を収めているように見えても、テニスはアガシにとってのダルマではなかったということです。

若くして大成功を収める必要もない

現代の若者はさまざまなプレッシャーにさらされているが、中でも最大級のプレッシャーは、短期間で大物になれ、というものだ。(中略)ぼくらの多くは、20代のうちに天職を見つけてその分野のトップにならなければ、人生は終わりみたいに感じている。
(中略)
その風潮のおかげで、24歳で世界の覇者にならなかった人はもちろんのこと、大きな足跡を残してきた人たちでさえ、深い不安と抑うつに陥っている。早咲きの成功者の多くは、成功を維持するためにとてつもないプレッシャーを感じている。

自分に集中する技術(P198~P199)

この話の後に、本では遅咲きの成功者に関する話が紹介されています。「早期の成功者より、遅咲きの成功者は最高の生き方を手に入れる」という本も出てくるので、興味がある人はチェックしてみてもよいかもしれません。

【龍成メモ】

え??!ここで終わりなの?ダルマの見つけ方は?という声が聞こえてきそうですが、私も気になります。どうやったらダルマが見つかるのでしょうか。本を読んだら分かるかもしれません。私も改めて読んでみます。

それよりも「普段感じてる「成功」のイメージは本当に正しいのか?」「憧れの対象や成りたいと思っていた自分は、メディアに刷り込まれた偽りの成功像なのでは?」という話がよかったので、そしてそこに気づくことの方が大事だと思ったので、紹介させて頂きました(私も改めて認識させられました)。

また、「現代の若者はさまざまなプレッシャーにさらされている」という話は、言われてみて初めてその悲惨さに気が付きました。

確かに同年代や少し上の人がテレビなどで、「10代の社長の成功」とか「スーパー高校生の海外大学入学」という話を、毎日メディアから聞かされていたら気持ちが落ち込むかもしれません。

Photo by Raimond Klavins

#ダルマ #自分に集中する技術 #ジェイシェティ #自分探し

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龍成(りょうせい)
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