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紙飛行機を飛ばして。 #リライト金曜トワイライト


 駅から階段をのぼり、何時だったかあなたと見たあの丘から広がる海の景色を、僕はひとりぼんやりと眺めている。あの日と同じように茜色に染まる世界に身を委ねながら、違っているのは隣にいたはずの彼女が色褪せた手紙に変わってしまったことだ。折った紙は飛行機となり、海へと向かって放り投げたはずのそれは、僕の頭上でゆるやかに回転したあと、足もとにぽとりと落ちた。

 言葉に夢を乗せて、ふたりで投げた紙飛行機は、強い風に吹かれて、何処か僕の知らない場所を目指していつまでも飛び続けていたのに……。



N.Yに行くことになったの……。

 覚えていますか。遠く離れていくことを告げるあなたの言葉は、今も僕の耳に残っています。もう待ち合わせの時に高い背で目印になる必要も、そばにいて手を握って頷いてあげることもなくなるのだ、と気付かされたあのやり取りが、僕にとっての恋人同士としての最後の会話でした。

 終わりからはじめる手紙を許してください。

 手紙の中だけでも鮮やかに結びたかったのです。僕たちの関係は、確かに美しいものであった、と。

 あなたは最近あの丘に行きましたか。僕はあなたから届いた手紙を携えて、久し振りにあの丘を訪れてみました。駅のすぐそばの階段をのぼった先にある小高い丘から見渡せる景色はあの頃と何ひとつ変わっていませんでした。だけど、すべてが違うんです。

 夕陽の色に染まるあなたがそばにいないと……。
 誰と見るかで、世界の見え方までも変わってしまうみたいです。

 あなたから貰った手紙はもう色褪せていました。引っ越し作業をしている時に、見つけたのです。僕はあの丘から紙飛行機を飛ばしてみました。覚えていますか。あの日も、ふたりで紙飛行機を飛ばしたことを。僕たちそれぞれが夢を綴った紙飛行機は、海風に乗って、遠い未来へと続いていきました。

 あなたから貰った手紙も同じように、強い風に飛ばされて、その紙飛行機はまた僕から離れて、海の向こう、何処かへ行ってしまいました。



紙飛行機、つくってよ……。

 覚えていますか。願いを込めた紙飛行機をつくって、とねだったのが、あなただったことを。沈んでいく夕陽を眺めるあなたはすこし寂しそうでした。あなたのことを振り返るといつも頭に浮かんでくる言葉があります。

 近づいてくる未来と終わっていく時間。

 あなたが大切にしていた未来を、僕は知っているようで知らなかったのかもしれません。いまでも変わらないのでしょうか。あなたが描く、その未来に僕の不在を感じて、不安を抱いていました。あの頃のあなたは何を追い掛けていたのでしょう。もし今のあなたにそれを聞ける機会があったとしても、僕は聞かないはずです。本当は答えなんて聞かなくても、僕はすでに分かっているのですから。



いつの間にか終わっちゃったね

 仕事しかない人生なんて嫌だな。
 私は仕事したーって思って死にたいよ。

 覚えていますか。そんな会話があったことを。あの日はふたりで冷酒を呑みながらソファに並んでテレビを見ていました。試合後のヒーローインタビューを受ける投手がファンに笑顔を振り撒いている姿を嬉しそうに見ているあなたの姿を見ながら、苦々しくなってついそんな言葉が出てしまったことを、僕はよく覚えています。そんな僕の心を見透かすように、くすり、とあなたは笑いました。あなたは僕の耳たぶを軽く噛み、そして唇を重ね、抱きしめ合いました。唇が冷たかったのは、冷酒のせいでしょう。そのひんやりとした感覚が、僕の記憶を今も刺激するのです。

 仕事に対する価値観のずれにはずっと気付いていました。だからこそ僕たちは近付き、離れることになったのかもしれません。



お腹、減っちゃったね

 うち来てなんか食べる?
 ほんとうに作れるの?

 覚えていますか。そんな会話もありましたね。お互いが仕事で追われる中で、ぽんと小さな空白ができるように現れた何気ない一幕こそ一番大切だった、といつも何気なさを失ってから気付く……神様って、とても意地悪だな、と思います。冷えた日本酒に似合う料理だ、と僕の作ったひき肉レンコンはさみ揚げをお塩にカレー粉を混ぜて小皿に盛ると、あなたがお盆を持ってきて運んでくれました。

 僕はあなたの後ろ姿に見惚れていました。久し振りの何気ない日常の中に、いつもと違う結わいた髪の、あのお祭りの日のあなたを見つけたからです。



あのね。企画が通ったんだよ

 覚えていますか。あのお祭りの日を。

 結わいた髪からなぜかマシュマロのにおいがしたような気がして、その甘さに胸をどきりとさせている僕に気付いた様子もなく、あなたはポーチから取り出した飴玉を手渡してくれました。

 初めて担当したその新譜が、あなたにとって大切な一曲になったことは知っていました。ノベルティの飴玉まで、誇らしげに眺めるあなたを見ていると、僕まで誇らしい気持ちになりました。

 あの頃の音楽業界はチャンスに溢れていましたね。
 そのCDはミリオンセラーへ駆け上がり、今もどこかのお店で流れていることでしょう。

 実は歌詞に初めて耳をそばだてた時、僕はあなたとの日々を重ね、僕にとってもその曲は大切なものになりました。僕とあなたが同じ、大切、を共有していると信じて疑わなかったのです。

 お祭りからすこし離れた長椅子で、ふたり並んで座り、缶ビールを呑みましたね。遠くから聞こえる花火を背景にしながら、ひそかに感じる小指に、そっと触れ合う肩に、気恥ずかしさで見上げた空は、緋色に染まる雲が流れてビルで見えなくなりました。

 焼きそばの香りに、金魚すくい、そしてラムネ。今もそれらすべてを鮮やかに描き出すことができます。

 お祭りに限った話ではありません。
 あなたといた日々、そのすべてが特別だったのです。

 素敵な日々をありがとうございます』



 僕以外、誰も触れたことのない一通の手紙がある。

 僕の想いを乗せて、あの日、丘から飛ばした色褪せた彼女からの手紙は、風に吹かれてもう僕の手の届かないところへと流れていった。捨てられなかったのは、もう一通の、僕から彼女へと宛てた、僕の想いだけだった。僕の手紙でつくった紙飛行機は何度飛ばそうとしても、僕の頭上を回転したり、僕の周囲をうろつくだけで、いつまでも僕のもとから離れることはなかった。

 今もこの手紙は僕の部屋に残っている。この手紙が彼女のもとに届くことはないだろうけれど、捨てずに持っておこうと思う。読み返しはしない。彼女への想いを奥底にしまう、お守りみたいなものだ。

 もし、世界のどこかですれ違ったら、笑って手を振って、通りすぎることができるように。

 僕はこの街で生きている。

                           (了)



【※ここから下は作品の解題をしています。作者は後書き、作品解題がとても苦手な人間で、あまり人に薦められる解題ではありません。それでも良い、という方だけ進んでください。実は作品よりも、作品解題のほうが長いです】


 かなり久し振りの企画(コンテストも含めて)の参加です。今はほとんどの企画には参加していませんが、やりたいことはやる、というスタンスは変わらずなので、すこし緊張しつつも今回参加することにしました。

 理由としては、小説に直結する企画で何よりも池松さんの恋愛小説が素晴らしかったからです。

 実は池松さんとはやり取り自体はすくないものの、noteを始めたわりと初期の頃から池松さんのことは知っていて(確か知るきっかけになったのは、第一回の教養のエチュード賞だったと思います。だからnoteをはじめて三ヶ月目くらいの頃かな、と)、以前、とある記事の中で「人生で、何かのコンテストで選ばれたことが一切ない自分は無冠の帝王だ。すごいだろー(笑)」(大意)と書いたことがありますが、実はとある企画で池松さんの面白かった作品の一本に挙げてもらったことがありまして、本当に嬉しかった覚えがあります。その時、池松さんが私の作品を「美しい」と評してくれた(はず……)のですが、こうやって定期的に繊細な恋愛を紡いでいる池松さんのほうが、私なんかよりもずっと美しい文章を書く人だと思います。

 どちらかと言うと、私は美文や繊細な描写が苦手なほうなので。

 今回のリライトのポイントを、という池松さんからのお願いがあり、作品の解題は苦手なのですが、久し振りにすこし書いてみたい、と思います。多分、作品内容に大きく触れる解題は一年ほど前に、これも初期からの知り合いの方とやり取りして以来でしょうか。誰かは言いませんが、多分意外と思われる気がする、というか、お互い今も変わらずに創作活動が続いていて、嬉しい限りです。そのひとがこれを読んだら、「あ、私、そういうの興味ないんで」とか言いそうだな……汗 まぁそれもひとつの魅力なわけですが。

【リライトのポイント】ですが、まず私にとって一番の難題は、「どこまでがリライトなのか?」でした。まず絶対的なルールとして決めたのは、設定だけ拝借して後は自分の物語として書くことはしない、です。それだと二次創作で、リライトからは逸れるかな、と思ったのです。とはいえ過去に一度だけ二次創作に挑戦したことがあるのですが、その時と創る過程は似ていました。

 とにかく読むことです。かなり読み返しました。

 当たり前のようですが、大切なことなので太字にしました。その中で、この作品で印象的に使われているのが〈紙飛行機〉、情景が立ち上がるという意味で〈あの丘〉という表現も中心に据えたい、と思いました。

 池松さんの文体には紙ヒコーキと片仮名の表記が合っているけれど、私の選択した文体、というか、気軽に文体を他のひとに合わせられるタイプではないので、私の作品ではすべて紙飛行機に統一しました。ちなみに池松さんのオリジナルでは、〈ダイヤル式の旧く黒電話を”ジーコ””ジーコ”と指で回しても、恋は廻りません。〉という文章が導入で差し込まれるように、物語自体にはっきりとした時代設定はないものの、片仮名表記が多用されていても自然とすんなり入っていける近過去の雰囲気が最初から作られています。こういう嫌な感じのしない軽妙さは私には真似できないですし、また真似するものではないかな、と。

 オリジナルの色や、核となる部分を壊さないように気を付ける、という意味では、はっきり言って自作を書く時よりもずっと緊張感があります。

 これは池松さんの恋であり小説です。私のそれを書くなら、土台から自分で創りたい。だから今回、私がやるべきことは池松さんの、池松さんだけの物語に、新たな見方を加える努力をしてみる。

これは池松さんの恋であり、とは書きましたが、〈恋愛小説〉を書くのに相応の経験は必要か、という意味で言えば、私は徹底的に「No!」を貫く立場です。ただ書く以上、とことん〈恋愛〉というものに興味を持ち、熟知していなくても熟知しているように振る舞うくらいの姿勢は不可欠だ、と自分に言い聞かせています。

 ただここからは考え方の分かれるところだと思いますが、文体を自分の慣れたものにする、というだけのリライトはしたくない、とも思いました。それはリライトではなく、小説のノベライズであり(不思議な言葉ですね)、オリジナルの形をしっかりと残したもうひとつの作品(それ単体でも成り立つもの)が存在するような形にしたいという思いがありまして……。

 構成の変更とすこしだけ設定を追加しました。

 構成は、一人称→作中作(手紙)→一人称という形を選択して、作中作は終わりから始まりへと時系列を遡行させながら、(物語の雰囲気としての)色調は暗いものから明るいものへと転じていく内容を採りました。これはオリジナルの作品が別れを書いていても、鮮やかで明るい印象が残るので、そこを際立てたい、と思ったからです。

 私がもともとミステリやホラーばかり書いてきた人間なので、ミステリという程のものではないですが、文中にすこし騙しの要素も入れました。おそらくここに自分の色が出たのではないか、と思います。ただあくまでもオリジナルの色が消えないように、やり過ぎないことには気を付けました。ふたりの関係性を表す部分にも設定の追加はあります。この辺りをどう思うかは、読んでいただいたひとに判断してもらうしかなさそうです。リライトとして有りなのか、無しなのか。

 手紙の各エピソードに〈覚えていますか〉という語り掛けを入れたのは、オリジナルで使われていたその言葉が印象に残り、〈回想〉という要素をより強めたかったからです。際立たせたかったという意味では、オリジナルと同様、私もかぎ括弧を外した会話文を多用する人間で、読む側はそんなことを気にする必要はまったくありませんが、そこにはある程度、こだわりがあったりします。

(こういう実作論的なものを書くのめちゃくちゃ恥ずかしいので、今回だけです。内緒ですよ~)

 大抵、使うのは周囲の喧騒やざわつきから離れた場所にある雰囲気を出したい時、あるいは声にならない声を書きたい時。声にならない声、というのは、ぶっちゃけて言えば、幽霊の登場人物とかが多いですね。もちろんオリジナル版に対する池松さんの意図は池松さんにしか分かりませんが、せっかくたったふたりしか登場しない恋愛譚なのだから、その周囲にざわめきのない透明感を際立たせたい、ということで、

 手紙の中の、太字部分と、

 仕事しかない人生なんて嫌だな。
 私は仕事したーって思って死にたいよ。
 うち来てなんか食べる?
 ほんとうに作れるの?

 の前出ししたふたつのかぎ括弧なしの会話を強調するために、〈本来なら〉かぎ括弧を使って書いてもいいような文章は極力排するスタイルを採りました。

 いわゆる手紙の途中で、書かなかった例で言えば、

 きっと私の人生で一番大切な曲になるんじゃないかな、とあなたは持っていた飴玉を僕に手渡しました。

 みたいな、「きっと私の人生で一番大切な曲になるんじゃないかな」、と置き換えても良さそうな言い回しはできるだけ使わない、ということですね(できるだけ、と書いたのは、今回の作中に一箇所そういう言い回しがあり、気付いた上で直さなかったからです。内容との親和性を考えて、直しは入れませんでした)。

 リライトが楽しい点について言うと、自分の文章に普段使えない表現を取り込めるところです。例えば私の作品には料理の描写なんてほとんどないですし、言葉ひとつ取ってみても、〈茜色〉なんていう言葉は自作では一度も使ったことがないような気がする……その作品に合っていると思えるから使える言葉や表現があります。それはすごく楽しい。

 ……くらいかな?

 最初に書きましたが詳細な作品の解題を普段は書きません。まぁでも初めてのリライトでの恋愛小説ということで、慣れない続きでこんなことをしてみるのも悪くないのかな、という気持ちで書きました。

 最後に、とても素敵な作品のリライトを提案してくれた池松潤さんへの感謝とともに終わりにしたいと思います。

 創作と掛けまして、恋愛と解く。その心は?
 どちらも勘違いしないと、続かないでしょう。

 ありがとうございます!

※ちなみに以前も書きましたが、私の創作品はすべてnote内で楽しむ分には、リライトや二次創作など自由に使ってもらって構わないので、どうぞご自由に~(悪用は駄目ですよ~)。

(初リライト。実は以前、ある方の小説をリライトしようとして断念したことがありました。その方に許可を取る前で良かったな~、となった記憶が……。今回は完成することができて、良かったな~、という記憶として残ります)