同窓会の案内状への返信
困ったぜ。何が、って? あぁこれだよ、これ。
「あなたはなんでnoteを書くのか?」だって。そんな質問が届いたんだ。誰でも自由参加らしいんだけど、
〈よみがえる遺産の同窓会のノリで…!楽しくnoteしましょう!〉
っていうことで、知り合いのチェーンナー氏から俺の名前入りの同窓会の案内状が届いたんだ。
えっ、なんでそれが困るのか、って……?
ほらっ、あれだよ、俺はいまそんなにnoteにいないだろ。はっきり言って、部活なら幽霊部員として扱われちゃうレベルだぜ。そんな俺が、自信満々に、noteって俺にとってさぁ、なんて語るのも気恥ずかしいし、俺自身がお前なんかが語るな、って思っちゃうわけよ。
それにもうひとつ理由がある。俺の場合は多分、前提が違うんだ。どういうことか、って……? うーん、なんと言ったらいいのかな。そうだな、俺はnoteが好きか嫌いかで言ったら好きだとは思うけど、それはいまになって考えればそう思うだけの話で、noteを書きたいから文章を書いてる、というよりも、書きたいことがあってたまたま選んだらnoteだった、って感じなんだ。もちろんどっちが良い悪いの話じゃなくてね。だから俺には答える資格がないような気がして。
最近は他の小説投稿サイトでの活動も多いから、noteにいるひとなんてイメージも減ってきているんじゃないかな。
だから困ったな、と。でも参加はするんだね、って……? せっかくのお誘いだし、ね。それにむかし槇原敬之も歌ってたじゃないか。同窓会の案内状、欠席に〇を付けた、なんて。
まぁとはいえせっかく問いを投げてもらえたんだ。noteを書く理由は書けないけど、小説を書く理由については考えてみないとな、って思ったんだけど、これは前にちょうど答えを書いていたな。
私は痕跡が欲しいのかもしれない。私自身が後悔しない、確かな痕跡。そんな〈自分だけの〉物語にひとつひとつ近付いていく――あるいは作ろうとする――ことが、私の創作への原動力の大きなひとつになっているのは間違いなさそうだ。
私が死んでも私の作品は残る、なんて文豪みたいなことは欠片も考えていない。
もっとちっぽけで、でも結構大それたものだ。
私は知りたいのだ。私が、私だけの物語を書いたことを。私は気付きたいのだ。私が、私だけの物語を書けることに。きっとその願いは叶わないまま、私は消えてしまうだろう。叶って欲しくないのだ。叶ったら、もう自分は何も書かなくなるだろうから。
結局やっぱりこの願いは叶っていなくて、まぁそれは当然のことで、そのままでいい、と思っている。永遠に残ることもなく、そんな痕跡をぼんやりと探しながら、俺はこれからも書くのかもしれないし、見つけられないことに嫌気が差して書かなくなるのかもしれない。
筋書き通りに進まないほうが、きっと小説も人生も楽しいのかもしれない。
チェーンナー氏もこんな返事を受け取って困惑するかもしれないですが、久し振りに企画に参加ができて嬉しいです。これは本当です。
一番乗りを目指して書いてみましたが、多分こういう時は一番になっていないだろうなぁ。