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僕が見た怪物たち1997-2018「人間へ、2018」②

「人間へ、2018」①

 大木くんと話し終え、喫茶店から出ると、買い出しから帰ってきたマスターがいて、すれ違いざまに会釈を交わす。大木くんに聞かされて彼が同級生だ、と確信したが、その前から見覚えのある顔に懐かしさは感じていた。

「お代は、さきほど彼にお渡ししました」

「ありがとうございます。またぜひ、お越しください」

 穏やかな笑みを浮かべたマスターは、僕の正体に気付いているだろうか。いや気付いているわけがない。もしかしたら僕と同じように、見覚えがあるくらいには思っているかもしれないが、自信を持って僕の本名を指摘したりは無理だろう。同級生だった、ということさえ、彼のほうは知らないのだから。

 大木くんにも喫茶店のマスターにも、自分の本当の名を明かすつもりはない。この村に、僕の本名を聞いて得する人間はひとりもいない、と知っているからだ。わざわざ迷惑を掛けるために、僕はこの場所を訪れたわけではない。

 大木くんとの話は思ったよりも長くなってしまったが、僕にとって重要な話を色々と聞くことができた。

 かつて通った母校、栗殻小学校はその喫茶店からとても近い場所にあり、僕はそこまで歩くことにした。久し振りに栗殻村を訪れた目的の中に、学校へ行くことは織り込まれていない。それでも懐かしい気持ちとともに、あの頃の僕が憎むしかできなかった学び舎をもう一度、網膜に焼き付けたい、と思ったのだ。

 栗殻小学校は僕の通っていた当時から、生徒数はすくなかったが、いまはその半分よりもさらにすくない、全校生徒三十人程度の規模になってしまっているそうだ。少年時代に、僕が通学路にしていた道のりに沿って歩く。十年経てば、多くの光景はほとんど形を変えてしまうが、この村はあまり変わらない。良くも悪くも昔のままだ。でもどれだけ似ていても、あの頃とまったく同じなんてことはなく、どこを歩いても、初めての場所にいるかのように違和感だらけで、だけど学校との距離が縮まっていくうちに、その引っ掛かりは減っていく。似ている。だけど違う。それでもあの時と変わらぬ同じ場所に僕はいる。なんとも不思議な感覚だ。まるで時間を戻すように、遠い未来から幼い自身を見つけるように。

 僕は校門の前に立ち、ひとつ息を吐く。疲れか不安か、感慨なのか、その息に混じる感情は自分でもよく分からない。

 僕の背があの頃よりも高くなったからだろうか。それとも色々な世界を見知ったからだろうか。そこにいた時は僕の世界のほぼすべてにさえ感じられた巨大な檻は、もうどこにでもある公共の建物でしかなかった。

 僕はその建物に背を向けて、また歩き出す。

 向かったのは、公園だ。僕を人間から怪物に変えた、というあのトイレはもう撤去されて、そこには残っていない。

 僕はベンチに座ってスマホを取り出す。呼ぶ相手は決まっている。先生も、もうこっちに着いている頃だろう。あとは僕がここにいることを伝えるだけ――。

 ……いや、その必要はなかったみたいだ。

「先生……」

「まったく、いきなり音信不通になった、と思ったら、今度は栗殻村まで来て欲しいなんて、ね」

 栗殻村にいます。会えませんか。僕が言ったのは、それだけだ。

 公園の反対側から歩いてくる先生は、僕がここに来ると確信して待ち構えていたのだろうか。だとしたら本当に……、なんて鋭さだ。

「よく分かりましたね。僕がここにいる、って。先回りでもしてたんですか?」

「さぁね。……まぁそもそもあなたが、栗殻村で用のある場所なんて、そんなにいくつもないでしょ」

「先生と、ずっと話したい、と思ってたんです」

「いままで色々とふたりで話してきたじゃない。なに、変なことを言ってるの?」

「そういう話ではなくて……。いや、分かって言ってますよね。あの日の話ですよ。先生の気持ちは分かりませんが、僕はその話をずっと避け続けてきました。僕は知りたい。あの日のことを。それがどんなものであろうとも、真実と向き合う、その覚悟を決めるために、ここを選んだんです」

「あの日、ねぇ。あなたが怪物になった日?」

「いえ……違います。僕が怪物になった、と先生が僕に嘘をついた日のことですよ」

「不思議なことを言うのね」

「自信はなかったんです。だからきちんと先生と話して確かめよう、と思っていたんです。でも切り出せないまま時間だけが過ぎていく。……実はついさっき本当に偶然なんですけど、確信しました。先生の言葉を通してではなく、こんな形で確信してしまうなんて思ってもいませんでしたよ……。やっぱり……、あの日……、僕は誰も殺していなかったんですね」

「なんで、そう思うの?」

「さっき僕が誰と会ったと思いますか?」

「さぁ? 誰かしら」

「岩肩くんですよ。彼、いまは喫茶店のマスターをしているんですね」

 先生が本心から驚いた顔を、僕は人生で初めて見た気がする。

「人間へ、2018」③