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原作ゲームファンが見る「Amazon primeドラマ 龍が如く」前編

龍が如く。
20年続く人気ゲームシリーズ。
実在の街をモチーフにした架空の街「神室町」と、日本の裏社会を舞台にした作品で、人間ドラマを主に描くアクションゲームです。
最新作のナンバリングは8。
実写映画や舞台など、メディアミックスもすでに多作品存在しています。
そんな人気作品「龍が如く」が、今回Amazon primeでドラマ化。

これは原作ゲームファンがこのドラマを見た感想を記事にしたものです。ネタバレもあるので、見る予定の人は読まないでくださいね。


まえおき

そもそも実写化ってどうなのよ?論

実写化って、いる?
みたいな疑問があります。

もちろん成功することもあります。社会現象とまで呼べるほど人気が出て、知名度が爆発的に上がり、原作の漫画や小説が飛ぶように売れる。
デスノート、ちはやふるなんかは超成功例と言えますよね。
そこまで成功しなかった場合も、作品自体にもともとファンがいるのである程度の興行収入は見込めます。
無名のタイトルをいきなり実写化するよりも、ギャンブル性が低くなることは利点ですよね。提供する側にとってそれは大きなメリットだと思います。
加えて、漫画原作だとイメージがある程度作り上げられていることもあって、期待するものと大きく乖離しない(無闇にオリジナリティを出したり、予算がなさすぎることでむしろ大乖離!みたいなことはありえますが)というのは、見る側のメリットと言えるかもしれません。

しかし失敗することも多いのも事実。
(作品名、挙げたほうがいいですか?)
漫画やアニメを好むファンほど、実写化作品で落胆したことが1度くらいはあると思います。
「原作とは違うけど、まあこれはこれで」なんて自分を納得させられる程度の作品に仕上がっていたらラッキーで、もう泣いて怒って記憶から抹消して一生「あの作品、実写化なんてしてないよ」って言い張る十字架を背負うことになる……なんてこともあります。

原作ファンからしたら、実写化はギャンブルで、成功して人気が出ればもちろん嬉しいけれど、逆をいくこともありえます。
ただ、もし原作を知らない(漫画や小説をほとんど読まずに、映像化作品のみを見る、俳優さんを目当てで見るなど)人が、新たに好きな作品に出会えるきっかけになりうるのは明確にメリットと言えますよね。

私は漫画も小説も好きで、アニメもよく見ます。映画やドラマも好きなので、実写化された作品もたくさん見てきました。十字架もたくさん背負いましたが、面白いと思える作品になっていたときは嬉しかったです。

そんな私個人の、実写化というコンテンツへの考えを述べると、実写化はしてもいい(ただし原作に利がある形なら)というのが結論です。

原作者の意向を無視するとかそういうのはもってのほかとして。

実写化の時に払われる原作使用料は微々たるもので、映画がどれだけ売れても印税的なものは入らない…みたいな話を某漫画家先生がしていましたね。原作の売り上げが上がらないと、原作者はその恩恵を受けづらいということになります。

原作が売れるには。作品自体の知名度が上がるには。
「それなりに成功する」というのが最低ラインなのではないか、ということです。

「それなりに成功する」ということ

実写化作品が「それなりに成功」すること。
それはそれなりに話題になること、とも言えます。

今の時代、SNSなどで話題になることは作品が売れるためにとても重要です。まず原作を知らない人からしてみれば、実写化作品だって「面白いかどうかもわからない無名のタイトル」と変わりがない。
そこを、原作を知るファンが先に見て作品の評価をする。
その評価がポジティブなものであれば、口コミは広がって、原作を知らない人たちの耳にも届き、「面白いかどうかもわからない無名のタイトル」ではなくなります。
「〜〜の演技がよかった」
「面白かった」
「原作好きだから見たけど、面白かった」
そんな意見が出てきたらもう成功です。

対して。
先んじて公開直後に時間をとって見るような熱心なファンの意見が、ネガティブな方に振りすぎていたらどうでしょう。
熱心なファンゆえに、原作を蔑ろにされたことを許せない。期待をしているからこそ、想像よりもよくなく上がってきたものを許容できない。
見た感想をSNSでタグ付きで、いかに悪く、いかに想像よりもダメで、原作とどう違うのかを喧伝しないと耐えられないわけです。だって怒っているからね。
それは悪いことではもちろんないです。SNSで自分の意見を述べることも、タグをつけてその意見を拡散することも、本来のSNSの使い方であって悪いことなど一つもありません。

ただし、少なくとも作品が「それなりに成功する」可能性は、摘み取ることになります。

気に食わない作品を褒めそやせというわけではなくて。
「ファンが厳しくて、ヘタな作品作ると燃えるからやめとこう」は、今後の原作の展開にも影響を及ぼすことがあると思うんです。

え?「クソなメディアミックスされるぐらいなら放っておいてほしい」?
うん、まあそれも一理ある。
でも忘れちゃいけないのは、一人だけのファンではIPはやっていけないんです。お金が集まり、人が集まり、そうしてIPはより太く長く続いていく。大元が儲かれば、続編もできる。
厳しい目は結構だけど、そこを意識するかどうかで、発信の方法や言葉の選び方も変わってくるんじゃないでしょうか。

まあ気に食わなかったのは仕方ないんだけど、ハッシュタグつけて、龍が如くの本編シーンを流用してまるでキャラクターに文句言わせるようにするのはうまくないな〜とは思っています。
そういうのは、やめたほうがいいよ。


おまたせ!本編だよ

ビジュアル!うんうん

龍が如くはほぼデフォルメしない写実に近いゲームだし、実際に俳優さんを起用することも多い作品なので、人物ってものすごくリアルなんです。
それでもメインキャラはオリジナルのキャラだから、モデルの俳優さんを直接連れてくる!みたいな手は使えません。

だとすれば、ビジュアルそのままの再現は諦めた方がいい。
ヘタにやると、コスプレパーティになってしまうからです。そういう失敗実写化もたくさんありましたよね。

桐生さんは、竹内涼真さんはたいぶ上品な顔立ちでいらっしゃるので、桐生一馬の無骨で男らしい顔の方向性とは違うけれども、体はしっかり作り込まれて、見栄えがよいです。刺青もかっこいい。

錦山を演じる賀来賢人さんはとにかく顔がかっこいい。錦は甘めの整った顔立ちなので、雰囲気は出ている気がします。とくにオールバックにしてからの厳しい余裕のなさそうな神経質な雰囲気なんか、とてもよさそう。

竹内さんと並ぶと、もうヤクザじゃなくてホストになったほうが稼げるだろうと突っ込みたくなる顔面偏差値の高さ。見栄えがいいですね。

主人公にすらゲームのキャラクター人気1位を譲らない真島吾朗役は青木崇高さん。狂気的で破天荒なキャラクターで風貌も特徴的なので、この配役はとても重要です。PVでお姿を見たときは「これはいけるな」と感じました。真島が良ければ、他にアラがあっても多少は目を瞑れます。それくらい眩しいキャラクターですので。

他のキャラは現実に沿う形で作り上げられていれば問題なさそう。ビジュアルは概ね大丈夫そうです。少なくとも、コスプレパーティにはならないでしょう。まずは一安心。

PV!うんうん…?

2本目?あたりのPVが出たくらいで、ちょっと界隈がざわついた。

そのきっかけが「俺は堂島の龍になりたいんです」というセリフ。
桐生が口にするこの一言が、ファンの脳内に?を浮かばせたのです。

心の中のマキマさんが怖い顔をしている
「桐生一馬は堂島の龍になりたいなんて言わないの」って言ってる

堂島の龍は目指すものじゃなくて生き様に後からついてきたものでしょ

PVを見た直後のツイート

なんていう怪文書をツイートしました。

龍が如くのなかで、龍の刺青には特別な意味がありました。
龍を背負う桐生一馬の生き様が、それを特別なものにしたのです。

龍が如く2では、「関西の龍」という二つ名をもつ極道と戦うことになります。郷田龍司は、東の桐生に対して西と冠することに憤りを感じており、「龍は二匹いらん」と、桐生に迫ります。
たった一匹の龍であることに強く拘る龍司に対して、桐生の態度は一貫して「そんなのは重要じゃない」というものでした(最後にはちょっとイイこと言ってましたけどね、売られた喧嘩は買うたちなので)。

その後発売された龍が如く0では、同じ東城会に所属し、同じく龍の刺青を持つ渋澤という男が桐生に対して、「お前を殺し、風間を超えて、俺ぁ"堂島の龍"になる」と口にします。
彼は、極道として最後にものを言うのは、金でも腕っぷしでもなく、看板、いわゆるカリスマ性だと述べ、それを桐生の中にみた渋澤は、頭角を表し始めていた桐生と、その後ろ盾であるところの風間さんを下すことで自分の格を確固たるものにしようとしたわけです。

それに対する桐生の返答は「看板は自分で書くものじゃない」でした。
カリスマ性は欲して手に入るようなものではなく、生き様に勝手についてくるものだと答えたのでした。

そんな桐生一馬が、ゲーム内では絶対に言わないセリフ。
それが「俺は堂島の龍になりたいんです」です。

原作に思い入れのあるファンは、ドラマは大丈夫なのか?と心配し始めました。公開されたシナリオも、原作ゲームとは大きく乖離し、おまけに言いそうにないことをいう主人公。

ツイッターでトレンド入りするほど膨らんだファンの不安に、ゲームプロデューサーがコメントを出してフォローを入れました。優しいね。とりあえず原作サイドが許諾していない改変ではないという確証が得られただけでも、私は一安心したのでした。


そして開くフタ

そしていよいよ、ご開帳。
いや、違う部分が多すぎてもう挙げたらキリがないんですが、とにかくシナリオが全く違う。改変箇所も多くて、キャラクターの人となりも全く異なる形に。

孤児院で育ててくれた風間さんへの憧れと恩返しに盾にもなる気持ちで組入りするのと、 孤児院での生活が退屈で堂島組がケツモチしてるゲーセン襲ってケジメつけて見出され組入りするのでは生き様が違うじゃん

私のツイート

【原作】
桐生さんと錦は、孤児院ひまわりで育ててくれた風間さんへの恩返しと強い憧れでもって、極道社会に足を踏み入れます。
もちろん風間さんは子どもたちをヤクザものにしたくなくて、殴ってでも止めたけれど「止める権利があるのか?あんたも極道なのに」といわれちゃあもう何も言えず。ただし東城会のなかでも、自分の風間組でなく、最も力のある堂島組に二人を入れるのでした。これは僅かながらの親心で、極道入りするならばちゃんと成り上がっていけるように気遣ったという意図がありました。
物語スタート時点で由美は高級クラブセレナでホステスとして勤務。3人は、よい幼馴染の関係を継続しています。
錦の妹は、こちらではとても病弱で、長く難しい病に侵されています。作中に登場はしません。

【ドラマ】
風間さんはそもそも極道出身であることを子どもたちに隠していました。組も抜けて、ひまわりで子どもたちと一緒に暮らしています。
孤児院の中でも年長の桐生・錦・由美は、ひどく風間さんに反発を抱いていて、孤児院を出て早く自由になりたいと考えているようです。
その結果行ったのが、ゲームセンター強盗。
金を得て孤児院を出るはずが、杜撰な計画で身元が割れ、ヤクザものが孤児院に押し込んできました。襲ったゲームセンターは、堂島組がケツモチする店だったのです。
ヤクザの店を襲って無事でいられるはずもなく、金を返すために桐生と錦はマグロ漁船、由美と錦の妹はキャバクラで働くことに。
しかし桐生は堂島組入りを志願します。曰く、昔見た地下闘技場での龍の刺青をもつ男の戦いに憧れ、堂島組入りして闘技場で戦いたいと望んでいました。実力を見せた桐生は認められ、堂島組入りを果たしました。
残った錦も、小指を詰める根性を見せながら、堂島に対してあなたみたいになりたいと言い、気に入られて組入りを果たします。

組入りまでの話だけでも、ここまで異なります。
キャラクターは名前が同じでもほぼ別人。境遇が異なれば性質も異なるのが自然ですよね。

龍が如くの名前を冠する必要があったか?と言われれば、その通りだと思います。これなら全く別作品としても通用する気がする。
ただ、異なる世界線、IFを描いたと言えば納得できる部分もあります。

風間の選択によって分岐したIF

ここまで話が異なったきっかけがあるとしたら、風間さんに原因がある気がします。これは彼の選択の結果分岐したIFルートなのではないでしょうか。

原作では風間さんは極道のままです。
そもそもひまわりという孤児院は、東城会のヒットマンだった風間さんが親を殺して孤児になった子どもたちを引き取るための施設でした。

風間さんは東城会の中でも一二を争う超武闘派でありながら、頭脳派でもあります。その先見の明は誰もが一目置くほどで、陰ながら東城会の内側、また外側とのパワーバランスを調整する役割を担っています。敵対組織との戦争を避け、海外組織への牽制のために東城会の力をキープしながら、また内紛が起きないように手回しもする。彼のおかげで今の東城会があり、大きな問題も起こらずに平和が保たれています。

風間さん自身、自分の役割が重要なことを知っているでしょう(彼のことを目の上のたんこぶと思っている人が多くいることも)。
だから風間さんはヤクザを辞められないし、辞めていない。

子どもたちへの罪滅ぼしのために用意したひまわりですが、具体的に施設運営に関わることはしていないでしょう。カタギの子どもたちと極道の自分が関わることをよしとしない人だし、資金援助を主に、時々顔を出す程度だったと思います。それでも桐生と錦が心酔していたことを思うと、そのカリスマ性にも納得がいきます。

そんな風間さんの行動を、偽善だと言う人もいました。
洗脳して自分の兵隊にするためにそんなことをしているんじゃないかと。
たしかにその行動は罪滅ぼしというには浅い。風間さんの人間性を思えば、子どもたちに真の意味で贖うなら、極道を辞めるという選択を選びそうです。しかし前述の理由から、原作の風間さんにはそれができなかった。

このドラマは、東城会よりも子どもたちを選んだところから始まっているのかもしれません。原作では選べなかった選択を、もし風間さんが選んだとしたら?という、IF。
だとしたら結構面白い。そういう選択を選んだ場合、どうなっていたのか。そういう同人誌が出ていたら、買っちゃいますもんね。

原作の風間さん、実は描写が少なくて、実際そこまでの人だったのか?という疑問を呈されがちな側面があります。
桐生が投獄されてから、桐生と同じくひまわりの子どもである錦山に対するフォローの描写はほぼ無く、元々錦に比べて桐生をひいきしていた(実際していたかはともかく、錦からはそう見えていた)ことも追い討ちとなって、その後錦はいわゆる「闇堕ち」してしまうことになります。
それほど頭がキレる人なら、錦のことももうちょっとなんとかしてあげられたのでは?という疑問は当然のものと言えますよね。

そういう見方に対して提示されたIFとしては、結構面白いんじゃないかなとは思うんですよ。実際、子どもたちのために組を捨てたのだとしたら(組を思えば合理的な判断ではなかったとしても)、それができる風間さんのほうが、人物としては好ましいですから。
子どもたちからの信頼があまりないのが切ないところですが…。まともな反抗期を迎えていることを喜ぶべきなんでしょうか。

原作の堂島組長はもっとしょっぱいキャラクターだし、しかも風間さんのライバルポジションにあたる嶋野組組長がもっと力を持ってるうえに野心家で抜け目ないひとで、風間さんがいなくなると均衡が崩れる状況だったのに対して、ドラマでは(組が安定しているので)辞められた、みたいな側面はあるのかもしれないですね。


そんで、良かったの?悪かったの?

そこにリスペクトはあるんか?

実写化に大切な要素。それはリスペクト。
ファンなら気づく小ネタをちょろっと入れてみたりとか。
小さいことでもいいから、原作をリスペクトしていますよと示すことが大切です。そういう小手先のものを嫌う人もいるでしょうが、ファンが実写化に求めることって、結局はそういう心なんですよね。

劇場版龍が如くなんかはこれをうまくやっていて、原作に登場するお店やアイテムをうまく使っていました(あれを無かったことにしているひともいるので、まあ難しいところなのですが。私はわりと好きなんですけどね)。

いまのところ、ドラマ版にはわかりやすい小ネタは少ないです。
セリフとかは少しあったかな。でもそれは俳優さん自身が原作から持ってきたオマージュな気がします。なんでも監督から役者さんへ「原作はやらなくていい」みたいな指示があったとかいう話を見かけたりもしましたから。

わかりやすい小ネタを仕込むこと、その大きなメリットはファンを抱き込めることにあると思うんですよ。
「僕たちも原作のファンです」と如実に語ってくれる作品を、ファンはこき下ろさない。ファンを味方につけることができる最も簡単な方法は、ファンをニヤッとさせるのです。わかってるねぇ、と思わせるのです。

それをしないなら、小手先を使わないなら、それ以外の部分で勝負することになります。これは難しい。期待に胸を膨らませたファンの納得のいくものをお出しすることは、簡単ではありません。


勝ち筋はどこだ

いいんですよ、原作と乖離していても。
ストーリーが違っても。映像がチープでも。戦闘がしょっぱくても。

実写化の一番狙いやすい勝ち筋、それは「(原作とは違うけど)これはこれでアリ」と言わせるところです。写実的な再現が弱くても、キャラクターが違っていても、話が面白ければそこそこ許される。それが映像化です。

そもそも龍が如くは任侠ものの人間ドラマ。Vシネとかよりもうちょっとライトな感じだけど説得力はある極道組織の描写、シリアスだけどドラマティックなストーリーラインが魅力です。

ファンも自ずとその辺りが好きな人たち。つまり、「龍が如く」でなかったとしても、しっかり任侠ものをやって、ストーリーが肉厚で、キャラに魅力があれば、面白がってくれる可能性はあるわけです。

しかしドラマ版、正直、そこが…そこが甘いと感じる…!

一番残念だと思うのがここです。
「龍が如く」ではないことや、桐生さんが桐生さんらしくないことより、そこが問題です。

桐生さんの目的が組入り(闘技場出場)で、そのためにあえて堂島組のシマの店を襲ったのはまあいいですよ。地下闘技場で戦うのは別に組員ではなくない?とは思いますけどね。まあかつての堂島の龍が組員でファイターだったんでしょう、そこを目指したのなら納得しましょう。

やり方は杜撰だし、他三人を危険に晒す極めて悪手ですが、まあまだ子どもですからそういうこともあるでしょう。極道というものへの理解が浅いのも納得です、だって身近に極道がいませんからね(風間さんは隠してましたから)。

しかし、極道が自分達の店叩いたガキを組入りさせますか?
闘技場で戦わせて、勝てたら…て。ファイターになって組を稼がせるからやらせてくれ、ならまだわかりますけど、組入りて。
それだとケジメをつけたことにならんくないです?そういうの、極道が一番嫌う展開じゃないですか?

え?風間さんが指詰めたでしょって?いやいや、カタギさんの指なんか受け取れませんよ。なんで指詰めてるんですか?それはヤクザのケジメですよ。あなたカタギですよね?どうしたんですかほんとに。

錦、お前もどうした?マグロ漁船嫌だった?
マグロ漁船嫌だからなんとか組入り志願したみたいな流れですよね。それはどうなの?組入りさせる堂島さんもなんなの?いいの?それで。

真島の目をえぐったのは堂島組長でしたね。ということは真島さんは堂島組なんですか?
原作では真島さんは嶋野組で、目を抉るのも嶋野なんです。親が子に折檻する形ですよね。
嶋野組なら、真島冴島が二人で勝手に動いたのも納得できるんですよ。印鑑確保してオヤジの手柄にすべく(嶋野の指示で、あるいは嶋野のために独断で)動いていたなら。
しかしその場合、失敗したなら責任をとるのは嶋野ですよね。それか、勝手に動いた真島さんたちを折檻するのは嶋野ではないですか?

でも二人が堂島組なのだとしたら、なんで真島冴島は勝手に動いたんだろう。ハンコ確保のメインのルートが渋澤・桐生・錦で、真島冴島が勝手に動いた結果死人が出たと言うことなら、組がお上に差し出すのは渋澤じゃなくて真島たちのはずじゃないですか?
うーん、これは私の読解力がないのかも。

冴島死んじゃったし。なんでや。
こんな雑に扱うなら、登場させなくてもよかったのでは。
ま、まさか「小ネタ」のつもりじゃないよね。渋澤とか阿波野出してきたみたいに…ま、まさかな。ファンの愛着あるキャラクターを使い潰すのを小ネタでやるのはチョーー悪手ですよ。
ここだけはちょっと、擁護ができない。冴島が好きな人は多分見たら傷つくと思います。
終始ニヤニヤしてる冴島、ちょっと面白かったけどね。

後半3話の公開はまだなので、まだこの先どう転ぶかわからないんだけど、それにしてもちょっと極道組織に冠する描写がちょっと甘くない?と感じてしまうのは確か。極道ものとしては…イマイチかな。3話に渡って見てみても、いまのところ組の人にカッコイイ人や魅力的だと思えるキャラクターがいません。
強いて言えば真島さんはカッコイイけど…それは原作ありきの評価ですからね。ドラマ版のみ切り離してみると、まだコレというキャラが存在しないように思えます。


褒めれるところはないのか

いや、ないことはない。
映像はかっこいい。PVに使われているような、竹藪で黒衣の極道が歩いてくるシーンとか、由美の乗る車が落下するシーンとか、出所後の桐生が喧嘩するシーンとか、階段の踊り場でお酒酌み交わすシーンとか、すてきな画だなと思うシーンはありました。

あと個人的に良かったのは、背景の描写かな。生活感のリアリティがげーむよりも強いですよね。

冒頭のひまわりもそうだけど、四人で掃除して住めるよう整えた銭湯。あれはとても良かった。龍が如くだと、ああいうの、本当に倉庫みたいな雑多な部屋になると思うんですよ。8の一番のヤサみたいな、ごちゃごちゃした倉庫。
でもドラマはちゃんと、ミホの女の子っぽい雰囲気があったり、男女で寝る場所を分けてたり、男のほうは雑な感じだったり。ああいうリアリティはすごく細やかですよね。ゲームでは難しい部分だとも思うので、ドラマならではの良さだと思いました。

あとは堂島組に連れて行かれた後に組長たちと食事するシーン。部屋の狭さがそれっぽい。龍が如く、極道の部屋をだだっ広くしてしまう癖があるので(戦闘とかあったりするし、小さい部屋とかそもそも無理なんですよね)あのこじんまり感は良かったですね。

遥の人形遊びもよかったなあ。道着を着てるリカちゃん。なんか遥っぽい、と思っちゃいましたね。あれはなんか好きでした。

ドラマとしての良さは、そういうところに現れてるんだろうな、と思いました。


劇場版龍が如く…よかったよね。

私はもともと結構好きでしたよ。
でも原作ファンには厳しい評価をする人も多かったのは事実です。
そもそも劇場版は、ゲームをやっていることが前提になっているので、本筋の話はかなりダイジェスト。あれだけ見た人は何が何だかわからないと思います。
ただ、原作をプレイしていれば話の大筋は説明しなくても理解できるし、重要なシーンはしっかり実写で描いてくれてる。
全体的に重たい話だけれど、ちょっとシュールな笑いも取り入れていて、そこがとても龍っぽい。キャラクターも少々オーバーに色をつけつつも、基本は原作に忠実。ゲームに登場する固有のアイテムやお店を出して、ファンをニヤッとさせる。
ファンサービスに徹しながら、龍が如くらしい人間ドラマもしっかり描いてるんですよね。本筋以外の「サブストーリー」として。
ここがオリジナル要素で、龍が如くを知らない人に本筋はちょっと難しくても、このオリジナルの部分でしっかりみられる作品にしていたと思います。

同じ実写化、ドラマ版と比べられるのはこの作品になるでしょう。その方向性は異なり…、どちらがいいかは好みにもなると思います。


ちょっと面白いこと言っていい?

桐生が憧れた「堂島の龍」、渋澤だったら面白いよね。

いや、まあストーリー的には風間さんなのかな〜とは思うんですよ。風間さんは原作でも脱がない(龍が如く、大事な気合い入れた戦闘の前には上半身裸になってモンモンをお見せするお決まりがあります)のです。
だから彼の背中がどうなってるのか分からないんですよね。
もしかしたら…龍なのかもしれない。
それなら、原作どおり憧れたのは風間さんの背中だったことになるので、まとまりが良くなりますよね。

(個人的な気持ちとしてはね、風間さんの背中が龍なのは嫌だなってずっと思ってるんです。それだと錦が惨めすぎるから。
桐生さんの背中は龍で、錦の背中は鯉なんです。
二人は同じく風間さんの背中を追いかけて組入りします。
桐生と錦は兄弟分で、お互いにリスペクトし合う同格の友人同士でしたが、錦は桐生に劣等感を抱いていました。一番近くに長くいたからこそ、桐生のもつ特異なカリスマ性に気づいていたからです。
鯉は滝を登りきると龍になる(が、まだ龍ではない。鯉のまま)というのが、彼自身の在り方をそのまま示しています。

これで風間さんの背中が龍だったら救いなさすぎません?あんまりじゃないですか?しかも風間さんの背中になにが描いてあるか、二人が知らないはずもないですよね。
ああ悲しい。想像しただけでマヂ病む。)

でもね、ドラマ版にわざわざ渋澤の兄貴出してきたじゃないですか。

原作の渋澤は、龍が如く0で登場したキャラクターで、0の時点で堂島組の若頭補佐でした。同じく若頭補佐の久世・阿波野と三人で、誰が若頭になるかを争っていました。
少なくとも、ドラマ版の渋澤は下っ端にしか見えません。桐生と錦の兄貴分としてアイスを奢ってくれたりしていましたが、原作の渋澤とは全く異なるポジションです。
そんなキャラクターの名前を、わざわざ龍を背負う「渋澤」にした理由ってなんでしょうか。原作には登場していないんだから山田でも斎藤でもいいじゃないですか。でも渋澤なんですよ。

渋澤は龍が如く0の桐生サイドのストーリーのラスボスにあたるキャラで、その喧嘩強さも確かなものとして描かれていました。
「堂島の龍になりたい」というのも原作では渋澤が口にしたセリフ。
もし憧れた背中が渋澤だったら…というのも、原作を前提にしたIFとしては、なかなか面白い選択と言えると思うんですよね。

まあ、冴島と一緒で小ネタ的に出てきただけかもしれません。
なんか、捕まったしね。

サイの花屋の話していい?

いい?ありがとう。(原作の)サイの花屋めっちゃ好きなんだよね。

ホームレスたちを率いて活動する、ヤクザにも簡単に手出しできないほどの金と力を手に入れた元警察官の情報屋、サイの花屋。
ホームレスに占拠された公園の地下に、賽の河原と呼ばれる超下品な花街を作って、違法カジノや地下闘技場で巨額の金を集めている。
さらにその裏では、神室町中の監視カメラをハックして情報を集め、カメラのないところにはホームレスを派遣してスパイさせる。街中どこにでも花屋の耳と目が届く。
そんな影の権力者、原作では謎多き底知れないキャラクターです。

まあそこに至れた理由が、「手柄を立てて堂島に取り入ったから」なら分かりやすい。納得感がすごい。ドラマ版の花屋はネズミ男のような強かさでそこへ上り詰めたようです。

原作の花屋は「それをしてないのにそこに至った」ことで只者じゃない感出してたんですよね。
つまり、ドラマ版はしょっぱく死にそう。大丈夫かな?

なんかオペレーターがファンキーなファッションのおばちゃんで、ジョン・ウィックを思い出しました。
てかオマージュだよね?多分。でも花屋はホームレスを率いてるから、その枠はおばちゃんでもいいけど、ホームレスっぽい風体の人の方がハマったと思うよ。
どう考えてもIT弱者っぽいシワっぽい汚い格好の住所不定そうなおじいちゃんが、華麗にタイピングしてスマートに報告上げてるのとか見せたら、すごいッポいと思うんだけどなあ。


3話まで見た総括

まだ3話、まだ半分。
正直大事なところにはまだ話が届いていないので、今の時点では評価も何もない、というのが正直なところ。

原作と違うところを挙げまくればキリがなく、原作と同じものを期待した人には向かない作品になっているのは確か。シナリオだけじゃなくキャラクターまで変えてしまっているので、ファンからは厳しい意見が多くなっています。
「原作と同じである=作品の良さ」ではないとは思いますが、ここから先の話が面白くならなければ、評価を覆すことは難しいでしょう。
ドラマ版龍が如くに残された勝ち筋は、「これはこれでアリ」しかない。

  • 桐生の「親殺し」。殺されたのは堂島?殺したのは桐生?何があったのか

  • 出所後の時系列に未だ姿を見せない錦山の妹はどうなったのか

  • 桐生が憧れた「堂島の龍」とは誰なのか

  • 由美の姉の目的は?

  • 近江連合から盗まれた金の行方は?

  • 面をつけた人物は何なのか?

原作では堂島が殺されるのは由美に手を出したからで、錦が手を下し、それを庇った桐生さんが投獄される。桐生さんが出所した時のために、受け皿を作るべく奔走する錦は、桐生への罪悪感や劣等感で折れてしまう。

ドラマでは錦の妹に何かされて、桐生さんが堂島を殺した?のが自然なのかな。錦を庇ったのだとしたら、出所後にああいう会話にはならない気がするし、桐生さんがもう神室町には戻らないとか言う理由がない気がする。
でも由美の態度をみるに…そんな単純な話でもなさそうですね。

正直「堂島の龍」と幼馴染たちの話だけでも十分シナリオ回せそうだから、近江から盗まれたお金と、組員が殺された話、いる?みたいなところはある。由美の姉はドラマで生えてきたオリジナルキャラだから、なにか意味はあるんだろうけど…。

残り3話は来週。
また公開されたらすぐ見て、感想を更新したいと思います。


ま、とりあえず評価は最後まで見てからにしようぜ。

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