視線について
1人での電車での移動中。イヤホンを耳に突っ込み、radikoで好きなラジオを聴きながら、何もやることがないのでスマホを開く。
スマホを開いたは良いものの、調べたいこともやりたいゲームもない。結局LINEニュースをサラッと見て、スマホを閉じる。そして眠たくもないが、とりあえず目を瞑っておく。
こんな場面がけっこうある。電車内での過ごし方は、スマホを見るか、寝る(時たま寝たふり)かの2択になって久しい。
本当はラジオの会話をBGMにしながら、視線を前に向けてボーッとしていたい。ただ、なんとなくボーッと前に視線を向けるという行為が異端のように思えてできない自分がいる。
今や電車内を見渡せば、視線をスマホの画面上に落としている人が冗談抜きで9割くらいを占めている。他の人はというと、眠りについて視線をシャットダウンしているか、本や新聞に視線を落としているか。ボーッと前に視線を向けている人物などほぼ皆無に等しい。故にボーッと視線を前に向けるという行為に気後れしてしまう。
今や、検索も動画視聴も読書もスマホ1台で完結できるようになった。多くの人にとって、移動中の電車内の時間の過ごし方は、スマホ頼みになっている。
かつてガラケーを使っていた頃は、地下鉄内やトンネル内に入ってしまうと電波が遮断され、メール受信すら出来なくなった。今の電波の飛びっぷりは凄まじく、通信が途切れることはほとんど無くなった。その通信環境もスマホの一強化に一役買っているのだろう。
みんな取り憑かれたようにスマホの画面に視線を落としている訳だが、そんなにやることがあるのだろうか?僕はスマホゲームも電子書籍もほとんどやっていないので、とりあえず電車内で浮かない為にスマホをいじっているフリをしていることが多い。
周りの視線を気にして、スマホをいじっているフリをしている訳だが、そもそも周りの視線のほとんどは各々のスマホに向けられている。自意識過剰だなとも思うのだが、なんとなく無言の圧力が流れているように感じる。
きっと似たようなことを思っていらっしゃる方もいるのではないかと思う。