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五所川原 津軽金山焼の窯元のところに行って匠の話を聞かせてもらったら、今考えているデジタル経営のマネジメントのインプットとして刺激を受けまくった話。

青森、津軽金山焼。ご縁があって、窯元の匠にお話を聞く機会がございました。
津軽金山焼のweb: http://kanayamayaki.com/?page_id=34

窯元は、松宮亮二さん。匠です。一念発起して釜を作り焼き物を始めたのが35年前。もうこの時点ですごい。人生の後半で、情熱を傾けるものに一心不乱に打ち込める。その情熱。

本当に素晴らしいお考えの持ち主で、日本だけでなく海外からもたくさん窯元に学びたい人たちが集っていました。

聞いてきたことのいろいろなことは削ぎ落とします。でも大事なことが全部、今の経営におけるマネジメントに直結しているなぁ、と思えてきまして。

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私から見ると、匠は憂いていました。でも憂いつつも、それを次に繋ごうと行動されている。行動が先で、言葉が後。カッコいいなぁ。そういう生き方をしたいものです。

下記はあくまでも私の言葉です。窯元のお言葉を私なりに変換して理解しました。そのエッセンスは、以下です。

・歴史や文化が動いていく単位は100年。100年一区切り。

これは前回、料亭でお食事を頂いた際にもその大将からお聞きしたドキッとするスパン(長期的な時間的感覚)なのですが、100年って単位で見ているのは正直すごいなぁと。政治も、文化もビジネスも今は視野が狭すぎる。今、ビジネスって、10年もみてないのではないか?3年見ていたらいいところで、とりあえずの2年ってところでしょうか。多くの人たちは結局来年の1年を見て動いている(いまだに過去の遺産となるようなやり過ぎ感のある四半期管理を徹底している企業だって多いはず)。もう少し、もう少し長い目でみましょう。企業によるビジネスづくりも、政府による国づくりも。

・今、1200年を埋める活動をしている。それを埋めるには発想の転換が必要。普通にやっていたら出来ないことをどうやって埋めていくのか。

イノベーションのためには変化し挑戦し続けること。デジタル時代は特に変化が激しい。だとすると、常に変化し続けなければなりません。窯元として金山焼はもっとも新しい位置にいる(私が言うのもなんですが、、、新参者ということだそうです)。自分たちは伝説でも伝統でもない。だとするとどうやって次の伝統になれるのかを必死に考えて行かなければならないわけです。でも陶器ってのは今の日常の中でのスタンダード、当たり前ではない。だからどうやって生活に入り込んでいくのかを考えなければならない。

ここは、プラットフォームを持っていない企業がプラットフォームを作りそれをテコにユーザーの新しい(デジタルの)日常に入り込むのと全く同じメタファだと思います。発想の転換が必要。長年やってきた企業価値ではなく新しい価値で物事を見直すということだと理解しました。まさにサービスデザインやエクスペリエンスデザインを些細な日常に差し込んでいくようなイメージですね。

・日本は技巧や技能のバージョンがいくつも多義的に残っている稀有な国である。そういうバージョンの細かなものは、実は海外から見たら本当に欲しいものの一つである。

通常、多くの国は新しい技術が生まれたら前の技術を捨てるか駆逐させてしまう。または多くの人が新しい技術を追い求めるあまり前の技術に目もくれないで廃れていく。しかし、幸いにも日本では、歴史的に中国から半島を通して渡ってきたものが様々なバージョンで消されずに残っているようです。こと、焼き物に関する技法、技能が。
これは本当に意味のあることだ、と。それは、生み出した側の大陸にも、伝えることを価値にしてきた半島にも、もう無いもの。当時は、日本が村ごと持ち帰ってきた技術。そういうバージョンの違う複雑さを備えた「系」をまるごと理解すること、そしてそのコンテクストをしっかりと外に提示できることこそ日本の強い部分であるのではないか?ということだった。
日本からアピールすべきは、CoolやTechの前に上記の文脈を謳い輸出すべきであるのだと感じました。

・土を使って全て手を使ってものを生み出す(釜も自分たちで作っている。作ったもので作りたいものを作るという工程)という行為は本当に不思議で。なんとも言えない気持ちになる。精神衛生上も人の気持ちを改善させる力があるとわかっている。

もともと、窯元は精神ケアの一環として陶芸を取り入れたのが窯元となるきっかけとなったようです。土を触ることには何者にも変えがたい力があるのだとすると、それは多くの人の日常を救うことになるのかもしれません。デジタルでハックされていく世界では対極にある手触りのある行為行動、根源的な活動に絶対に救われる日が来るのでしょう。

雑談の中では小さい頃からの義務教育の中に陶芸があってもいいくらいでは?という話も。小学校の家庭科や図工など何かを扱うもの(例えば、のこぎりを使う、針を使うなど)は「心配」なことが多すぎて、きっとどんどんと制限をかけられているに違いないと想像します。火を扱うってすごい根源的なことだから、小学校で必須教材にしてもいいのではないか?という話まで発展しました。

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・これからAIの方が人間よりも賢くなるのは目に見えている。人は働かされることが多くなる。その時、人は「なんのために働くのか?」ということをもっと真剣に考えるようになる(あるいは完全に諦める)。諦めないのであれば、手触り感のある創作がこれからの多くの人の精神性を救う可能性は充分ある。

結局、多くの人がAIに対してディストピアを描かなくても「なんのために働くのか?働いているのか?」という問いに対して答えを探すことになるだろう、と。これはデジタル時代、AIが台頭する世界ではもう避けられないでしょうね。

・もう自分は若くはない。自分ではなく新しい世代に任せている。何が良いのかは自分の感覚ではなく新しい人たちに委ねることのほうがいいと思っている。彼らがやれ、って言ったことを(窯元として)私はやる。
(注:これは絶対的な師弟の関係性があるような職人の世界にあってなかなか言える言葉ではないと思う。そういう前提で聞くと、たんなる委ね方ではなく複雑な関係性であると感じる)

これは私がど真ん中で現在考えているテーマ。どうやったらマネジメントが自分の手綱を手放す条件ができるのか。

まず、手放す相手をしっかりと信頼できること。相手が上司だろうが部下だろうがメンバーだろうが、とにかく優秀でなければなりません。自分と同じくらいのコミットメントがないと手放すことはできない。逆に未熟だとマイクロマネジメントにならざるを得ないのは、今回の議論の前にある仲の良い部長さんと議論した時にめっちゃ盛り上がった点です。

自分の価値観が古くなり、もはや新しい時代にとって邪魔になるという感覚をどのようにして冷静に見れるのか、さらに、それを受け入れられるのか、というのは結構深いテーマです。

さらに、手放そうとしている管理は、メンバーの価値観によってその手放し方が変わるのかもしれないなぁ、とおぼろげながら感じています。

・これだけ焼き物のことばかり取り組んで必死にやって、いまだに課題ばかり。課題山積です。この課題をどのように解決していくのかを考えていたら寝る暇ないくらい。でもそうやって課題と向き合うことによって次につながっていく。

課題を扱うというのは決して悪いことなのではなく、それを解決するための活力、となるはずです。この根源的でシンプルな定理を多くの人が忘れている気がします。
課題に対して思考停止したり、解決のバーを引き下げようと画策しているのを見ると、目の前の短絡的で短期的なものしか見えてない感じがしてとっても残念になります。組織において、特にユデガエル状態で危機感のない組織に多いのかもしれません。

デジタル経営を推し進める際に、改革を阻むのが中堅と呼ばれたり中間管理職の意識であるってのをよく聞きます。トップや現場は危機感があるってのが理由ですね。で、「中間層はわかってない!」ってのが多くの主張されている声なんですけど、私は少し違う気がするのです。

ひょっとすると、中間層も含め多くの人は危機意識はあるのですが、この課題の認識の仕方や危機感のズレの方が大きい気がしてしまいます。

課題があるから努力する。課題を埋めるために試行錯誤する。そのために必要なコンフリクトを乗り越える。そういうメンタリティの中で人とチームは育っていきます。なので、課題認識が甘い人、課題設定が的確ではない人、課題の捉え方がズレている人、ってはチームで足をひっぱる存在になってしまう可能性があります。

・かつての、高度経済成長ってのは世界でどの国も人も経験したことのないほど幸せだったと感じる。自分たちには明確な夢があった。夢、があれば人は頑張れる。得たいものがたくさんあった。今の人たちには夢がない。それが残念だと思うし、難しい時代だと思う。

夢、ときましたか。確かになあ。成長したいとか、達成欲とか正直、二の次なのかもしれないですなぁ。

八戸の美味しい料理屋さんで掲げられた色紙には、吉永小百合さんが「いつでも夢を」と書いておりました。うん。いい言葉。

夢を抱いて生きるということは今の時代でも可能だと思うのですよね。それは幼少の時にどれだけ少年として、少女として夢を見たのかということと密接に関連している気がします。結局、教育というものの根源に何を伝えるのか、ということに尽きるのかもしれない。

小さい頃に夢見る力を自ら養えず、自己肯定することができなくて、いつも不安を抱えている人たちが、社会に出た時にそこからの後学的な要素で人は夢を見て仕事をすることができるのだろうか?

等々。

いろーーーんなお話をしてもらったんですが、本当にありがたいお話ばかりで。示唆深いんだけどなんだか優しい。

ご自身では、脱サラ(脱公務員?)して始めた当初は「鬼」そのものだった、とのこと。いや、、、想像を絶します。

そして、何度か「うちはお金をたくさん稼ぎたいわけじゃないんですよ」と。「お金は全くないけどね(笑)」と言っていましたがその本質は、
「私たちは金銭という価値観を"第一"で生きていない」ってことをお伝えいただいたと思います。

しかし、だからこそ、ですね。文化を技術を残すにはある一定の資金が必要でそれを価値観を残すために回せる力が必要だなぁ、って感じた次第です。

あと、本当に面白かったのは金山焼のという存在、五所川原の粘土質の土、そこから生まれた焼き物という存在、が他のものに与える影響がまだよく分かっていない、ということ。

水、を焼き物の器の中に入れておくと上手くなるらしい。鉄分とミネラルが増す。溶け出しているのではない、と匠は言いました。んん〜。でも確実にまろやかになっている、と。

・・・もちろん、水だけでなくビールも、日本酒も、焼酎も、きっとワインだって上手くなる。

ん〜〜〜。奥が深い。奥の深い話をたぶん、2時間くらい聞かせてもらった。とにかく楽しいあっという間の時間でした。また伺いたい!


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