何やるかより誰とどの環境でやるか
自分を意識し始めたのはいつ頃だろうか?
小学校だったかな
そのころは学校の頃トイレでうんこをするのが
恥ずかしい風習ができてて
漏らす限界まで我慢して帰ったあの頃
小学校にひたすら荒れた奴らがいて、それに従うのが嫌だった俺は
いつの間にか自分を閉ざしながら友達ってなんなん?
てずっと悩んでた
どう溶け込んでいいかわからんかった
なんで自由を自分で選択できない環境を恨んでた
田舎で小中一貫なため中学校も一緒の人ばかり
マジでつまらない
ろくな奴がおらんくて
関わらんようにしたいがそうもいかず
中一の時3年のヤンキー集団が本当怖くて
なんなんだこのクズ達はと
関わりたくない人となんで
わざわざ関わり持たなきゃいけねーんだよと
同級生の家庭が荒れている奴らは
その人達に従うようになり、関わりたくもない周りの奴らも
徐々に巻き込まれていく始末
その頃の俺といえば
ひたすら目につかないように、そろりそろりと生きてたんだけど
少6の時にクズみたいな奴が俺を制圧したがってて
その当時は勇気も自信もない
ひたすら恐怖に耐えてて
中学校ではそいつが俺の入りたい部活に入ったから
逃げる一心で違う部活に入った
その部活はとても楽しくてやっぱ環境なんやと
そこで自覚
何やるかより誰とどんな環境でやるかと
でもそう長く続かず
もう一人いた問題児が同じ部活に入ってきて
また俺の楽しい自由な時間を奪われると思うと
絶望だった
自分が楽しむための選択をしてきているのに
他の大嫌いな奴に自分の自由を阻害されるのは本当に理不尽
3年間では本当いかに
怒りを買わずに
問題児の目につかないよう細心の注意を払って生きてた
でも殴られたり
カバンを窓から投げられたり
金集金されたりと
今考えたら相当ないじめを受けていた
やり返してボコボコにしたい気持ちも
殺意さえ芽生えたこともあったけど
同類になりたくないとひたすら我慢するタイプだった
怖いしそんな勇気もなかったしな
家の人は喧嘩なんてもってのほかってタイプだし
いかに心配かけないように立ち回るかってかとに神経を過敏させていた
そんなことをするうち安心できるところがなくなって
給食の時間気持ち悪くなることが多く
吐くことも多々あった
それも気付かないようにトイレにこもって
今思うけど、周りが敵ばっかってところで安心して飯なんか食えないよな
中3になって思う
暴力や他人を支配したがる奴らがいない環境に行けるよう必死こいて勉強してやろうと
絶対そんな奴らが来れないところに行こうと
第1志望は市内1位の進学校にしようとしたが
同級生の中で複数行く人がいた
だから倍率が一番高くて2〜3人希望していた
市内2位の高校を志望校にした
もちろん俺以外のやつの成績はこんな小さい学校がゆえ
だいたい把握することができた
倍率的に受かる確率は低そうだなと思ってそこにした
もちろん俺も当落上にいたから本当に賭けだった
環境から抜け出せるなら勉強なんて苦じゃなかったし
絶対受かると思ってやってたから不安なんて微塵もない
受験の時周りが不安そうな顔をするのを見ると
逆に安心したくらい
今まで受けてきた事に比べればこんなもんと
結果合格する事に
他の奴らも男子は1人とも受からず
自分の目標を達成できたときは本当に嬉しかった
なんでこれを伝えたかっていうと
今いじめられている子や
環境で悩んでいる人や
それが全てだと思って絶望している人にも
外に出ればそんなことはないんだって伝えたいから
環境は自分で変えていくしかないし
周りは変えられないなら
自分で関わる人を変える
やることを変える
そんなかで自分が行き来できることが
見えてくるんじゃないかな
あんたの人生背負うことはできないけど
これ見てあんた自身で立ち向かえることを願ってる
この小中のことが原因で
周りに心を開くのが下手くそになった話は
また
機会があったら
@ryoryotanyan
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