ワルキューレファイナルライブツアー 作品を体験に変える劇中劇
リョオンです。
これは残したほうが良いと思った事だけnoteにまとめようと思ってるんですがTwitterで済ませちゃって8ヶ月ぶりの記事になっちゃった。
この度「マクロスΔ」からスタートした作品内ユニット「ワルキューレ」が8年間というとんでもない活動期間をいったん一区切りということで行ったファイナルライブツアーに関しての話です。
とはいってもたぶんセトリのアレがよかったこれがよかったとかそういった話は語り尽くされてそうなので、ワルキューレのライブ全体に包括してなにか書こうかなとおもって筆を取ってます。あくまでファイナルライブツアー良かったねというベースありつつワルキューレってここがすごかったんだよみたいな話ができればと。
今回のライブについてはたぶん後ろの方に書くのでそこだけ気になる人は前半のウンチクパートは読み飛ばしてほしい。(いきなり矛盾してない?)
あ、あと当たり前だけどΔ視聴済みの人に向けて書いてるから専門用語の類は解説しないからな。マクロスΔを見なさい。
前提として
なんだかんだマクロスに触れて10年近くになるマクロスオタクです。Fから入って全作品を視聴して以降ズブズブの関係。
人生で初めて行ったライブもクロスオーバーLive30。
身体の半分くらいマクロスでできてます多分。ワルキューレだけに抜粋して過去に参加したライブは以下の通り(無料観覧のイベントなども含む、ちょっと時系列はバラバラかも)
1stLIVEツアー東京公演
2ndLIVE1日目
Rock in Japan 2017
ラゾーナ川崎イベント
フレイア生誕記念ライブ
3rdLIVE両日
扇情のプレミアムライブ両部
あにゅパ!2018
クロスオーバーライブ2019
犬フェス ライブビューイング参加
ワルキューレはあきらめない 東京公演ライブビューイング
Walküre Reborn!両日
ファイナルライブツアー大阪公演両日、幕張追加公演両日
マクロス特有のライブ表現について
ここからはオタクのウンチクこねくり回しタイムです。
マクロスに限らずいろんなアニメのライブ公演やら歌手のライブなど見てきましたがマクロスシリーズのライブってほかの作品のライブと比較すると独特かなと思っていて、
作品のキャラクターが地球までやってきたというストーリーテリングがあって初めてライブが成立してるというポイントがある。
ワルキューレのライブもアニメの設定になぞらえて「地球のヴァール発生確率が上がったのでワクチンライブに来た」という前提の元ライブを行っています。
この前提があるのでライブの公演中だけマクロスの世界と現実の世界の時空が繋がって作品と現実がクロスするんですよね。
マクロスシリーズにとって、ただの楽曲を生でファンに聴いてもらう場所ではなくて作品とファンが本当の意味で繋がる場所がライブなんです。
僕はこの作品と現実世界がライブの数時間の間だけ繋がってキャラクターがデフォールドしてきたような空間が大好きでしょうがないです。
マクロスシリーズを好きになればなるほど、詳しくなればなるほどこの空間が楽しくなるから。
で、この作品世界と現実世界が繋がる不思議な距離感はマクロスシリーズが持っている「劇中劇」という解釈が深く関わっていると思ってます。
マクロスの「劇中劇」 ライブもマクロス世界の劇中劇である
多分ネットで「マクロス 劇中劇」とかで検索すると色々出てくるとおもいますが「なんか設定の矛盾が起きた時に言い逃れできる便利設定」とか言われてたりします。(これはかなり歪曲した見方だなとか思うけど)
ネットで調べても「なんかアニメ映像すべてが正しい情報ではない」みたいなふんわりした情報しか出てこないんですよね。
結局劇中劇ってなんやねん!って感じだと思うんですけど自分はいつも織田信長を例に出します。
織田信長ってよくフィクションの題材としていろんな作品に出てると思いますけどもうなんか作品ごとに全然ちがうじゃないですか。
主人公だったりラスボスだったり女性だったりなんなら戦国武将じゃなかったりする。
でもそれに関して「モチーフが歴史上の織田信長という人物である。」という部分がわかってればみんな何故か納得するじゃないですか。
あとはロミオとジュリエット。
アレは原典ではジュリエットが毒を飲んで死んでしまい結ばれない悲劇ですが、ジュリエットが死なずに結ばれる解釈とかたくさんありますよね。
マクロスはアレと同じことをやっていて
Δで言うならTVシリーズと劇場版のストーリーの違いがわかりやすいんじゃないかなと。
僕らが覗く事の叶わないマクロスの時空での正史があって、その正史を元に再解釈した作品が僕らの手に届いているわけ。
それはアニメ映像だけでなくてライブも同じできっと正史で本当にあったライブを再解釈した劇中劇を公演されているんだと思ってます。
これまでのワルキューレのライブ
上記の劇中劇の話を踏まえるとワルキューレのライブはワクチンライブであることを徹底していたように思う。
公演前の影ナレはキャラクターが行う。
アンコールのMC以外は基本的にキャラクターとしてやり取りを行うし、セットリストもアニメで流れた順とかではなくその日だけのセットリスト。(まぁ他のアニメ作品のライブでも似たものはあるとは思うけれど)
ライブ中頻繁に行われる中指と薬指を交差させたりピースを組み合わせてつくる「ワルキューレサインの交換」も「歌を聴くだけでなく、フォールドレセプター因子保有者とのコール・アンド・レスポンスや同じポーズを真似するだけでもヴァールシンドロームの発生確率を下げられる」というマクロス世界の設定考証に基づいたものだろう。
アニメの人気シーンなどを流す時も歌唱シーンの演出として使うことを心がけていた。
「ワルキューレの5人が自分達の所にワクチンライブに来てくれた」という事実をあの手この手で演出して演者の5人が声優・歌手ではなくキャラクターであることに説得力を与えるライブ。
Δ以前のライブからマクロスのライブはこういった傾向はあったのだがこの劇中劇ライブを表現として完成させ、ものにしたのはワルキューレの5人の努力とこだわりの賜物だろう。(もちろんそれを支えるスタッフや関係者の皆様もそうだ。)
個人的に印象深い所として記憶にあるのは、
この劇中劇としてのライブを特に意識していたと思う、美雲の歌を担当していたJUNNAさんのことだ。
彼女の担当していた「美雲・ギンヌメール」というキャラクターは他の四人と違い、歌唱シーンとそれ以外で担当が別れており
声:小清水亜美さん
歌唱:JUNNAさん
という形で別れていた。
JUNNAさんはこの2人で美雲という1人のキャラクターを演じることに強いこだわりを見せ、ライブのMCでは極力喋らないということを徹底してくださっていた。
僕はこの考え方はマクロスの劇中劇の表現にマッチしていると思っている。
彼女の喉から出る歌声は美雲だが、話す声は美雲ではないのだ。
それを悪い意味で捉えるのではなく、そのキャスティングを尊重、リスペクトして徹底してステージ立ったその姿は美雲・ギンヌメールそのものといっていい。
また、喋らないことで美雲のミステリアスな女性という側面の説得力にも繋がってたとも思う。
また彼女の考え方を尊重し、代わりにMCを行うメンバーやスタッフといった関係者に関しても非常に感謝しています。
彼女の1人のこだわりだけではワルキューレのライブはもっと違った形になっていたかもしれない。
代表的な部分にだけ絞って話したがワルキューレのライブではこういったキャラクターがこちらに来てくれるための細部のこだわりで作品世界を徹底して演出していたのだ。
ふたつのターニングポイント 2ndLIVE ワルキューレはとまらないとWalküre Reborn!
劇中劇としてのライブを徹底し、8年間という現在のマクロスの歴史の20%にも相当する期間を駆け抜けたワルキューレ。
「8年間ファンが応援し続けていたから続いた」と言ってしまえば簡単ではあるけれど、実際は「運営の見通し以上にライブ公演が成功し続けたから」だとおもう。
運営の見通しを超えたライブと言えばやはり語り草になっている当初予定になかった劇場版マクロスΔの制作にまでこぎつけた2ndLIVEだろう。
2ndLIVE ワルキューレはとまらない たくさんの偶然と5人の祈り
半年間のTVシリーズの放送を終え、マクロスΔ及びワルキューレの活動の一旦の区切りとして用意されたライブが2ndLIVEでした。
ライブDVDもリリースされてるので詳細は確かめていただいた方が早いのでライブの細かな内容は省きますが、最後の最後、「愛・おぼえていますか」の歌唱で5人が揃って大号泣。会場にいたファンもみんな同じ気持ちで泣いていたと思う。僕も泣いちゃった。
シリーズ展開を終わらせてしまうことに後悔を残し公演が終了してしまうのですが、現場に居合わせた河森総監督の鶴の一声で続編制作とそれに伴う楽曲制作やライブ公演が決まっていって…というのがことのあらましです。
あえてこの時のΔの世間的なイメージを書かせてもらうとこんな感じだったと思います。(あくまでも僕の感覚値なので違うぜって感じだったら申し訳ない。)
大ブームを起こした前作「マクロスF」には及ばない。という風潮。
Fのような作風を期待されていたので期待外れと思われてしまっていることが多かった。
(マクロスF 以降の河森正治作品だいたいこれ…。)アニメと同時期リリース想定だったと思われる歌マクロスがリリースできずメディアミックスも想定通りに展開できてなかった。
TVシリーズの脚本があまり評判が良くなく賛否両論気味(これには1クール+劇場版の編成から2クール編成に変更されたりなど制作上の都合が大きい)
上記のような状況から超合金など高額なグッズは売れ残りがちだった。(プラモはマクロスモデラーズもあり堅調だったように思う。)
こんな感じで向かい風が吹いている状態で、これが最後でもまぁ経営判断としては間違ってないかなと僕は思います。
ただそういった逆境に対して終わりたくないという願いを込めてライブに臨み、歌った事で流れが変わったんじゃないかなと。
歌一曲ですべてがひっくり返るのはマクロスらしくていいですよね。きっかけになった曲がファンに愛されて続けている名曲だったのもあったかも。
そんなたくさんの偶然と願いが集まってここまでの長期間の活動に変わったのは大きなターニングポイントだったと思います。
そこから続編アニメ制作やら新曲やらそれに伴うライブやら…
マクロスΔとワルキューレの取り巻く状況は大きく好転していきます。
そしてラストミッションに繋がっていく訳ですが、個人的にここまでにもう1つターニングポイントがあると思っていて、それが「コロナ禍」と「Walküre Reborn!」です。
Walküre Reborn! あえて劇中劇にしないワルキューレの新表現
完全新作劇場版に「絶対LIVE!!!!!!」にあわせたライブツアー「ワルキューレはあきらめない」が公開されたと同時に日本で新型コロナウイルスが急激に拡大。
ライブに限らずあらゆるイベントが中止、制限を余儀なくされてしまいました。
ワルキューレとしても「絶対LIVE!!!!!!」の公開時期に関して明言できない、ツアー詳細お披露目の無料観覧イベントが中止、ツアーも募集こそすれ東京公演以外は中止でオンライン配信という形で対応。という形であきらめないツアーは不本意な形で終わってしまいました。(この辺ちょっとうろ覚えです。間違ってたら指摘してほしい。)
そのツアーのリベンジ及び「絶対LIVE!!!!!!」の公開を記念して行われた公演が「Walküre Reborn!」でした。
ちょうどラストミッションのおおよそ一年前のタイミングで幕張メッセで行われた公演ではマスク着用、声出し禁止という形で行われ、今までのワルキューレのライブとは状況がかなり違っていたのが印象的です。
この公演では先述していたような劇中劇のライブという表現を取らず「絶対LIVE!!!!!!」の追体験という形のライブ形式を取っており、今までのライブでは相当異例の対応でした。(知る限り客演として出たロッキンとあにゅパくらい)
今まで作品と現実を繋ぐオリジナルのライブを使わず作品の追体験としたのはきっとコール・アンド・レスポンスでのやり取りといったそれまでワルキューレが得意としていた武器が使えない状況だったのが大きいと思ってます。(なんかインタビューとかで解説してる記事あったら教えてほしい。)
追体験になる以上、アニメで流れた順番プラスαというセットリストにならざるを得ず、映像演出と舞台演出による再現度の高さこそあれ以前のような縦横無尽さが減ってしまったなぁと思ったのをよく覚えてます。
星型のステージと六面体の全周型のビジョンは本当に素晴らしかったし、
ライブそのものは楽しかったけどね。
この追体験のライブ形式がラストミッションを大団円にした最後のピースだったと思ってます。
LAST MISSON 劇中劇と作品追体験のハイブリッド、最後の最後で花開いた新しいマクロスのライブ表現
はい、ようやくファイナルライブツアーの話します。長かったねぇ。
ファイナルライブツアーに関してはコロナ以前の「劇中劇としてのワルキューレライブ」と「コロナ禍のアニメ再現セットリスト」のハイブリッドだったと思っています。
正直最後の最後でワルキューレのライブ表現がこんなにも進化するとは思わなくてびっくりしてますし、参加したファンの満足度がその進化を物語ってるはず。
アニメの再現でもありIFでもある
セットリストの間にいくつか入る映像は完全新規と劇場版とTVシリーズの映像の組み合わせでした。
オーラ・サーラ〜光る風〜の歌唱からノータイムで繋がる完全新規の映像はマクロスエリシオンから歌を届けるハインツ、空中騎士団に見守られ出撃するワルキューレとΔ小隊といったウィンダミアとケイオスの和平後の世界が垣間見えるような映像。
フレイアはもちろん生きているがΔ小隊は劇場版準拠のチームになっているなどいいとこ取りの再解釈がなされたものだった。
この新規映像1つであったかもしれないΔの歴史の再解釈としてライブが成立しているんですよね。
映像1つで一気にマクロスΔの世界に会場に来たファンが繋がって行くのは流石の一言。
そこから怒涛の勢いで披露される主題歌、人気曲メドレー。
ほぼMCなしで一気に駆け抜け、振り返るワルキューレの楽曲たち。
ワルキューレの5人はアニメの映像に負けないくらい縦横無尽に花道を舞い、トロッコに乗り、(スタンド席に乱入し、)全てのファンのもとに会いに来る。
まさに歌とパフォーマンスだけでアニメのライブシーンを再現する試みはまさにマクロスらしい劇中劇のライブだった。
そしてこの新規の映像のあとにメッサーとの過去を振り返えるAXIAパート、ヤミキューレパート入るのだが、その際流れる本編映像はコロナ禍の中で学んだアニメのシーン再現に由来するものだった。
メッサーとの別れを振り返るカナメのモノローグから始まるAXIA、
絶対LIVE!!!!!!本編映像にあった敵勢力ヘイムダルのプロパガンダシーンとヤミキューレの3曲は戦いが終わりラストミッションに臨んでいるワルキューレとΔ小隊の回想シーンのような入り方とも言える。
ここからはウィンダミア、ヘイムダルとの戦いを楽曲通して振り返るのだ。
また、最終決戦の出撃シーンをマクロスエリシオンの発進シーンから持ってきていたことも見逃せない。絶対LIVE!!!!!!では、石塚運昇さんが亡くなった影響で登場出来なかったアーネスト艦長がこの映像を挟むことで最終決戦に参列している形になっている。完全新作でやりきれなかったことをライブの再解釈で成し遂げられたのも大きな要素だったと思う。
メッサーの自らの命を賭けた最後の戦い、ヤミキューレの破壊と絶望の歌、銀河争奪歌合戦。
TVシリーズと劇場版のハイブリッド映像で再現されるマクロスΔのシナリオは完全にライブ用に改構築された、激情の絶対LIVE!!!!!!と言って相違ないだろう。
この演出意図に気づいた時、最後の最後で新しいマクロスのライブ表現が花開いたなと僕は思ったのだった。
最後のミッションは全てのファンへの感謝
このラストミッション、MCでいつも言っていた「ワクチンライブに来た」というフレーズが1つもなかったことにお気づきだろうか。
ヴァールシンドロームは関係ない、ケイオスがワルキューレに下した最後のミッションは8年間という時を過ごした僕らに対する感謝を伝えることだったんじゃないかと僕は思う。
お礼を言いたいのは僕らファンなのにね。
ありがとうワルキューレ。
10年経ったフロンティアが新作映像やったんだ。いつかまた元気なワルキューレとΔ小隊が見れると信じてるし、クロスオーバーライブといった機会でまた会えると信じてるので僕は寂しくないです。
またね。
Welcome to Walcure Worldのフレーズが聴けるその日まで。
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