植物とのひとこま('21.8.29)
からりと晴れた、葉月最後の日曜の午后。
あの梅雨のように続いた長雨のせいか、はたまた別の要因があるのかは定かではないが、一向に咲く気配を見せぬクリーピングタイムのつぼみを見る。
つぼみは幾つも用意されていたのだ。
開花を期待させるように、やや膨らみを帯びて白い花びらの片鱗が覗くつぼみも混じっていた。
しかしそれらは雨が降り続いている間に、出鼻をくじかれたまますっかり萎びてしまったのだった。
このクリーピングタイムは白なのだが、インコにも白花は似合うだろうし、とにかく残念なのであった。
残念と言えば枯れた植物たちで、これはずっと続いている「ハダニの乱」に因むものだ。
つぼみの姿さえ見ること無く枯れてしまったものも幾つかあるし、なかには「自生地では氷点下25℃以下になる砂礫地の苛酷な環境を耐え抜く」というものまでやられてしまった程だ。
...たまに、「植物には害はない」という勝手な設定の、謎の火炎放射器をベランダにぶっ放したく思う吾輩なのであるが。
しかし、それでもスミレは元気を取り戻してきた。
スミレは元々タフだが、それでもここでは気は抜けない。
また長雨の間、花の色が滲むように変化して色も薄まっていたペチュニア。
花も若干小さくなり、見るからにしょんぼりとして感じられた。
それが大したもので、陽射しが蘇るにつれ花色も元の鮮やかさを取り戻してきたのだ。
この夏は、太陽の存在の偉大さを垣間見たような気がする。
頂き物の株から種を採り、少し前に蒔いたブッシュバジルがあった。
未だ小さな苗だが、種を採った親株よりやけにしっかりしていて驚く。
これも、復活した陽射しや衰えぬ気温によるものだろうか。
これはハダニ対策に室内管理しているのだが。
そんな小さなバジル苗を眺めていたら、何だか緑色の妖精かなにかのような感じがしてきた。
緑の妖精は、夏の日の陽射しを全身で享受している。
また、サボテンのエスポストア属'幻楽'はそれこそ白い妖精である。
「幻ちゃん」は雨の間てっぺんの毛をペシャンとさせていたが、からりと晴れるようになってまたモコモコ盛り返してきた。
皆が太陽の光を喜び、享受している。
吾輩も植物たちと太陽の光を感じながら、晴れの日ならではの下らない遊びをする。
幻ちゃんを背景にし、指先の光を撮る。
暑い中自転車で坂道を走った疲れのせいか、眠いような怠いような感じが残っていたが、それでも指先の光は太陽の光の方へ伸びていこうとしていた。
正の走光性という言葉を思い出す。
植物も光の方へ枝葉を伸ばすし、仲間だなぁとぼんやりと思う。
ベランダの出入口では、サンキャッチャーが光を受けて輝いていた。
サンキャッチャーは風に揺れるカーテンに当たり、クルクル回りながら外の光を部屋の内側に放射する。
陽の光の届かない玄関までサンキャッチャーの光は射し、虹色の礫を乱舞させていた。
ふと、「レジェンド/光と闇の伝説」という古い映画を思い出した。
ちょっと前、挿し芽したリプサリスもじわりと動き出していた。
そしてまた虫害から復活し、遅いなと心配しながらも楽しみにしていた花が開いたり。
久しぶりの再会。
この清楚で可憐な姿はどうだ。
また完璧にリカバリーしていない感じだし、長雨もありトラブル続きだったが、咲いてくれてありがとう。
枯れたり、元気が無くなったり、蘇ったり、増えたり、減ったり、咲いたりして。
そんな植物と僕はここで暮らしを共にしている。
秋らしくなったら、草花を幾つか...めげずに手に入れたいなぁと、例えばどんなものをとイメージして、近頃は意識が朗らかにゆらゆらしている。
とりあえず、出先で一本99円とお買い得な切りドラセナを購い、葉物花瓶に三本挿したところだ。
クリシュナのお土産に、可愛らしい林檎を一つ。
パコ・デ・ルシアを流しながら、植物の水やりでもしようか。