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自分の世界を広げてくれたのは、たくさんの「好き」だった

平成最後の……だからってわけではありませんが、最近よく考えていることを。

いま、自分はUIデザインを中心に、ロゴのデザインや写真撮影、執筆や学校の講師をやらせて頂いてます。

本当に、自分は恵まれているしとても運がいいなあとつくづく思います。
そして自分の30年ちょっとの人生を振り返ってみると、「好き」に支えられ「好き」で広がっていたんだなあと ぼんやり見えてきたのがわかりました。

ガンダムが「好き」を拡げてくれた

いろんなところで話していますが、やはり自分の人生はガンダムを抜かして語ることはできません。小学校1年生から夢中になったガンダムは、僕の「好き」を拡げてくれました。

1つ目は書かれた物語との出会い。
おそらく人生で最初に買った小説が富野由悠季監督の書いた『逆襲のシャア ベルトーチカ・チルドレン』なんですけど、この作品のおかげで活字に対しての印象がかたちづくられました。それは巡り巡って、のちにインターネット上で文章を書くこと、そして現在の執筆にも繋がっています。

2つ目はインターネット。
僕がインターネットに初めて触れたのは小学校6年生の頃で、当時は∀ガンダムが放送されていました。自分はGUNDAM MASTER WEBというガンダムファンが集まる有名サイトに毎日入り浸り、そこでひとまわりもふたまわりも年が離れている方たちと交流していました。そしてついには自分でガンダムのキャラクターのファンサイトを作るまでに。

このキャラクターとの出会いも、僕の「好き」を拡げてくれる存在でした。そもそもサイトを作ろうなんて思いもしなかっただろうし、もしサイトを作っていなかったらサイト制作の知識やインターネットと深く付き合う、なんてこともなかったと思います。

3つ目は演劇。
僕は高校時代は演劇科に通っていました(演劇部ではなく)。なぜ演劇の道を選んだのか。それはシンプルに言うと「富野由悠季の作品に出たい」からであり、「自分の好きなキャラクターの声優さんの隣に立ちたい」からでした。当時、富野作品は舞台出身の方を声優に採用しており(ブレンパワードや∀ガンダムですね)、自分も舞台を頑張って富野由悠季に声をかけてもらおう、なんて思っていたのです。

4つ目はデザイン。
演劇を学ぶ学科にいたことで、公演のチラシの表紙絵を描く機会や大道具の図面を考える機会に恵まれました。まあチラシ絵はコンペだったので自分は通らなかったし、図面も急遽舞台美術の先生が外れて自分たちで考えなきゃいけなくなった、みたいなシチュエーションだったんですけど。
でもこの時、自分の手で何かを考えるワクワク感を覚えた自分に芽生えたのは「デザイン、面白そうだな」という将来像でした。より詳しく書くと当時の自分は携帯電話にめちゃくちゃハマっていて、どれくらいハマっていたかと言うと新機種の噂を常に追っていたり秋葉原でモックを買っていたり、そうそう自作の着うたを作るために2ちゃんねるに入り浸ったりもしていましたね……とまあ、それくらいハマっていて、携帯電話のデザインがしたい!=プロダクトデザインって領域があるらしいぞ?と気付き、大学はプロダクトデザインを学べる学科に進んだのでした。

5つ目は友人との出会い。
今でも付き合いのある高校の友人と本格的に知り合ったきっかけは、とあるゲームでした。
毎年夏頃におこなわれる合宿で、僕がアラーム音に設定していたとあるゲームのBGMに反応したやつがいて、まさかそのゲームを知ってる人間が身近にいるなんて思いもしなかった自分は相当に驚き、そこから交友関係が深くなっていった…と記憶しています。コミックボンボンやガンダムが好き、という共通項もあり、なんやかんや今も腐れ縁が続いています。
ちなみにそのゲームは僕の好きなキャラクターの声優さんが出演されているから、というだけで買ったゲームでして。つまりガンダムとの出会いがなかったらこの交友関係も今日まで続いていたかどうかわからないんですよね。

6つ目は写真・カメラとの出会い。
詳細は省きますが、高校生の頃、とある理由によって自分は女優の宮崎あおいさんが大好きになりました。
当時「ただ、君を愛してる」という写真を軸にした映画に出演していたり、宮崎あおいさん自身が写真好きということもあり、僕はどっぷり写真およびカメラにハマることに。
まさか「宮崎あおいに興味を持った」だけで10年以上続く趣味になるなんて。ましてや、それが誰かの役に立つ日が来るなんて。思いもしていませんでした。
ちなみに宮崎あおいさんを好きになったきっかけは高校の演劇科にめちゃくちゃ関係しているので、やはりここでもガンダムが好きでなかったら自分は写真に出会わなかっただろうと思います。

7つ目は最初の会社との出会い。
僕、実は就活失敗したんですよね。計画留年までしたのに結局どこにも就かずに大学出ちゃって。一時期はデザインとは関係ない仕事に就ければいいや、と思っていたし実際にそういう行動を取っていました。親類のコネで一般職に就けるかも……というところまで言ったのですが「本当にそれでいいのだろうか」と悩み、最終的には「自分はデザインをする人生でいたい」と強く願い、ごめんなさいをしました。しかし職は見つからない。そんな時にTwitterで見かけたのが、最初に入った会社のアルバイト募集のツイートでした。そこからはなんやかんやあってアルバイトではなく正社員として入社させて頂きまして。この会社に入っていなかったら、あとあとの人生、かなり大きく違っていたんじゃないかと思います。そういった意味で「デザイン」というある種の呪縛がなかったらいまの自分には繋がっていませんでした。

8つ目は本を書くこととの出会い。
そして入社1年後に共著で本を出させて頂くことに。

このお誘いはとても嬉しかった。インターネットでテキストをずっと書いていたし、会社に入ってからはエンジニアさんが誘ってくれた勉強会で発表する機会もあったので、自分で考えて書いたことを世の中に出すことに慣れと憧れがあったのは大きかったです。
執筆は「ガンダム」「インターネット」「デザイン」「会社」がいい感じに結実したターニングポイントでした。


という感じでダラダラと雑に書いてみましたが、そしてまだまだ書き足りないこともありますが、つくづく「好き」が自分を変えてくれていたんだなと実感します。あ、あとタイミングか。ここに書いたどれもが、タイミングと環境が適切でなければ逃したものばかりです。
インターネットは当時メジャーでなかったコンピュータを父親が買っていなければ出会っていなかったし、高校は模試の日に微熱を出したのを母親が「とりあえず行っとけ」と送り出してくれなかったら志望先一覧から見つけることはできなかったし(当時はまだ志望校を決めてなかった)、私立だからお金もかかるんですよね、出してくれた親に感謝です。デザインも舞台美術の先生が続投していたら自分で作る経験はしていなかった。友人とは合宿の部屋が別室だったら気付いてもらえなかった。最初に入った会社も、まだデザイナーの数が少なかったからアルバイト志望の自分でも正社員になれるチャンスがあった。

思うに、自分の人生は「好きでいること」を続けていれば、どこか何かのタイミングでふわっと次の「好きでいること」につながるようになっているんじゃないかと思います。何かを「嫌いでいること」を続ける選択をしていたら、こうはならなかったんじゃないかな。

自分の「好き」を愛して、尊敬して、ときには狂うくらい夢中になれば、いつか何かにつながる。少なくとも自分にとっては。だからこれからも、「好き」でいることを辞めずに生きていこう。

そんなことを思った平成最後の1日でした。

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Ryo Yoshitake | THE GUILD
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