人はなぜペットを飼いたがるのか。
先日友人の犬(名前は”ニボシ”)を2日間だけ預かった。
生まれてから27年間ペットを飼ったことがなく、犬や猫を飼いたがる気持ちを全く理解できなかった。たしかに可愛いけど毎日の世話も大変そうだなと。
しかしこの2日間を通して、人がペットを飼いたがる理由が自分なりに理解できたのでまとめてみる。
関係性が固定的ゆえの安心
ペットは基本的に自分(+家族)とペットとの限られた社会の中で生きている。人間なら社会との関わりを持つことで、その人自身が変化し、その人との関係性も変わっていく。(例:自分の子供が成長して世話をする存在から自立した存在になる、恋人が自分以外の人を好きになってしまう等)
ただペットの場合社会的な繋がりが限定的のため、関係性が変わってしまう心配がない。この固定的な関係性というのは人間にとって安心をもたらす。
ドラマなどで一度は見聞きしたことのある、恋愛でうまくいかない人がペットを飼い「〇〇ちゃんは裏切らないから」という状況は、まさに相手との恋愛関係がうまくいかない(=その人との関係性が不安定でコントロールできない)という経験を通して、固定的で安定の関係をペットに求めているのだと思った。
ポジティブな「ペットに対する自分」を表現
また関係性が固定的という前提の上で、”ペットに対する自分”を安心して表現できることもポイントなのではと思った。
この考え方は平野啓一郎さんの著書「私とは何か」で述べている「※分人主義」という考え方を基にしている。
※「分人主義」
首尾一貫した個人が存在しているという「個人主義」と対比して、関わる相手の数だけ自分が存在しているという考え方。そして相手との関係性の中で自分が生じる・つくられているという考え方。※意訳
ペットを相手にすると赤ちゃん言葉で可愛がる人が多いが、それは”ペットに対する自分”を無防備かつ存分に表現した状態だと思う。
そして分人主義の考え方からすると、ペットに対して愛情表現している際にはポジティブな自分が形成されているはずだから、その自分を思いっきり表現できているということは、その人にとっても間違いなくプラスに働いているだろうと思う。
言語的に一生分かりあえない関係性
ここまで書いてきた固定的な関係性は、安心・安定を得られる一方で「マンネリ・飽き」につながりかねない。ただ、なぜペットの場合飽きがこないかというと、「言語的に一生分かりあえない存在」だからだと思う。
言語化的に分かりあえないからこそ、身体的なコミュニケーションも交えてなんとか相手に気持ちを伝えようとするし、感じ取ろうとする。そしてそれを継続的に行う。
もし猫や犬と言語的な意思疎通ができてしまったら、ペットを飼う人は意外に減ってしまうのではないかと思った。
まとめ
まとめるとこんな感じ。
・ペットとの固定的な関係性が安心につながる
・ポジティブな”ペットに対する自分”を表現することもプラスに働く
・そして言語的に分かりあえないからこそ飽きがこない
そして不覚にも、「今度引っ越すときには犬を飼いたい!」と思ってしまった。理由はもちろん可愛くて癒やされるから。
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