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高校1年生
皆さんこんにちは
Ryoです。
今日は僕の高校時代の話をしようと思います。
僕が高校でハンドボール部を選んだ理由については先日「きっかけ」というタイトルで投稿したので割愛させていただきます。
高校時代の話は以前アメブロにて投稿しましたので、
そちらを再編集した形になります。
正直三年間の出来事なので長いです。
そのため今回は高校1年生編とします。
都立高校に入学、ハンドボール部には迷いもなく入部しました。
しかし、中学時代は卓球部で運動は好きでも長距離走が嫌いでした。
そのため持久力という壁にすぐぶち当たりました。
ジャンプシュートは入部前から出来たので、部内のゲーム形式にはすぐ出させて貰えるようになりましたが、体力がないため途中で交代させられていました。
1年のGW明けに3年生が引退、2年生についていくぞと思っていたら、当時在籍していた2年生(男子2名女子マネ1名)がまさかの一斉退部!!
先輩の片方(Aとします)とは今でもたまに連絡を取るのですが、
A先輩は続けるつもりだったのですが、Bと女子マネが付き合っていました。
その2人が退部するということになり、
レギュラーでもなかった自分が1人先輩として残ることが辛かったとの事でした。
とにかくそんな事情で男子は1年8名、女子2年7名1年2名女子マネ1年1名での再スタートとなりました。
そんな中で僕は男子の主将を任されました。
練習の相手が皆初心者、試合形式では女子相手。
圧倒的に自分達での努力が足りない環境で喧嘩も起き、大会や練習試合では負けばかりが続きました。
そんな中行われた、秋の新人戦。
僕はルーズボールを拾った際に相手の体当たりで右手小指を骨折。
診察の結果骨折箇所に内軟骨腫と言われるものが見つかり手術をしました。全治2ヶ月くらいだったでしょうか。
その間にGKをしていた部員が退部。
完治後当番制でGKをしながら練習試合をこなしていたら、たまたま僕がGKに合っていたのか部員の中で断トツのセーブ率を出してしまいました(当時僕は大崎電気の森淳選手に憧れていてPVをやりたかったのです)。
顧問と話し合った結果、2年生の夏の大会までは僕がGKをやり、その間に新1年生の子を育てろと言われました。
客観的に見れば酷い話ですよね笑
しかも、退部したGKには顧問がよく指導していましたが、何故か僕にはありませんでした。
そのため自分はGKほぼ独学でやってました笑
YouTubeでアンダーソン選手やウォルフ選手、日本では木村選手(大崎)、甲斐選手(元車体)、久保選手(大同)などを見て研究しました。
それなのに嫌々GK続けて、
後輩出来たら教えろって言うんですから。
でも自分にはそれしかないと思ってその話に同意しました。
結果的には、この話が僕にとっていい意味で大きなポイントになりました。
そして春を迎え、
2年生になって新1年生を迎えると
僕達の代の男子は4名に減ってしまいました。
新1年生は男子が10名女子が○○名
(この辺りから女子のことをあまり覚えていない…だから女子チームの子達に嫌われていたのかも…😅)
しかも経験者が2人にバスケ部出身が2人ともう自分にとって新入生男子は後光が見えましたね。
2年生以降の話はまた投稿します!!
写真は高一の秋に初めて日本ハンドボールリーグを観に行った時のものです!
閲覧ありがとうございます
Ryo