「魂がふるえる」展
塩田千春という方の作品の展覧会。最終日に2時間並んで、無事鑑賞できた。
・糸を使った作品が多かった。最初の作品へのアノテーション;意図は絡まりもつれ解けるが、それは人間関係のようにわたしの心をうつしだす … これはよくわからない。
・最初の部屋 赤い糸が張り巡らされている。下から、緩やかに広がる円錐を描いて天井に向かう大量の赤い糸。不在の奥の存在というのが塩田氏のひとつのテーマであり、糸という線状のものを互いに縒れさせながら組み合わせていくことでそれをいつのまにか立体として捉えさせる。という手法であるようだ。その試みは相当うまく行っているように思えた。確かに、2次元的な存在である糸によって3次元的な広がり・奥行きを表す、というのは、テーマを良く表しているように感じられた。
赤い糸は天井にはビスか何かで打ち込まれており、地面では船の形をした骨組みに結えられている。船から上がる血飛沫が空向かうにつれ融合していく情景、という印象を受けた。宇宙を表現しているという黒い糸に比べ、赤い糸はやはり攻撃的に写るからかもしれない。
・豆の殻をつなげて線状にした作品も印象的だった。作者はベルリンへの留学時代、「そこにあるべき秩序」を意識しすぎるあまり紙に一本の直線すらかけなくなってしまったという。だから棒状の豆の殻を拾ってきてつなげ線とすることに安寧を見出すことになる。感性がヴィヴィッド過ぎるだろ。けれどそれだけじゃなくて、書く、描くことに対して真摯過ぎるあまりのプレッシャーということなのかもしれなかった。自分を、何かにそこまでひたむける事ができたことがあったろうか?できるだろうか?答える自信がない。
・皮膚の記憶、というテーマの作品もいくつか見られた。皮膚に染み付いた記憶を落とすことはできないのだということ、服や、壁や窓を第2、第3の皮膚としてみる事ができるのではないかということ。皮膚の記憶に関しては、今の自分ではあまりイメージをえがくことができなかった。自分が自分であるということ、つまり自分と自分以外は決定的に異なっているのだということ、それは見ようによっては悲しいアイデンティティとして捉えることになり得るだろう。それと相対していくことしか我々にはできないのだというメッセージに思えた。またドレスを引き伸ばしているのは、身体の不在と対比させていることを強調するためか?
・黒い糸の部屋は、かえって安心することができた。作者が幼少期に体験した隣家の火事で焼け残ったピアノやピアノ椅子を、この空間に仮定して黒い糸で結えていた。黒い糸は宇宙とのつながりを表している。
作者は当時の体験を振り返って、焼けた後のほうがピアノが鮮烈にピアノだったこと、その匂いが流れてくるたびにちょっとずつ心が沈んでいったこと、などを書かれている。死の予感とでも言うべきものだろうか。別のアノテーションで、死とは何かもっと大きな存在に溶け込んでいくことなのだと思え始めた頃からそれが怖くなくなったとも述べられている。焼け焦げたピアノとそこから紡がれる宇宙への糸は、死というものをゆったりと包むようなイメージを彷彿させた。