地方大学生のぼやき#33「辛かった過去に愛と敬意を込めて」
人生で辛かったことってなんだろなーって何となくこの間考えてた。大抵のことは、まあ一時の不安だったのだろうなってことばかりで、意外とないのかも?と思った。
でも、あれは「辛かった」っていうことを明確に思い出した。中学2年の冬から春にかけて毎月行われた陸上の強化練習合宿。あれは自分の中で「辛かった」と言っていいだろうという過去の一つだと思う。
僕は中学時代、1500mを専門種目にした選手だった。練習会に呼ばれる前の僕の記録は当時、市の大会で4位に入賞、県の大会で決勝15位とかだった気がする。
まあ、悪くはない記録だったと思う。努力をすれば、県の大会の入賞も視野に入れることができる。
県の強化練習会に招集される選手には、ランク付がしてあって、上から強化指定選手、育成選手、推薦選手とかだった気がする。まず強化指定選手が県の大会で1位から4位に該当する選手、育成選手が5位から10位、推薦選手は即ちその枠から漏れた選手のことだ。そして、800m・1500m・3000mの3種目合同で計40名程で練習は行われる。(確か)
推薦選手は、県の中学陸上役員の中で、ある程度の地位を持った先生を陸上部の顧問に持つ場合のみ、その先生から推薦されて参加枠を得られる選手のことである。
僕は、顧問がそれに該当した。つまり推薦選手だ。
顧問の先生からその話を聞いた時、正直な感想として嬉しくなかった。参加選手の中でも、能力値は他の選手と比較して劣るし、そもそも当時の僕は陸上に本気で打ち込んでいた訳ではなかったと今になって思う。
練習もしていたけど、顧問がとても忙しく部活に来ないため練習を真面目におこなっていなかったし、中学生の成長期と夏休みの駅伝の練習で体力を賄っていた部分が非常に大きい。
だから休日を陸上漬けにして、知り合い誰1人いない状況で、練習についていけるかもわからない場所に泊まりで参加することに対して不安と嫌悪しかなかった。要は意識の低い奴だったのです。
陸上を本気で頑張ってる皆さん、本当に申し訳ない。
初めての練習会当日。朝8時に、競技場に到着し、まず参加費の500円の支払いを受付で済まさなければならなかった。受付の列に並び、自分に順番が回ってきた。そこで受付をしていた他校の先生に
「おはようございます!!」
と挨拶されたので、僕も
「おはよう…zいます」みたいな曖昧な挨拶を返した。
そしたらその先生が
「声が小さいです!!もう一回!おはようございます!!」
「おはようございます!」
何とか返した。
帰りたい。
そこからの練習はあまり覚えていない。ただ着いて行くことに必死で。
でも昼休憩の時間に、同じ推薦選手の枠で参加した他校の選手と仲良くなって、慰め合ったことは何となく覚えている。彼とは、高校の時まで大会で会うたび挨拶をする仲だった。彼は元気にしているだろうか。
練習が終わり、宿泊所に向かった。名前は伏せるけど、今でもその宿泊所の名前は覚えている。名前に反してどこがリフレッシュできる場所やねんと思わずツッコミを入れたくなる宿泊施設だった。
部屋に着くと、布団が6枚(左右:3枚ずつ)敷いてあった。6人で一部屋らしく、部屋に入ると先に5名は入室しており、真ん中の布団だけが空いてた。
囲まれるの嫌だなあ。とすぐ思った。
ルームメンバーは、自分以外、名の知れた速い選手ばかりで改めて疎外感を感じた。速い選手は、接する機会も多いことから、部屋は盛り上がっていた。
すると、隣の布団にいた男子に
「何の種目?記録はどれくらいなの?」
と聞かれた。
「1500mです。記録は4分35秒です。全然ですけど〜」
と僕は答えた。きちんと最後に保険をかけた言葉を添えて。
「あ。そうなんだ。ふ〜ん。」
その後、自分も同じような質問をして、会話は終わった。
帰りたい。
当時、スマホなんていう文明の利器を持っていなかった僕は、iPod touchで更新されないLINEとTwitterをただ眺めるながら永遠と音楽を聴く時間を過ごした。誰とも会話しなかった。
夕食とお風呂を済ませた後、各種目毎にミーティングが開かれた。指導員の方が何を話をしていたのかは全く覚えていない。ただ、個人ミーティングみたいなものもあり、目標のタイムとそこに対する意気込みみたいなものを問われ、とにかく自分に嘘をつき、意識高いことを言いまくった気がする。あの指導員は怖かったから、馬鹿正直に答えたらただじゃ済まない。
22時になり、就寝時間。朝6時起床なのだが、部屋の人が目覚ましをかけるだろうと判断し、自分は目覚ましをかけなかった。朝、パッと目を開いたら6時ぴったりだった。誰のめざましで起きたわけではないのだが、おそらく体が起きろ!と警告を鳴らしたのだろう。起きなきゃいけない時間に、目覚ましなしでぴったり起きたのは後にも先にもあの時だけだ。
その後、二日目の練習を終えて、何とか乗り切った。
あの時の合宿の空気感、孤独感、劣等感、冬の寒い風、何もかも鮮明に覚えている。親が迎えに来てくれた時の安堵感も含め。
中学3年生になり、顧問が変わった。前の顧問の先生の他校への転任で。
新しく来た顧問の先生は、陸上の強豪校から来た先生で、陸上に対してはとても厳しい方だった。それから、ほぼ遊戯部と散歩部に化していた陸上部は、やっとこさ練習に励み、普通の陸上部になった。おっそいけど。
おかげで、記録は伸びた。県大会で入賞もできた。
なんぼのもんじゃい。なんぼのもんじゃい!
いや、でも書いていて懐かしいなあと改めて思う。そして、まじでしんどかったなぁ、あの合宿ということも。
泣きそうになる瞬間あるじゃないですか。冷たい血が、体の下に流れていって、冷や汗が止まらない感覚。あれがあの時、何度も繰り返されていたな。まだ色々と未熟だったし。
他人のどうでもいい過去の話。だけど、「辛かった」からこそ忘れたくないじゃないですか。自分はあんな経験をしてたんだなっていう一つの思い出として。
だから書きました。
あの「辛かった」過去に愛と敬意を込めて。では。