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都内社会人男のぼやき#2「辛かった過去に愛と敬意を込めてⅡ」

この短い人生において辛かったことは何か。以前、中学の頃の陸上部の合宿について記事を書いたが、振り返ってみると辛かったことはまだあるなと思い出していた。

今回は、僕が高校三年生の頃のお話。

高校三年生になり、部活動も6月に引退を迎えると、その後は学校全体で受験モード一直線になる。僕も例に漏れず、受験生として残りの学生生活を送っていた。
しかし、僕は受験生として致命的な、圧倒的に成績の悪い学生だった。その癖して、志望校はレベルが高く、模試の判定は毎回E判定だった。その前段階であるセンター試験も望み薄の状態にあった。

当時を振り返ってみると、僕は圧倒的に頭が悪かった。それは、成績が悪いだけでなく、何をどこから勉強して良いのか、どのように勉強をすればいいのか、何が自分の弱みなのか、それらの勉強を進める上で重要となる一切の必要事項が全く以ってわかっていなかったのである。
それらを自分で分析と把握をしないままに、ただ問題集と睨めっこして分からないとすぐに問題を放棄し、分かる問題だけを解いて、それで満足していた。これでは、成績が伸びるはずもない。攻略方法も考えずに、同じミスを延々と繰り返して敵キャラに敗北するゲームをしているようだった。

そんなことを続けて、成績が伸びないまま、時が着々と流れていった。もうそこまでいったら僕の1番の悪い癖。
「今さらどう足掻いても、どうせもうこれ以上成績伸びないし、やーめた」
諦めである。

当時、受験モードは家庭内でも空気として蔓延していた。僕の家庭は姉が現役で、レベルの高い大学に進学した経験もあることから、家庭内では成績が伸びない僕に対する監視の目と、姉との自覚のない比較が向けられていた。
そして、僕が勉強をしていないことを親は見抜いていたのだろう。僕に対する監視の目はより一層強まった。
塾でも僕の成績が伸びないことに、もはや諦めムードが漂っていた。

それ故、僕は心がしんどくなっていることに気づいた。成績が伸びない自分、親からの監視の目、それらの要因が日に日に自分の中で大きくのしかかって来ることに。
「成績が伸びて、レベルの高い大学に合格しないと、家にいる事ができない」
「親を喜ばす事ができない」
そのように考えていた。良くない思考のベクトル。
だから、それに反抗して、塾に行く振りをしてサンマルクカフェでだらだらと時間を過ごし、22時になったら帰るという生活を送っていた。

センター試験は当然以外の言葉が見つからない結果だった。
「やっぱそうだよな」


完全に諦めた。

ただ、当時の僕はプライドが高かった。

ある日、学校の帰り道で偶然会った二人の同級生と帰る瞬間があった。
電車に乗りながら、同級生(A)が「(僕の名前)は、どこの大学に行くの?」と聞いてきた。僕は、志望校をなるべく他人に知られたくなかったので、曖昧な返事をした。すると同級生(B)が「(僕の名前)は、実は頭良くないんだよ。だから地元の私立大学じゃないの?」と言ってきた。

僕はその同級生(B)に対して、こいつよりは絶対にいい大学に行ってやると、成績も悪くセンター試験も大爆死しているくせに、一丁前に腹を立てていた。
だから、浪人して一年頑張って見返してやるとその時に決めた。

けれど、浪人するには親の説得が必要だった。当たり前のことだ。
母は「そこまで言うんだったら、一年とりあえず頑張ってみな?」
と言ってくれた。
しかし、父親はそうはいかなかった。僕が勉強していないことを知っていたから、こいつがもう一年勉強するなんてありえないと考えていた。
父親の考えは、そりゃそうだよなと思う。
勉強を頑張って成績が振るわなかったことと、努力する姿勢も見せずに成績が振るわないは、説得力に天と地の差がある。

それから地獄の日々が始まった。浪人に賛成の母と浪人に反対の父との間で、夫婦喧嘩が起きたのだ。最初は僕がいないところで、喧嘩が発生していた。けれど次第に、夕飯時に僕の目の前で喧嘩が発生するようになった。

僕はただただ苦しかった。そもそもの原因は何より「僕」自身なのだ。
その時になって初めて僕は自分を恥じた。反省した。取り返しのつかないことをしてしまった気持ちになった。
遅いかもしれないが、僕はそれまで甘えていたのだ。きっと最後には父親も浪人に賛成してくれると思っていたのだ。

僕は泣きながら、その喧嘩に入り込んだ。
「本当に頑張るから。本当に。勉強していなかったこと本当に反省している。だから、一年だけチャンスをください」
頭を下げて、お願いをした。自分の中に押し寄せる負の感情を全て払い除けて。

僕は、初めて自分の思いを親に向けて伝えた。父親はそこでようやく納得してくれた。
父親は僕の「言葉」が欲しかったんだと、僕からの本心が聞きたかったのだ。その時に気づいた。

その夜は、眠れなかった。過去の自分ではない自分がそこにいる気がしたからだ。自分が正直な気持ちを父親の前で露わにしたのは初めてかもしれないなと考えていた。

それから、浪人生となり、僕はこれまでの受験勉強の何が原因だったのかを考えることにした。まず、基礎中の基礎がわかっていないこと、そして高校の頃通っていた塾は映像授業をメインに行う方法をとっていたため、分からない時にきちんと基礎から質問できる場所の方が自分に合っていると思った。

それからの浪人生活は楽しかった。僕は、過去の自分を反骨心に変えて1年間ひたすらに勉強した。無事大学にも卒業できた。努力をしたと胸を張って言える1年間を過ごした。

ただ、僕は高校3年生のあの時期に、ただ話を聞いてくれる人が欲しかったんだと今になって思う。
説教するでもなく、慰めてくれるでもなく、僕がいる正確な現在地を把握してくれている大人が一人欲しかったんだと思う。


けれど、あの頃の自分の失敗が反省があったから、現在の思考の自分が育まれているということを、振り返ってみてこればかりは感じずにはいられないのです。



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