都内社会人男のぼやき#1「鬱=大学4年生3月」
こんにちは。私は、大学2年生の冬ごろからnoteの投稿を始めたのですが、この春で大学を卒業しました。4月から無事新社会人として、都内で働いている毎日でございます。
社会人として初の投稿、そんな節目に社会人の話ではなく大学4年生3月の話をしたいと思います。この時期の話をしておかないと、社会人への駒を進める事ができないと自分の中でなんとなく感じたからです。
というか、自分の投稿なんて誰が見ているのか知らないけど。もし偶然読んでくださった方がいれば、ふーん、そういう経緯なんだという風に軽く流してください。
話を戻します。大学4年の3月、つまり現在から約1ヶ月から2ヶ月前と割と直近の話です。
この時期、僕は心の状態が非常に不安定でした。理由は明確です。自分の将来に対する確定事項が何一つ決定していなかったからです。
就職先が決まってない。これが、僕の精神衛生を大きく良くない方向へ導いていたのです。
何故就職活動を行わなかったのか。今振り返ると、いくつかの理由が存在します。
大学時代の僕は限られた人間関係の中で生活を送っていたため、社会と適切な距離を図ることを怠っていました。社会との適切な距離の図り方を誤ると、人は思考の坩堝に嵌り、多くの面での自信喪失が進んで行きます。自信喪失が進んでいくにつれて、自分を否定されることに対して拒絶反応を覚え始めます。それは、社会に参入すること、面接で落選されること、あらゆる就職活動の通過儀礼に果てしない恐怖を覚え始めていくのです。これが第一の理由。
第一の理由に派生して第二の理由に、社会で生きていくためには、自分が社会という場所に身を置いてあらゆる競争に勝っていかないと進んでいく事ができないという事実に、反抗心を感じ始めていたからです。
何もないから自分を大きく見せて、偽りの理想の姿を作り、面接に望む。自己PRに、マイナスな情報を織り交ぜてはいけない、だからそれを補うためにプラスの情報を捻出して嘘の自分を作り出す。
それで相手の何がわかるんだ。俺の何がわかるんだ。
そう思ってました。これに関しては、自分にマイナスを補うほどのプラスの要素が何もないから反抗心を見せていただけなんだと思います。反抗する事で、自分の弱みから目を背けていたんだと思います。
それからこれは、今書きながら気づいた事なんですが、僕の父親は仕事人間です。頭の回転が早く、自己肯定感が高く、自分の正義というものがはっきりしている人間。人間がもっと大切にすべき、「優しさを持ちながら心の深いところで繋がる人間関係」、そんなものとは無縁の男。
そんな姿を幼少の頃から近くで見ていたからこそ、感覚として社会人の大人とは気が合わないと勝手に思い込んでいたのかもしれません。
最後に、これはおまけみたいな理由で、以前の記事でも書きましたが、僕の周囲にいる友人たちは、自分の夢を明確に持ち、その夢を叶えるために覚悟を持って自分の道に進んでいく人間が多いです。僕はその姿に少なくとも憧れの気持ちを抱いていました。だから、自分も同じように目標をもって進む事ができる「何か」が欲しくて、それを必死に探していたんだと思います。
以上の理由から、僕は就職活動をしないまま、大学4年生をだらだらと過ごすことになりました。
当然、周りの大学4年生の友人や知り合いたちは、就職活動を行い、企業からいくつかの内定を貰い、残りの大学生活を桜花していました。
就職活動はしていないくせに、周りの動きには敏感で勝手に焦りを感じていました。だからといって、行動に移す訳ではないのだけれど。
周りから「将来どうすんの?」
そう聞かれると毎回、ヘラヘラして誤魔化していました。僕の心の中の黒いモヤは、その時にまた少しずつ広がっていきました。
気がつけば、2月になっていました。
僕は、日々刻々と迫るタイムリミットを考えることに遂に耐え切る事ができなくなっていました。日々送られてくる父親からのLINE。目を通すと、明らかにそこには「怒り」が内包されていることはアホな僕でもよく分かりました。
それでも、動けなくて2月末。時の流れは、いろいろな物事を洗い流してくれますが、その時は残酷でした。
もう最後のチャンスだ。
そう思い、世界中に存在するあらゆる物質よりも重みのある腰をあげて、ハローワークを除き、現在就職している会社の求人情報を見つけました。
新宿のハローワークに向かい、面接の日時をその場で決めました。そこに行くまでも、何度も吐きそうになりながらなんとか向かいました。
面接の日時が決まっていればもう後戻りすることはできません。
大学4年生3月にして、初めての企業との面接。一次面接はオンラインだったものの緊張で何を話したのか、全く思い出せません。
一次面接をなんとか潜り抜け、二次面接。二次面接は、本社での面接。オンラインとは比にならないくらい緊張して、頭の中が悪い虫に侵されていったのだけ記憶しています。まともに喋る事ができなかった。その面接の帰り道の記憶は一切ない。
それからやっぱ無理なのかもしれないと、さらに塞ぎ込みそうになったある日の昼。電話がかかってきた。企業からの電話でした。内定の連絡でした。
僕は安堵を無意識に覚えていました。それを覚えてしまうほど、未来に対して本当に臆病になっていたのだと思います。
そんな僕でも、現在毎日決められた時間に起床して、職場へ向かっています。なんとかやっています。
大学4年生の3月(詳しくは上旬)、あの頃と比較すれば、今は地面にきちんと足がついた状態で毎日を送ることができている気がします。
そして、地に足ついた状況に身を置いたからこそ、冷静になって自分の将来について思考できるマインドになった気がします
もし僕と同じように社会が怖くて、信じられなくて動き出すことのできない人がいるのならば(いないかもしれないけど)、大丈夫です。断言します。大丈夫です。
それだけ言っておきます。その責任は僕が背負います。
しかし、振り返ってみると本当に自分が情けない。ほんとうに。ほんとうに。ほんとうに。本当に情けない。自分が子供すぎて嫌になる。
けど、あの頃の自分にただ一言言ってあげたい。
よくやった、と。
お前は膝を抱えてるあいつに勝ったんだ。
自分で自分を褒めてあげること覚えたら、それだけでも成長してると僕は強く思うのです。