地方大学生のぼやき#31「好きな歌詞をだらだら紹介するだけ(ミスチル編)」
前回の記事で音楽はメロディー先行で好きになるという話をしたのですが、もちろん音楽において歌詞も僕は重要な要素だと感じています。
ということで今回は、だらだらと好きな曲の歌詞をだらだらと紹介していきたいなと思います(主にミスチル)。
①Mr.Children 「雨のち晴れ」(1994)- 4th Album 「Atomic Heart」
この曲は全編通して、一般サラリーマンの日常を歌っている曲なのですが、淡々と繰り返される毎日に対してどこか悲哀が含まれています。歌の中の主人公は、好きな人に振られ、母親からは結婚の催促をされ、会社では優秀な人材と勘違いされ過酷なしがらみを抱えながら毎日を送っています。
そんなマイナスな事柄を抱えながらも、紹介されている歌詞にたどり着くのです。そして最後、雨は止み、晴れて、そして虹を渡ろうという前向きに物事を捉えて終了します。
なぜこのフレーズが好きなのか。それは、「確かにその通り」だからです。人生20年ちょっとしか生きていないですけど、その中で辛いことやあまり思い出したくないことはたくさんありました。
でも、その過去を乗り越えながら、なんとか今日という1日を生きているじゃないかと。だから、現状で辛いことがあったとしても、まぁ3年後にはまたなんとかして生きているんだろうなとちょっと前向きに捉えられることができます。なんかその気持ちをふっと軽くしてくれる感じが、僕はたまらなく好きですね。まぁなんとかなってるやろ精神というか。
②Mr.Children 「渇いたkiss」(2002) - 10th Album 「It's a wonderful world 」
失恋曲です。歌詞内の男性は、まだ彼女を好きなのに、彼女の瞳に映る僕の顔はもう過去のものになっているという、切なさ満点の曲です。
この曲は曲調も、都会的でアンニュイな雰囲気を感じることができて、雨の日や静かな夜に聴きたい一曲となっています。
現在の彼女の瞳の中には、自分はもう映っていない、どうしたって彼女とはよりを戻すことができない関係の中で、最後の最後につよがりながら放つ彼なりの反抗が上記のフレーズです。
この反抗が、何とも女々しくて弱々しくて良いんですよね。それをケロイドに例えて表現しているのも秀逸。ケロイドとは傷跡が大きく膨れ上がってしまう状態のことを指します。
彼女が自分のことを思い出して、傷みを感じるかどうかも定かではないし、逆に彼女のことを思い出して傷が広がっているのは自分なのに、彼女に対してそのような気持ちを向けてしまう。
未練たらしくて陰湿に見えるかもしれないけど、その方が人間味があって僕は非常に好きです。
③Mr.Children 「Love is Blindness」(1996) - 12th single 「マシンガンをぶっ放せ- Mr.Children Bootleg-」
こちらは恐らく他人に関係を知られてはまずい男女の秘密な関係を歌ったロックナンバー。間奏の叫び声がたまらん。
この曲の歌詞が好きな理由として、「もう絶対に後戻りできない」感じが好きなんですよね。共依存の関係というか。
上記の2番は、人道に背く行為だとしても、現在の僕には君しか必要ないんだという彼女への依存が強く現れている歌詞だと思います。世間的なMr.Childrenの恋愛曲はどうしたって、幸せな2人が登場したり、意中の相手に対する思いが純粋かつ綺麗な表現を持って歌われたりするイメージがあると思いますが(多分)、意外とそんなことないんですよ。
浮気・不倫は絶対にしちゃダメなことは頭の中で分かっている。でも、理性が言うことを聞いてくれない。そしてそれほどまでに彼女のことを愛している。綺麗じゃないけど、そこには何ごとにも変えられない「本物」が潜んでいる。
兎にも角にも、この綺麗事で済まされないこの曲が非常に大好きです。
④Mr.Children 「スロースターター」(2000) - 9th Album 「Q」
イントロのギターがまずかっこいいロックナンバー。
歌詞に登場する男は、夢追い人なんですよね。それで自分の夢を叶えるために、上京したのだと思います。
夢追い人に対して、時に人は嘲笑・冷笑したり、相手の気持ち度外視の的外れなアドバイスを送ったりします。
俺はスロースターターやねん。黙って観とけと。一花咲かせて見返したるから。
そんな野心と程よいひねくれが混じった人に向けた応援歌だと思っています。
Mr.Childrenの応援歌だったら何気に一番好きな曲だったりします。
ほいでこれのライブバージョンのアレンジがかっこいいのよ。
とりあえず今日はここまで。
1990年代後半から2000年代前半の曲中心になっちゃった。
でもこの頃のミスチルの曲が一番好きだから仕方ないね。
ではまた。