思い出し笑いに期待して
想イヲツヅル #58
僕は
歩き続ければ
辿り着けることを知っている
辛いときは
あの日のことを思い出す
ひとつめは
熱が40度出てしまっていた路上ライブの帰り道のこと
最寄りの駅から
お金がなくてタクシーにも乗れず
震えながらギターを背負って
路上用のアンプと
学生時代の仲間が作ってくれた
自分の名前の書かれた路上用の看板を持って
少しずつ少しずつ身体を引きずった
遠くなる意識の中
何度も荷物を持ち直しながら歩いた
なんとなく
誰にも助けてとは言えなかった
結局
いつもなら
10分程度で済む道のりは
2時間近くになってしまったけれど
ちゃんと家まで意識を保つことができた
(※熱を測ったらびっくりしたね)
そして
もうひとつ
友人たちとの
初めての富士登山の時
9合目からの地獄みたいな道のりを登りきれたこと
夜中
家まで迎えに来てくれた友人の車に乗って出発
不眠のまま富士山の麓で
5合目までいけるシャトルバスの始発を待ち
早朝に登山開始
楽しく笑いながら歩く山道は心地よく
幸先は良かったものの
8合目頃には
すっかり口数も減り
地面と睨めっこしながら
1歩2歩と
気だるそうに出てくる自分の爪先に
まだ歩けていることを自覚させられた
9合目からは
まずそこから見える頂上の道のりに怖気付く
絶望にも似た感情に襲われて
″楽になりたい″と
本気でそこからの下山も考えたが
息も絶え絶えに
1メートルを4歩で進み
休憩する
という精一杯を反復した
その時にはもう
自分以外に気を遣える人などいなくなっていて
皆バラバラに頂上を目指し
体力のあるものは先に
そうでないものは足を止めたが
最後には頂上で皆が出会えた
雲の上から見える世界と達成感
その時の感動は
言葉にできないものがあった
(※寝不足登山はもう2度としたくないけれど)
僕はこのふたつの経験からわかったことがある
それは
″やめなければ辿り着けること″
そして
″自分の辛さは誰かと比べられるものではないということ″
たぶん″辛いこと″は
誰かと比べても
視野を広げて
世界を見渡して
″まだまだ自分なんて″と思ったところで
本人が辛いならそれは
″辛いこと″には変わりないのである
誰が何と言おうとそうなのである
それから
幸せなことにも
辛いことにも
終わりがあるということを知った
だからだと思う
辛いときは
その先に待つ幸せを信じることができるし
幸せなときは
その終わりを知っているからこそ
より尊いと
掛け替えのないことなのだと
そう思えるのだと思う
僕らは
苦しみや不自由を感じているときにこそ
幸せに気付き
近づこうと思えるのかも知れない
だけれど時々
厄介なことに
僕はそのことを忘れてしまうのだ
本当にどうしようない
不甲斐ないと思うのだが
幸せを見失ってしまう
幸せを忘れてしまう
例えば今の自分ならば
彼女が側にいてくれる幸せが
君と出逢ってしまった苦しみと喜びが
錆びた釘で心を突き刺すように
この現象を″辛いこと″にしてしまう
幸せと辛いが肩を並べてしまう
だけれど
だけれど
僕は知っている
歩き続ければ
考え続ければ
辿り着けることを
僕は知っている
僕は今日も思い出す
辿り着いた日のことを
思い出す