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歌うことに魅了されたきっかけ。     インタビューブログ Vol.2

みなさん、こんにちは!オヌキ諒プロジェクトのスタッフです! 7月に引き続き、8月も暑い日が続きますね。現在オヌキは夏祭りに呼ばれて精力的に全国を飛び回っています。ぜひ、スケジュールをチェックしてオヌキ諒の生歌を聴きにきてください。また、来てくださる際はぜひ、暑さ対策をお忘れなく。
さて、前回の続きです。前回は音楽を始めたきっかけについてお話ししましたが、今回はなぜ音楽を続けてきたのか、その理由について少し聞いてみました。それではスタート!

スタッフ:前回は楽器を始めたきっかけをお聞きしましたが、
今回はなぜそのまま音楽を続けたのですか?

オヌキ:中学校の時に「ゆとり教室」だったと思うのですが、自分の好きなものを発表する機会があって、僕は音楽を選びました。当時、僕がブルースハープ担当で、友達がドラム、ギター、ピアノを弾けるメンバーでバンドを組んだんです。そのバンドで全校生徒の前で演奏することになったのですが、その演奏が衝撃的に楽しかったんです。

スタッフ:ちなみにその発表ではどんな曲を演奏したんですか?

オヌキ:その時は「G戦場のアリア」やMr.Childrenの曲をブルースハープで演奏しました。それが初めての人前での演奏で、本当に人生で初めて人前で何かを発表する経験だったんです。これまでサッカーしかしてこなかった僕が、人前での演奏を通じて新しい楽しさを発見しました。あの時の興奮は今でも忘れられません。

スタッフ:自分を見失うくらい熱中できたということですね?

オヌキ:そうですね。その体験を通じて、音楽の素晴らしさに気づき、それ以来音楽を続けています。

スタッフ:なるほど。でもその時は演奏者だったわけですよね?
そこから歌い手になろうと思ったきっかけは何ですか?

オヌキ:確かに(笑)。ブルースハープをやっていたことが影響したのかもしれません。ハーモニカは主に主旋律を担当することが多かったので、それが自然と歌につながったのかもしれません。高校時代はベースを一番練習していましたが、やっぱり歌が好きで、バンドのボーカリストになりたかったんです。

スタッフ:では、その後は自然と歌にたどり着いたということですね。

オヌキ:そうですね。中学校のバンド時代に一度、歌おうと思ってボーカルを担当しようとしたんですけど、当時の僕は歌が下手で、バンドのリーダーに却下されました。それが悔しくて、ずっと歌の練習をしていました。

スタッフ:なるほど。その悔しさが逆にボーカルへの
情熱を強くしたんですね。

オヌキ:そうですね。そこからは家で歌の練習をするようになり、ボーカリストへの憧れが芽生えてきました。
スタッフ:演奏もして、ボーカリストに憧れを持った中で、曲を自分で作ろうと思ったきっかけは何ですか?
オヌキ:小学校の時から何かを作るのが好きでした。テレビゲームが好きで、将来はゲームを作る人になりたいと思っていました。音楽を始めた時も、自分の世界を作りたいと思い、それが自然と曲作りにつながったんです。

スタッフ:初めて作った曲を覚えていますか?

オヌキ:初めて作った曲は「日本人は胃腸が弱い」という曲です。中学校の時にハーモニカを吹きながら歌詞を書いたのを覚えています。でも友達に馬鹿にされたんですけど(笑)。

スタッフ:馬鹿にされたんですか?結構斬新な曲だと思いますけど(笑)。

オヌキ:そうですね。当時の僕なりに、日本人の弱さやサラリーマンの大変さを歌にしたんですけど、今でも友達にからかわれます(笑)。

スタッフ:いや、本当に斬新な曲だと思いますよ!

どうですか?今回は前回の楽器を始めたきっかけから、歌い手になったきっかけまでをお聞きしました。「日本人は胃腸が弱い」、ぜひいつかセルフカバーしてほしいですね!
次回は音楽から少し離れて、好きな小説や文学についてオヌキ諒を深掘りしていきたいと思います。乞うご期待です!

NHK紅白歌合戦に出場を目指している、オヌキ諒の応援を引き続き、よろしくお願いします。

今回は最後にこの時期にぴったりの曲「花火おくり」を紹介です。
次回も乞うご期待です。


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