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思うこと:オールジャパン・プロレスリング株式会社(全日本プロレスのこと その4)

 2015年の秋以降、団体としての全日本プロレス(以下「全日」という)や運営会社であったオールジャパン・プロレスリング株式会社、その親会社であった全日本プロレス・イノベーション株式会社は大きな変動の渦に巻き込まれていきます。

 オールジャパン・プロレスリング株式会社と全日本プロレス・イノベーション株式会社の親子関係を解消したほか、オールジャパン・プロレスリング株式会社の取締役でもあった曙選手は取締役を辞任し全日も退団。その後に故馬場元子氏のバックアップを受けて「王道」という団体を旗揚げしますが、曙選手の病気もあって暫くして頓挫します。

 邪推も邪推ですが、オールジャパン・プロレスリング株式会社というか秋山準選手と、株式会社ケーブルテレビ山形というか全日本プロレス・イノベーション株式会社との関係悪化は、秋山派と諏訪魔派の対立だったのかなと。

 そこに赤字経営が続くことでのギャラや運営費用の問題が大きくのしかかったのかなと思っています。秋山準選手にとっては両社の社長ではあったものの、だからこそやり難いと感じる一端でもあったのではないでしょうか。

 秋山派と諏訪魔派というか、秋山準選手は故ジャイアント馬場氏の直属の弟子という立場であり、諏訪魔選手はその当時の全日の救世主的立場であったことから、対立というよりも異なる思想が融和しなかったということなのかと思います。仲が悪いとかっていうことではなくて。お互いに選手としてはリスペクトしているでしょうから。単に全日をこれからどうしていくのかという方向性において、両者間で合意形成が得られなかったのでしょう。

 会社での立場は秋山準選手が上となりますが、こと団体内ではそれがそのまま通らないこともあり、秋山準選手も諏訪魔選手も居心地が悪いと感じてしまっていたのかもしれません。曙選手はそういうのが嫌だったのもあり離脱を決意し、故馬場元子氏の後押しもあって自分の城(=団体)を作ろうとしたのでしょう。

 そのような状況下で秋山準選手が思うようなサポートを株式会ケーブルテレビ山形から得られず、そこで話し合いがもたれ、秋山準選手が頼っていた福田剛紀氏が後ろ盾となってオールジャパン・プロレスリング株式会社が全日の団体運営全てを行うということで、本当の意味で会社(=組織)として独立することになったのではないかと邪推します。

 2016年になり、ここで本当の意味での新しい全日がスタートしたのではないかと振り返ってみると思えてきます。

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