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思うこと:『仮面ライダー響鬼』の主人公って誰?

 『仮面ライダー響鬼』のTVシリーズは2005年に放送開始ということで、今から19年前になります。来年は20周年ですか。時が経つのは早いものです。

 同作が(当時の)他の仮面ライダー作品と異なるのは主人公が仮面ライダーの変身者ではないということです。正確には前期(29話まで)の主人公が、となります。

 前期の主人公は安達明日夢という少年で、仮面ライダー(作品中の呼び名は「鬼」)になるヒビキさん(仮面ライダー響鬼に変身)に憧れて行動を共にするようになりますが、最終的には仮面ライダーにはなりません。安達明日夢自身が(最終的に)その選択をしませんでした。

 一旦は焦りからかヒビキさんに弟子入りするものの、鬼にはならないという決断は最終回で示されます。想定内ですが『仮面ライダー響鬼』というシリーズとしてはいい結末だったとは思います。(まぁ、そこが仮面ライダーの番組なのに主人公だった人が仮面ライダーになることを選ばないなんて、という批判に繋がってしまうわけですが……。)

 当初は早々に弟子にする予定だったそうですが、最初の数話を作ってみて弟子にはしないと方針転換したんだったかなと記憶しています。

 後期(30話以降)はチーフプロデューサーの降板等があり、作風がガラッと変わります。前期はおとぎ話的(寓話的)展開の中に少年(=子供の視聴者)の成長を盛り込んだ内容であり、後期は当時の所謂平成仮面ライダーと言われるノリを重視した内容となりました。どちらがいいとか悪いということではなく、作り方(視聴者への提供の仕方)が異なるものになったという意味です。

 まぁ、放映当時は前期信者(笑)だった私が改めて客観的に冷静に鑑賞すると、意外と後期も前期のテイストを残そうと苦労している配慮が見受けられます。今の私は後期の方が好みだったりします(おいw)。

 で、本題ですが後期の主人公はヒビキさん(仮面ライダー響鬼)になったのかというとそうでもありません。メインキャラではありますが、物語の軸を担うというキャラではなかったと思えます。

 先述のとおり本作の仮面ライダーは「鬼」と呼ばれ、例外はありますが徒弟制度によって鬼になるための修行をすることになります。

 前期は主人公である安達明日夢がヒビキさんの弟子になるのかどうかということが描かれ、それが軸となっていました。

 後期については徒弟制度の面はイブキ(仮面ライダー威吹鬼)と天美あきら、ザンキ(仮面ライダー斬鬼)とトドロキ(仮面ライダー轟鬼)の描写がエモーショナルで印象深くなり、ヒビキさんには桐矢京介という安達明日夢と同級生の少年が弟子入りしてしまうことで、安達明日夢とヒビキさんとの徒弟制度面での軸はかなり薄まってしまいました。群像劇に寄り過ぎた反動とも言えます。

 そもそも敵の組織も薄ぼんやりした得体の知れないものという描写でしかなく、仮面ライダー側も敵の組織を積極的に壊滅させようというものではありませんでした。それもヒビキさん(仮面ライダー響鬼)が主人公ポジに収まれなかった要因だと考えます。

 結論を纏めますと、前期の主人公は安達明日夢、後期は群像劇であり主人公は話によって異なる、です。

 今から思うと後期は桐矢京介を主人公にして(安達明日夢と交代)展開させた方がよかったのかもしれないと考えるようになりました。最終話で前期の主人公(=安達明日夢)と、後期の主人公(=桐矢京介)が、タイトルロール的な面での主人公(=主役)であるヒビキさん(仮面ライダー響鬼)を助けて一緒にラスボスを倒す、なんていう展開がオーソドックスではあるかもしれませんがよかったような気がします。(安達明日夢が鬼になってというのではなく、なんらかのサポートをして、という意味です。)

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