しずかに夏は過ぎて--5/21の日記 #キナリ杯

今年の夏は、蝉すら鳴かないかもしれない。そう思った日だった。

寒さがまた戻ってきたここ数日。
夏が鳴りをひそめた。梅雨入りまでは秒読みだろう。

「にわか」は「急に」という意味だから、涼ニワカとは、ここ数日の天気のことじゃないか、と思った。
だから、「そうか今日の日は、"涼ニワカ"なんだなぁ」とばかなことを思いながら、ぼんやりしていた。

ふと、次々に流れ込んできた日々のニュースを思い出す。インターハイ、全日本吹奏楽コンクール、そして夏の甲子園。東京オリンピックもそうか。

私達の思い描くような"夏"は、夏が来る前に、蜃気楼のように消えてしまった。

4月や5月でさえ、ずっと家にいたら季節感なく通り過ぎたから驚いた。この春は今まで生きてきた中で一番みじかい春だった。でも儚さはなかった。あっけらかんと桜は散っていた。

そんな桜ももう緑が深くなり、木々も隆々と息づいていく。そうどこかで信じながら、蝉のなく7月を想像できない私がいる。

人混みの感覚とか、満員電車とか、そんなものを一切シャットアウトしていたら、うるささの象徴みたいな蝉がいる光景が信じられなくなってしまった。

そもそも夏は、うるさいものだと思っている。
出身が吹奏楽部だから余計に。

廊下、校庭、帰り道、色んなところできこえる、「音楽室の騒々しさ」は、皆さんも想像がつくかもしれない。

じんわり汗が背中のシャツに滲んで、うっとうしいセミと、ブラスバンドの音。思えば祭囃子も花火もやっぱりうるさい。でもセミが一番うるさい。

以前は、「暑いのに、セミがまたうるさくて…」って思っていた。
それがどうだろう、「暑いのに、セミも鳴かないなら夏じゃないよ」と思うようになってしまった。

喧騒の夏を、恋しいと思ってしまったんだな。


だって私は、言ってなかったけど、高校三年生だからなぁ。

ほぼすべての高校生は、もう既にひとつの"夏を終えた"。

青い春ならぬ、青い夏の喪失。こんなことが起こるなんて思いもしなかったと私も周りの大人も言う。

これほどまでに、静かに幕切れるのか。無機質な書面での「引退宣告」のかなしみすら、分かち合う友達はそばにいない。

涙さえ出てこない、信じられないから。
もし今年の夏も蝉が鳴くなら、私は、その時やっと泣いてしまうかもしれない。鳴かないなんてことは、さすがに、ないだろうけど。

夏について思いを馳せすぎた。
かせきさいだぁの「じゃっ夏なんで」を聴いた。夏真っ盛りの曲をこの天気のとき聴いてもなぁと思いながら聴いた。去年の8月に聴いたのとはまた違うエモーショナルだった。

さっきも書いたけど、この曲は夏真っ盛り、もっといえば夏そのものだ。
私の生きているこの世界と、この曲が二重映しになる。私が見つめている、やがて訪れる沈黙の夏と、遠くでゆらゆらとゆれる青くうるさい夏。それはちょうどラムネの瓶を覗くようだった。

ここまで読んでくれたあなたには、是非聴いてみて欲しい。

YouTubeには公式のアップロードはないから、できればsportifyやLINE MUSICなどで。

冒頭から私は泣いてしまった。

その理由は、多分聴いてもらえればわかる。

私たちの思い描く夏がそこに詰まっている。

せめてこの曲を、夏の終わりまでに一度、友達と聴くことができたらなあ。

こんなに、事実が"キナリ"なことなんてそうそうない。涼しさがにわかに戻ってきたこのごろ、夏を思った。そんな今日の日記だ。

書き終えた今、私の部屋では静かに時計だけが動いている。

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