おたけのお父さんと山上憶良のハッピーオーラ
「憶良らは今は罷らむ子泣くらむ それその母も吾を待つらむや」
日向坂46の冠番組である「日向坂で会いましょう」、8月10日の放送にて披露された、高本彩花(おたけ)のお父さんのエピソードを聞いて、私はこの歌を思い出した。貧窮問答歌などで知られた万葉期の歌人、山上憶良による有名な歌だ。
憶良に対して当時の貧苦を描いた暗い歌人だというイメージが強く、放送時の私は、上記の歌を寂しいものだと思っていた。子供たちも母も貧困にあいでいるだろう、そんな現実に目を向け、楽しい宴会からはもう寂しく退出しよう、といったような。下級官人の曲がった背中に、色の寂しい、たゆんだ枯れ木を見るような。今考えるといろんな矛盾があるから、読み違いだったなと思う。しかし、このように解釈した私の人生観は当時も今も多分変わらない。
できれば放送を見ていただきたいが、現状振り返って見る方法はないので冒頭のエピソードを代わりに語らせていただく。おたけの5歳の誕生日にレストランを予約していたお父さんは、その日ちょうど所属するフットサルチームの試合があった。「生涯サッカーしたい、Jリーガーになりたい」と言うほどフットサルにも熱いおたけのお父さんは、その試合のあとそのまま仲間と楽しく飲んでしまい、なんと娘の約束を忘れてしまったのだ。大切な誕生日を自分の趣味ですっぽかす父にショックを受け、怒る娘。そのあと一緒に不二家に入る。寂しくbgmが流れてくる。「ハッピーバースデイ」を歌う家族の真ん中で笑っていないおたけ。誕生日ケーキの上に載せられたチョコレートに手書きで「あやかちゃんおめでとう」と書いてあった。
それでもケーキを食べて寝たら大丈夫になった。という話だ。
MCであるオードリー若林が「いいエッセイ聞かせてくれるねえ!」と笑っていたが、ちょうど私もそんな気持ちだった。人生の寂しさや憂い、人のどうしようもなさや哀愁のようなものを見た。
その寂しさとは、忘れることの寂しさなのだと思う。実の娘の一年に一度の大切な日すら、自分の幸せがゆえに忘れてしまうこと。そんな父にショックを受けつつも食べて寝たら娘も怒りを忘れてしまうこと。何か一つの意識を持続させたり、逆にそれに囚われたりもできなかったり。人の諸行無常のようなものをこの話に感じた。
じゃあ、感じたことや固く決めた意志をきれいさっぱり忘れてしまうかといえば、そうとはいえない。現にこの話も、おたけ、おたけのお父さんの両者には決して忘れえぬ話なのだ。日向坂で会いましょうというバラエティ番組で笑って語ったことで、そこには楽しさに満ちた幸せな記憶が一つ刻まれるようにもなったのだ。
憶良は、冒頭の歌を詠んだとき齢70に近かった。「泣く」ような子どもはその時の憶良にはいなかったのだ。楽しい宴会を途中退席する無粋だとも捉えられかねない行為に、「子泣くらむ」という冗談と軽快なリズムで興を添えた歌だと解釈されることが多い。つまり本当は、この歌は明るくて、宴の雰囲気を帯びた楽しい歌なのだ。
人のどうしようもなさ、寂しさ、それを笑って話せるなら、それはどんなに幸せなことだろうと思う。ひらがなけやきの時代を経て確立した日向坂のモットー、「ハッピーオーラ」にも通ずるものを感じるのは気のせいではないだろう。忘却する寂しさを、せめてうたって、せめて話して、せめて書いて記憶を新しく加えていく。そんな歌もいつかは時の流れの中で忘却されていくとしても。
世間を憂しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば(憶良)
時の流れを飛んでいく鳥にはなれず、人としてゆっくり地を踏みしめて生きていく。こんな小さな記事も、たまたま読んでくれたあなたが明日にも忘れてしまうようなものでも、それでも良い、私はハッピーだ。