観光学的視点を交えたインド旅 その4
バラナシ
鉄道は数時間の遅延が当たり前だとか、座席が他の人に占領されてしまうとか色々な話を聞いていたので、飛行機での移動を選択。インドの空港は搭乗券を持っていないと建物にすら入れない仕組みで、逆に空港内は安全が確保されているとも言える。出国の手荷物検査がとにかく厳しく、日本の感覚でPCだけ取り出したら案の定引っかかる。カメラや電気製品を全て出した上で、ほぼ何も入っていないカバンを再検査。セキュリティを高めるという国防的には当然の思考だが、日本にはそれが足りていないか。
数十分の遅延を経て、無事バラナシに到着。市内から距離のある場所に空港があり、ホテルの送迎サービスを使って移動する。元王宮をリノベーションしたというホテルは1泊あたり5万円超というもので、日本でもそうだが、インドでは相当高い。文化財のホテル転用の事例として見ておきたかったので、宿泊してみた。ガンジス川沿いに立地しており、通常は、船からホテルにアクセスできるということだった。しかし、あいにく数日前からガンジス川が氾濫しており、船でのアクセスを提供していなかった。となると陸路での移動しかない。バラナシの中心市街地は幅員2mもない路地で構成されており、20分ほど、迷路のような路地をホテルのスタッフと共に歩いて無事到着(一緒に移動していたイタリア人が不満をこぼしていた)。
バラナシは宗教都市である。ガンジス川に身を清めに来る人達で溢れかえっており、観光客らしき人はほぼ見ない。皆インド人なのである。その中にいると、逆に相当目立つのか、客引きがデリー以上であった。日本語もペラペラに喋る彼らは、自分の店に誘導しようと話しかけてくる。じっくりと街を見たいが、それが許されない。ガンジス川のほとりのベンチで少し人間観察をしようにもそれもできない。自分のペースを掴めない街で、疲労困憊。夜は麻薬が蔓延っているとも聞き、文化財ホテルをゆったりと楽しむことに。
翌日は、朝5時に起きて朝のガンジス川を眺める。まだ人も疎らな中、早くも身を清めに来ているインド人がいて、信仰の深さを知る。朝日とともに人は増えていく。川沿いでゆっくりと時間を楽しもう…と思えばまたもや客引き。流暢な日本語を話す彼は、自分の店でシルク製品を作っているという。ここから5分なので工場を見に来ないか、という誘いである。英語であれば無視もできるが、母国語で話しかけられると無視するのが難しい、というのが分かった。つい顔で反応してしまうのだろう。朝食があるからホテルに戻ると説明しても、じゃあ朝食後の朝9時にホテル前に迎えに行くから、と言われる。9時は早いので10時にしてくれ、と約束をして、朝9時にホテルを出て路地を散策。こうしてなんとか交わすことができた。
バラナシといえば火葬場。ガンジス川に火葬後の灰を流すので、それを見学してインド人の生死感を知る、というのがバラナシの観光の定番になっている。しかし、自分は火葬場を見る気にはなれなかった。路地を歩き続けた。火葬場といえばネパールでパシュパティナートという世界遺産にもなっている場所がある。数年前に訪れたこの地で、見てはいけない現地の生活を見てしまったような気持ちになったこともあり、今回も火葬場の訪問は避けた。観光学的にこういうものを見るという行為をどう位置づけるかは悩ましい。
バラナシはデリー以上に観光地であり、デリー以上に交通が激しい。クラクションが与えるインド人の耳への影響はきっと相当なものだ。デシベルを測ってみても良かったかもしれない。
さらに独立記念日に当たったこともあり、まちなかは人と騒音で溢れていた。が、これがバラナシらしさでバラナシの生活なのだ。
率直な感想を書くならば、過去相当な回数、海外の国、都市を見てきた者として、バラナシは経験のないくらい居心地の悪い街だった、ということである。宗教都市で信仰のために訪れている大多数の人の中に1人余所者がいる居心地の悪さ、そして少しでも休んでいると割としつこい客引きに会ってしまうという心の休まらなさ。こういうのを相性が悪い都市というのだろうか。