忘れたくない大切なこと。
大人になるといろいろなことを忘れてしまいそうになる。見返りを求めない気持ちとか、思いやりとか、無駄だけど最高に楽しい時間とか。
私の職場は、色々なことがギリギリ。みんな忙しく苦しそうに働いているし、椅子取りゲームみたいに自分の陣地を取り合っている。
例えば、お局にいじわるされないように、オフィスの中で真ん中あたりのポジションをキープしたり、責められてもいないのに「自分は悪くないんだ!」と主張したり。精神的にギリギリの人もいる。
でもお給料はもらえて、自分の好きな事ができる。土日祝日が休みで、お休みもとりやすい。
でも一日のほぼ1/3をそんな環境で過ごしていると、心のいくつかの部分がマヒしそうになることに気が付く。例えば…
☆打算なく、相手の力になりたいという気持ち。
( ^ω^)・・・何かしたりされたら貸し借りになって、相手より劣位に立たされるのが今の職場の普通。頭で打算的に考える前に体が動いちゃうの私だけ?
☆みんなが一番楽で心地よく過ごせるにはどうしたらいいかなーと考える気持ち、行動。
( ^ω^)・・・物事の本質よりも誰かの機嫌のために無意味な慣習を繰り返している。そこに正しさや適切さの判断は必要なくて、本当にただ特定の人の機嫌を取るための行為。仕事と関係ないし。その人が特別な人というわけでもない。
例えば、先週私はオフィスに設置されている加湿器を丸洗いし、磨いて中をきれいにして今シーズンの加湿器をつけた。(いつもシーズンオフに使いっぱなしにしてあるので翌シーズン使うときにガビガビになっているらしい…)
それは、隣の席の先輩(無口で普段そっけないけど実は優しい)が風邪気味だったから。のどかぜの時って、空気が乾燥しているのが地味に堪えるし、つらそうにしていたのを気づいて、加湿器をつけた。
みんな、空気乾燥してるな…加湿器必要だな…と思っているけど、丸洗いと中を磨くのが億劫だから誰もやらない。
自分が掃除してつけた加湿器でみんなが潤うのが存しているような気持になるのかもしれない。←お局は割とこっちだと本人が言っていた…。
でも、それをしたら自分も潤うのは間違いないわけで…でも、自分のおかげでみんなが得するのが、許せない!という人がこの社会には一定数いるらしい。
私はどっちでもいいのでみんなが必要そうだな~私も必要だな~と思ったら迷わず掃除でも何でもするし、そういうの思いやりではないんだろうか…見返りを求めたり、損したくないと思ったら何もできないなっと思う。
ちなみに、加湿器をつけてから、風邪の先輩に何か恩着せがましいことは言ったりはしていないけど、その数日後、先輩がホテルのアフターヌーンティのペアチケットをくれた。気まぐれかもしれないけど、なんだかんだ親切や思いやりは自分に返ってくるもんだと思った。:3
学生時代まではそういう波長が合う友達といたから、やってあげたとかでマウントとりあうみたいなことがなかったように思う。
みんなで幸せになるような、みんながうまくいくような世界を願いつつ、自分も幸せになりたいなと思う。
それってきれいごとだろうか?
でも、私はそういう風に人とつながっていきたいなと思うし、みんなが成り立つような社会になったらいいな~と思う。