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全く分からない それでも丁寧に

 何か新しいことを始める時、「分からない」はつきものですよね。

 私の人生におけるこれまでの節目を挙げるならば、保育園、小学校、入院、中学校、高校、大学、就職、通信教育課程入学、うつ病からの復帰といったところでしょうか。現在はフリーとして活動していますが、それ以前の出来事で思い出されるのは、NPO法人に再就職した時のエピソードですね。

理解し合うプロセス

 私とともにスタートを切った彼には、さらに重度の脳性麻痺がありました。そのため、コミュニケーションには「トーキングエイド」と呼ばれる音声機器が不可欠です。
 彼が指で一音一音打ち込むひらがなをじっと待つ。私の待ち時間もさることながら、“話し手”である彼にとってはどんな些細なことでも身体全身を使って打ち込まなければなりません。(あくまで想像にすぎませんが)そのストレスは相当なものでしょう。声を出すことはできるので最初は聞き取りを試みるのですが、全くダメでした。こちらは聞き取れずに困るわけですが、相手は伝わらずに困り果てるわけです。当初は、「違う」や「休む」といった3音程度の単語でさえ聞き取ることができずに悪戦苦闘していましたから、彼はもしかすると私の顔を見るのでさえ嫌だったかもしれません。

 それが、2カ月ほどたった頃からでしょうか。彼の声が少しずつ明瞭に、聞き取りやすく感じるようになっていきました。こうした私の変化はそれまでの期間、同僚として週5日をともに過ごし、根気強くコミュニケーションに付き合ってくれたおかげだと思います。また、私自身も過去の特別支援学校での生活が長く、言語障害がある友人の声をたくさん聴いてきました。ですから1度コツを掴めば(勘を取り戻せば)その後は何の不自由もありませんでした。

教わった学びは今に活きている!

 気付けば、彼との会話にトーキングエイドは不要になっていました。このことは、私以上に彼が1番驚いていました。やがて「お前は家族以上に聞き取れる。でも、独り言まで聞き取るから(オマエへの)愚痴が言えなくて困る(笑)」と言われた時には、正直嬉しかったですね。
 それからというもの、互いの強みを活かしながら社内外の研修を実施したり、プライベートでも一緒に出掛けたりと、日増しに深い関わりをするようになったものです。

 今では互いに離職しましたが、当時彼が教えてくれた「根気強く待つ」という姿勢は、その後、すべてのコミュニケーション場面で役立っています。そんな経験をさせてくれた”同僚”には本当に感謝しています。

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長野 僚
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