「小さな一歩も、立派な一歩だ!」ー筋ジス活動家 とりちゃんと語る【ぼくらの1年とこれからの歩み】
いよいよアラフォーに迫る34歳に足を突っ込んで早1週間あまり。
今年も同い年でアクティブな筋ジス活動家:とりちゃんとともに”バースデーイベントを開催しました!
Supported by Try chance
母体はもちろん【Ryo室空間】ということで…^^
『話したい人も聴きたい人も主役になれる唯一無二のコミュニティとして、みんなの居場所になれるような温かい”場”を創っていきたい』
(前身の講演会時代から2年半)変わらぬそんな想いで続けてきました。
続けることで見えてくるもの、続けるからこそ拾える”声”が必ずあります。
主客一体、みんなの声を聴き続け、今では講演会・座談会・対談形式《2者or3者》、オンライン飲み会と4つのスタイルが生まれました。
いつも新しいことに挑戦させてくれるすべてのメンバーに感謝です。
コミュニティと”場”のちがい
ところで先日、プライベートである方と対談したのですが、ふいに「コミュニティと”場”のちがいってなんだろうね?」という話になりまして。
そこで私たちの中で一致した見解が、コミュニティというのは(ある種)「共通の目的を持った同質の集まり」であり、”場”というのは「集まるためにある空間であり、その時間を共有することで生まれる何かを楽しむ」という性質があるんじゃないかと。
この仮説を導き出した後で、僕は『Ryo室に来てくれている人たちはどんな目的で、何を求めてきてくれているのかな?』と気になって尋ねてみたんですね。すると返ってきた答えは『私には、りょうさんのファンの方々が集まっているように見える』というものでした。
(正直、予期せぬ答えに面食らいながら)『ファンというのは大げさだとしても、皆さんが心から応援してくれていることは間違いない!』と思いました。そして(Ryo室に)何度も何度も来て下さっている人たちは、横のつながりもできて確かにコミュニティになりつつある。
間違いなく、それは喜ばしいこと。
だけど気付いたんです。
いつも自分がこの空間を「場づくり(=創り)」と表現していることに。
それはきっと”新しい人を迎え入れる余白を残しておきたい”という思いがあるからだと思います。
このコミュニティメンバーならきっとニューフェイスも受け入れてくれる。
そんな、仲間への信頼ももちろんあります。
参加してくれたみんなが少しでも、せめてRyo室にいる時間だけでもいいから【困難さ】や【不安】や【悩み】や【嫌なこと】(=障害)を忘れられる、そんな瞬間を創りたい。
”場”というある意味まだまだ不完全な空間で、それぞれの”これまで”を取っ払ってともに楽しみ、新たな出会いを喜ぶ。
それを繰り返すことでコミュニティは自然に成熟し、やがて少しずつ大きくなっていくのかな。そんなふうに感じずにはいられません。
何を伝え、どう発信していくか
ところで、筋ジス活動家:とりちゃんを迎えた今回、僕たちが話した内容は次のとおりです。
◯お互いのこの1年を振り返る!
・去年のイベント、どうだった?
・2人にとっての今の”障害”を語る
◎それぞれの「33歳」を振り返る
…月ごとに活動歴を見ながら、特に印象深いトピックについて、そのアクションに込めた想いや当日の様子などをダイジェストで振り返る。
(※当日は反響の大きかった記事やメディアも大公開!)
◯活動と発信の”連携”について語る!
・今、発信する意味(去年と変わった点など)
・”社会の中の自分”と”自分が見ている世界”はちがう?
・変わらない幸せと、動き続けることで感じる幸せ
・30代のうちに実現したいこと、ある?
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特に発信する意味については、何のために、誰に向けて、どんなメッセージを届けるか、そのために一層「見てもらうための工夫」をするようになったと、とりちゃんは語ります。具体的には配信の時間帯やサムネイル、全編字幕での配信にこだわる、などです。
昨年は”難病YouTuber”と名乗っていた彼ですが、気付けば筋ジス活動家へとマイナーチェンジ!各企業とのタイアップやメディア出演、気になる人の魅力を伝えるインタビュー配信や、難病当事者の交流の場:とりすま座談会の開催など、活動家としての躍進が止まりません。
【遊ぶより、他者貢献が断然楽しい!】と言い切る彼の活動は、公式YouTube「とりすまチャンネル」で!
長野はなぜ書くのか?
僕がTry chance 代表としてイベントを主宰し、講演家として直接声を届けることにこだわる一方、書き続けるのは「とにかく皆さんに元気になってほしい」から。今より少しでも毎日を楽しむ、そんなきっかけやヒントをシェアしたいからです。
講演会だけでもどうしても、伝えきれない想いがあるし、1度に届けられる人数にも限りがあります。とにかく時間に縛られず、言葉を尽くして”本根(ほんね)”を伝えたい。見知らぬ場所の見知らぬ誰かに、知らないうちにパワーチャージしてあげられる可能性に触れた時、僕に書かないという選択肢はなくなりました。
それでも常に心掛けていること。
(本根で書き続ける中で)時に自分の中の醜い感情や「マイナス体験」が出てくることもあります。でも、だからといってその事実から目を背けず、明かしたからにはきちんと真意を伝え(伝わる努力をし)、きちんと掃除機で吸い取る作業を行うこと。
読者の皆さんにスッキリしてこの”場”を去ってもらうためのクリーンアップを忘れないこと。
「どんな時でも最後は明るく前向きに!」というのが、僕の執筆家としての覚悟とこだわりです。
次の1年もたくさんのchanceに恵まれることを願って…!