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障害を忘れられる瞬間

 突然ですが、皆さんは「忘れたい記憶」と「忘れたくない記憶」、どちらの方が多いでしょうか。
 私が現在、記憶があるのは3歳頃からです。つまり、0歳から2歳のことは忘れてしまいました。人間は残念ながら、その時点の自分にとって不要な記憶は、古いものからどんどん忘れていく動物のようです。
 記憶があるとはいっても、保育園での記憶は先生にプールに沈められそうになったことと、(自分だけ歩けないことに対して)神様のバカと言っていたことくらいです。皆さんもそうだと思いますが、今の年齢に近づくほど記憶が鮮明に蘇り、覚えているエピソードの数は段々と増えていきます。私が現在、比較的細かいことまで鮮明に思い出せるのは、大学時代からです。
 また、先の2つの記憶でいえば大学時代は私にとって大切な財産の1つですから「忘れたくない記憶」ですね。もうお気づきかと思いますが、「忘れたい記憶」とは自分にとっての苦しい出来事や恥ずかしいエピソード、反対に「忘れたくない記憶」とは、家族や友人、恩師からの言葉や思い出、自分が輝いていた青春時代のエピソードのことを指します。

 では、「障害」についてはどうでしょう。私は先天性や後天性といった発症時期に限らず、「好き好んで障害者になった人は1人もいない」と思っています。私の場合、自分1人でできる活動はどうしても限られます。意に反して身体に力が入ってしまい、講演がうまくいかなかったり、深夜のヘルパーがいない時になんとかトイレに行き、戻ってきても力尽きてベッドに上がれず、そのまま床で寝ることになったりした時などは、「障害がなくなればいいのに」と思うことも事実です。
 しかし、現実として自身が付き合っている「障害」を完全になくすことはできません。私はもうこのことに関して、一切悲観はしてはいません。それは大学時代の友人が私に色々な世界を教えてくれたからです。彼らが、何事も1人では限界がある私とともに歩み、いつも傍にいてくれたからこそ今があります。
 
 私は彼らとのキャンパスライフによって、誰よりも障害を意識している「自分」に気付き、彼らから「障害を忘れられる瞬間」があることを学びました。
 当然、このような恵まれた経験の方ばかりではないことも理解しているつもりです。それでも声を大にして言いたいのは、私がこの社会で障害者と呼ばれているすべての方々に「障害を忘れられる瞬間」があり、それを保障されるべきだと思っているということです。さらに平たく言い換えれば「嬉しい・楽しいといったプラスの感情が『障害』を上回るひととき」のことです。それは、動きにくさがある私も、見えない人も聞こえない人も、うまく自分の気持ちを伝えることができない人も、難病の人もLGBTの人も関係ありません。
 国籍や性別、境遇や周囲の環境等に限らず、1日の中に例え数分であっても、自分がホッとできる幸せな瞬間が保証されるべきだと、学生生活を経験して強く感じました。この感覚を皆さんと共有したいというのが、本を書くに至った大きな理由の1つです。
 また、「障害」ということばを「コンプレックス」に置き換えれば、(障害の有無にかかわらず)もしかするとすべての皆さんに当てはまるかもしれません。「コンプレックスを忘れられる瞬間」やコミュニティを皆さんが持ち、保証されることを心から願います。今はそれどころではないという方もいらっしゃるかもしれませんが、そのような方にこそ、今すぐにでもホッとできる場所を社会が保証すべきですし、いつかきっとご自分の「障害」を乗り越える瞬間が訪れると私は信じています。「障害を忘れられる瞬間」もまた、障害者だけのものではないのです。

 私も動きにくさはあるものの、意見や考えを出すことには何も「障害」されません。これからも、今の自分ができる発信をしていきたいと思っています。
「障害は個人ではなく社会にある」わけですから、その表記は(漢字でもひらがなでも)どちらでもいいと思うのは、私だけでしょうか。

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長野 僚
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