何者か分からないから、そのことを書いてみた。

実はさっき別媒体にそれなりに長い記事を書き、それなりにやりきった感を感じながら、それなりに、ではなく確実に頭が空っぽになった状態でこの記事を書いている。

おそらく普通のライターさんならこんなことは書かないだろう。

でも、いいのだ。

僕は何者でもないのだから。

そう、僕は何者でもない。

遡ること1日前、己を称して「馬鹿+怪人=馬鹿(怪)人」と言っているくらいに。


僕はとにかく書くことが好きだ。

でも、本当はそれ以上に喋ることが好きだ。

僕は何者なんだろう。

(僕に貼り付いた”障害”が原因かは分からないが)喋りすぎると不随意的に咳き込むという効能が存在するため、フリーとしてのスタートに最初は仕方なく書くことを選んだというようなことを、最近もどこかに書いたような気がする。

聴く人が心配し、ひいては不快な思いにさせてしまうから。

スポーツジムに再び行き始めたのも、一瞬本気でボイストレーニングに通おうと思ったのも、すべては「話す」という仕事に繋げたかったから。

でも、続けていれば運命は巡り、変わる。

卒論が必修ではなかった大学(学科)を選んでもしもの時も卒業できるような逃げ道を作り、その後も「論文を数本書けば大学で教鞭を執れる」「大学院で自身の経験を体系的に学び直し、理論と紐付けて伝えられるようになれば無敵だ」という、ゼミでお世話になった恩師からの言葉を笑顔でスルーしている姑息な男であることに変わりはない。

でも、書くことは日増しに心底好きになった。現在進行中である。

やっぱり、変わらない想いもある。

僕がやりたいのは「同じことを大人でも子どもでも瞬時に分かるように伝えていきたい」

「同じ場所で大人でも子どもでも一緒に楽しめる、そんな空間を創りたい」

だから会社を辞めたのだ。

それに、

「難しい(理論や法律)の説明は、僕よりも1,000万倍優秀な専門家の方々に任せておけばいい」と思っている。

これは本気だ。

申し訳ないが、僕は多くの皆さんのように70歳まで現役バリバリで動けるとは思っていない。今すでに背中と腰がバリバリだからだ。

だったら好きなことをやらせてくれ!


みんなが同じ役割じゃなくてもいいんだよ。

みんなが同じゴールを目指すことを求められたら、未来の赤ちゃんは疲れちゃうよ。若くして子どもの心を失っちゃうよ。

今、教育界は転換期だ。

賛否はあると思うけれど、僕はこの際既存のルールに縛られなくていいと思うよ。色んな角度から活発な議論をしてほしいな。

あなたは何者なんだろう。もし今、そう聞かれたらこう答えるかな。

『でっかいでっかい地球上の唯一無二の一個人だからきっとこの意見もスルーされちゃうのかもしれないけど、僕は明日も書くよ』って。

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それが僕のライフワークだから。

みんなのおかげで書くことが大好きになったから。

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長野 僚
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