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当たり前の優しさ

 私の友人たちは、私が想像する以上に“やり手”な奴らばかりでした。

 我が大東文化大学文学部教育学科は、学内を見渡してもとりわけイベントが多いことで知られていました。大学院生も含め、学科生全体で教育問題について考え、交流を深める『春季・秋季定例会』をはじめ、年に2回行われる『球技大会』や、夏期休暇を使って学生だけで行う一大イベント『大合宿』、小学校で言うところの学芸会の進化系、『教育学科コンサート』など、年間を通してイベントが行われていたのです。
 なぜ、こんなにも学科主催のイベントが多いのかといえば、それは教員志望の学生が多いことが関係しています。本学科では、教職課程を履修すれば幼稚園か小学校、又はその両方の一種免許が取得できます(※その他については大学のホームページを参照)。教職課程の履修は必修ではありませんが、近い将来、これらの行事を任される時が来た時に大学時代の経験を役立てられるように、そして何より「先生」自身が行事を楽しんだ経験を持っているかどうかが、子どもたちを惹きつける企画力に繋がるという思いからです。

 これが、片道2時間の通学を考慮して部活やサークルに入ることを断念した私には、何より有難いことでした。部活やサークルが完全な個人選択なのに対し、学科が母体の「委員会」には、少なくとも1~2名はクラスメイトが属すことになっています。つまり、クラスメイトが各委員会で「ウチのクラスには電動車椅子の奴がいて、この程度の動きだったら自分でできるって言ってるんですけど・・・」と伝えてくれるだけで、私の存在は一気に広まるわけです。
 各学年の位置づけとしては、1年生が先輩のアシスタント、2年生はメイン企画の計画・立案・3年生が委員会全体の統括となっています。そして、(余裕のある)4年生はイベントを徹底的に楽しみ、当日の盛り上げ役に一役買うという暗黙のルールもありました。
 ですから、こうした委員会主催イベントが近づくと、あれはできるか、これはできるかと、クラスメイトからの質問攻めに合うのが、私の慣例です。しかし2年目、そして3年目ともなると、質問の仕方にも少しずつ変化が現れます。参加することが当たり前と言わんばかりに、「オマエも(ドッジボール・バスケットボール・キックベースだけど・・・)もちろん来るだろ?」「もうお前と一緒にできるルールを考えたから来てくれなきゃ困るよ」となるのです。
 キックベースでは彼らお手製の「ピッチングマシーン」を使ってピッチャーも務めました(顔に当ててしまったらバッターがアウトになるルールもあったと思います)。

 そんな容赦ない、いや、垣根のない友人たちのおかげで、私も皆と何ら変わらずたくさんの経験をすることができました。『大合宿』では1年目こそ同級生のサポートでしたが、2年目以降はプログラムごとに多くの後輩が専属サポーターとして付いてくれました。それは決して「気遣いのサポーター制度」などではなく、「りょうにも同じことをさせるため」なのです。したがって放水シャワーも浴びましたし、キャンプファイヤーのクライマックスには上裸になって手動車椅子で山道を駆け下り、4年男子全員で踊りもしました。また、『教育学科コンサート』では突然舞台に担ぎ上げられて皆と大合唱・・・。とにかく色々やりました。
 今になって改めて振り返ってみると、皆がいかにナチュラルだったかが分かります。そこには、気持ちのハードルなんて一切ありませんでした。私がいることを心から当たり前に思い、「コイツも一緒に楽しむにはどうすればよいか」を一緒になって考えた結果です。
 そんな優しさを私は彼らから学びました。互いが互いを思いやることは一見難しいかもしれませんが、私と同様、実は皆さん自身の体験にこそ、そのヒントが隠されているかもしれませんね。

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長野 僚
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