僕は変人類だと思う

3年前、フリーになる前後の時期、僕は自分のことをよく(馬鹿+怪人=)「バ怪人」と呼んで自虐的に笑いを取っていた。

理由はもうすぐフリーランスという名の無職になるし、再就職の予定もない。履歴書には空白が生じる。

そんな状態で「社会人」と名乗ることに罪悪感を感じていたし、鬱状態を脱して3年余り、常に笑いやユーモアを忘れちゃぁいけないと肝に銘じていたことも大きい。

『バ怪人ってなんだよ~。でも、確かにな・・・!』

そんなふうに自分の発した一言で同僚が笑ってくれる。それがとにかく嬉しかったし、何より自虐することに罪はない。


ところが、である。

僕はある日突然、この言葉を使うことをやめた。

猛烈に怒られたからである。


『お前はちゃんと社会に出てるし(社会と関わってるし)、色んなところで活躍してる!そんな言葉を使うのは今すぐやめろ!!』と。

続けてこんなことも言われた。

『オレはお前を認めてるのにそんな言葉を使うのは、オレに対して失礼じゃないか?自分に対する自信のなさの表れだろ!?』

そして最後にもう一丁、次使ったらオレは怒るからな、と念を押された。

この日以来、僕は”あの言葉”を使っていない。

忘れかけていた叱ってくれる存在の尊さが、身に沁みた。


でもやっぱり、僕は僕を変人類だと思う。

今度は無理して笑いを取ろうとか、自分を卑下してみんなを元気にしようとか、そんな打算は一切無しで。

(真面目に書けば書くほどまた、怒られるのかな・・・?)

でもさ、お金になる仕事はほとんどないし、これだけ自粛要請が続く中でこれほど心が満たされてる奴って変じゃない?

ブログを1日2本書くお供を好きな音楽にすればいいのに、過去の比較的うまくいった自身の講義音源にしちゃうってやっぱり変じゃね?

それを今日から1人立ちした新米ヘルパーの自習教材として兼ねちゃうって、この男どうかしてるぜ!?

『百言は一聞にしかず』


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この怪獣の進化、自分でも恐ろしいよ・・・(笑)


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長野 僚
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