④自分の育てなおし
私は勉強が好きだった。それに気づいたのは大人になってから。
中学時代は周りに合わせることに必死すぎて、自分がどう感じているのか、何が好きなのか、どんな風に生きていきたいのか、なんて考える余裕が全然なかった。
あの頃、周りのいろんなことに惑わされずにもっと好きなように勉強してたら、全然違う人生やったかも。と思ったことは何度もある。戻ってやり直したいとは思わないけど。
高校は自分の希望はまったくなく、ただそのまま入れる学校。とにかくお金が欲しい!そう思っていた私は中学校の卒業式が終わってその足でバイト探しに行った。
「自由になるお金が欲しい」
「欲しいものを買いたい」
「お金が欲しい~~!!」
欲望を抑圧されて育った反動がすごく大きかったのだと思う。
働いた分だけ自由なお金が手に入る、その年齢になったことが嬉しかった。
高校生活では差別も特になく、人間関係で苦労することもなかった。平穏無事な3年間。途中で家族ばらばらに暮らすことにはなったけど、むしろ解放されて生きやすくなった。
家では「勉強しなさい」と言われたことがない。
家族がぶっ飛びすぎていて、参考にできることがなく、敷かれたレールもなくて、どうやって生きていっていいのかよくわからず、わからないまま高校を卒業してしまった。なんにも決まらないまま。
高校を卒業してしばらく経ったころ、だれにもなんの管理もされていないことに気が付き、とてもびっくりしたことをよく覚えている。。
学校っていう管理が行き届きすぎた世界に。
おかしなことをおかしいと言いなさい
自分の頭で考えなさい
自分のしたことに責任を持ちなさい。
そんなことを言われながら育った私は、学校教育というものに、猛烈に違和感を感じていたんだということもこの頃に自覚したように思う。
管理社会からの解放。育った家庭からの解放。
家で社会的な常識を身につけないまま大人になってしまった私は、何度も何度も一般社会でカルチャーショックを受けた。
変わり者過ぎた親が嫌で、普通のふりをして生きていたけど、無理がある。よくわかっていないことをわかっている風には行動できない。
世間体を気にするという感覚がわからない。
解放された反動で自由になりすぎた私は、またもやどうしたらいいのかわからなくなり、ふわふわと飛ぶように生きていた。
そこからが、自分の育てなおしだったのだと、今は思う。
育った家庭から、そして学校から解放され社会人に人はなる。
大人に育てられ、様々な常識や知識を刷り込まれ大人になった私たちは、そこから自分を育てなおす必要があるのだということが、最近やっとわかってきた。
親に教えられてきたこと。学校に教えられてきたこと。社会に教えられてきたこと。
そんなことたちは、自分の中で生まれたものなのか、外から刷り込まれたものなのか見わけがつかないまま、身に沁みこんでいる。それは無意識の領域にまで及ぶ。
それをひとつひとつ自分の責任で、要るものなのか、要らないものなのかを選別しながら自分という人間を育てていく。
好きか、嫌いか。
やりたいか、やりたくないか。
心がわくわくするか、しないか。
今、まさにデモクラティックスクールで子ども達が実践している「自分を生きる」ということを、私は大人になってから始めたのだ。
どんな親に育てられたとしても、大人になってから自分の育てなおしがうまくいかないと、生きづらくなってしまうんじゃないだろうか。
「育てなおし」というのは、社会でうまく生きるためのすべではない。
自分は何が好きなのか。何を大切にして生きていきたいのか。何をしている時が幸せなのか。
人からもらった知識や常識ではない自分を知り、自分に正直に生きていけるのか、ということが人生において一番大切なことなんじゃないだろうか。
たくさんの人たちが、自分の心に正直に生きるようになったら、世界はもっと面白くなると思う。