我が青春の漫画喫茶
思えば漫画喫茶というものも見かけなくなりました。師匠も書いてたけど、昔は漫画喫茶がやたらあった。
昔の沖縄における漫画喫茶というのはいわゆる“ゲーム喫茶”も兼ねているものが多くて、テーブルは花札かポーカーのゲーム機で、100円玉で一ゲーム出来て、勝てば一ベットにつき一ポイント。そのポイントを現金と等価交換できるという、まさにゲーム賭博が堂々と行われてて、その横で中学生の俺は漫画を読み漁っていたわけであります。
とはいえ、そういう店も定期的にガサ入れを喰らい営業停止の憂き目にあったりするので、その間に別の漫画喫茶に行く必要もあって、ホームの場所以外に幾つか漫画喫茶をキープしてたりしたものです。
そして、そういう店がまたゲーム喫茶も兼ねてるもんだから深夜早朝までやってたりして、大人になって酒を飲んで朝方さすがに飲む店が無くなった時など早朝の漫画喫茶に行き生ビールなんか〆にグビグビ飲んだりしてたことを思い出しました。
床屋や食堂にもやたら漫画がありましたけど、何故か歯医者にも漫画があるところが多かったように記憶しています。小学校高学年になると一人で歯医者に通いに行かされたんですけど、待合室になぜか「1.2の三四郎」が何故か大量にストックされていたため、全く苦にならず、逆に読み終える前に歯の治療が終わり、「来年もまた虫歯になって治療しに来て読破してやる!」と馬鹿な誓いを立てたりしたものです。
まぁ、そうやって身近に漫画が溢れていたし、青年漫画を読むことで大人の世界を垣間見ることが出来たことが、俺という人格を作る上で多大な影響を与えていたわけで、同級生が読まないような古い漫画なんか読み漁ったりしたことが、歳上の人たちとコミュニケーションする上で大いに役立ったことは本当にありがたかった。
大げさな言い方をすれば漫画喫茶は図書館であり、古い漫画をアーカイブしてくれる場所だったんです。
ところが二十一世紀になった辺りから新刊の漫画に押されて古い漫画をストックする店がどんどん減っていってしまった。分かりやすい話、「ビーバップハイスクール」や「じゃりン子チエ」置かない漫画喫茶が増えてきた。その辺はもうお客さんのニーズがない、と切り捨てるようになったわけです。
寂しい時代になったもんだ、と感じる一方で、こうした一部の需要しか満たさない作品は個人で所蔵するしかないと痛感しました。そして時代は進み、漫画がデジタルで読めたり違法に転載されたり、実店舗で行かなくても良い時代になるや否や漫画喫茶そのものが姿を消していったわけです。
古くは貸本という時代があり、それが廃れ漫画喫茶が生まれましたが、その漫画喫茶も宿泊施設代わりになったりとその役目を変えつつあります。時代の変化についていけないのは老年の始まりとは言いますが、漫画喫茶で青春を過ごし、学校をサボって漫画喫茶に入り浸り、くだらない知識をストックし続けて来た身としては、今は読めない昔の漫画を保存してくれる場所があることを切望します。
そういう意味でKindleなどのデジタル書籍サービスは実にありがたくて、しかも時折とんでもない値段で昔の漫画のセールをしたりするので、嬉しい反面「漫画の価値そのものを下げる行為ではないか?」と疑問に思ったりします。
とはいえ、ジョージ秋山の「銭ゲバ」が99円で買えるのが嬉しくてついつい買ってしまい、それをスクショしてトレースする、などというさらに価値を落とすような遊びをする不届き者なんですが。しかし、やってみるとトレース、って作業が今はアプリで簡単に出来て、昔窓ガラス使ってトレースしてた頃と手軽さが月とスッポン。これはトレースのみで漫画作っちゃう作家も出てくるわけだよ、なんてことを実感する今日この頃です。
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