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薄黄木犀

月毎に手入れに伺っている游仙菴には毎年、金木犀に数日先がけて薄黄木犀が咲く。薄い黄色の木犀でウスギモクセイ。

はじめ施主の美奈子さんからは銀木犀だと聞いていて、花の咲かないうちは金も銀もわからないままに秋がきて、そうして咲いてみれば、香りも花色も少し様相が違う。調べてみてはじめて、それが薄黄木犀だとわかった。金木犀と比べて香りが柔らかくて品があり、中々見られないこともあって気高い感じがする。

花は一週間保てば良い方で、本当に良い時は数日である。昨年の花時にはどれだけ花が保つかを知らずに、一回目の採集で懇意の店に配ってから、数日置いて二回目の採集で、六本松でシロップの製造所を構えている「凪ぐ」さんに手渡す筈が、もう一輪も咲いていなかった。

そうして今年も、様子を見に行ったときにはすでに満開で、お隣さんによれば三日前に咲いたという。一回目の採集で懇意の店々に届けて、またそこで偶然出会ったひとにも花屋のように振舞って、翌日二回目の採集で昨年来の念願であった"凪ぐ"さんと、それから急な連絡にも関わらず時間をつくってくれた「菓子 瑞」さんにそれぞれ花を手渡すことができた。が、菓子瑞さんと枝から花を捥ぎながら、飲用食用にはもう少し早い花、もしくは蕾のうちから採集したほうがよいということを、花のしおれ方に気付くことにもなった。

それでもこの二日間で様々なひとに届けられたことの感慨で、今日一日は夢見心地だった。かねてからこういうことがしたかったのだとあらためて思い出していた。つまり、自分は庭師をしたいのでは必ずしもなく、通常は庭師ということにしておいて、時に花屋にも農家にもなるような季節性の生業。花のいきおいに乗じて、自身も花やぐような在り方である。

ところで、庭は依然として観賞するためにあるものだとする向きが多い。しかし庭でも、飲用食用に使えるものは、観賞用とされるものと変わりなく育てることができる。花より団子なのでもなくて、花も団子も庭の愉しみである。そのことがこの二日間で少しは伝わったのではないか。あるいは凪ぐさんのつくるシロップや菓子瑞さんのつくるお菓子によって、これからもっと伝わってゆくのではないだろうか。

凪ぐさんとも菓子瑞さんとも、来年は游仙菴で実際に薄黄木犀を見ましょうという話をした。せっかくならもっと集って、来年は束の間の花見と興じたい。

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