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What time is it?
「大学生は人生の夏休みなんだよ」
みなさん一度はこの言葉を耳にしたことがあるのではないでしょうか?
『夏休み』
このワードに翻弄され、この大学生活を送ってきてしまっていたことに大学3年生の1月になって後悔しています。
これから大学生になる方、今の大学生活にイマイチ満足いかない方には是非とも心に留めておいてほしい私なりに考えた『夏休み』について書かせてもらいます。
『夏休み』といえば大半の人は明るく陽気な映像が頭に浮かぶのではないでしょうか
海、太陽、砂浜、青空、サングラス、水着、スイカ...(全て海辺に収まってしまった笑)
夏って弾けてますよねえ
では夏休みっていったいなんでできたんだっけ?『夏休み』の本質的な定義までさかのぼってみます。
『夏休み』
夏休みは学生が暑い気温の冷房設備のない悪環境から逃れ、心身ともに休養するというのが目的である。しかし、その目的の反面、朝起きるのが遅くなり夜更かしをするなど生活が不規則になったり、行動範囲が広がり、気分が高揚して悪さをする。
うん、たしかに今まで自分が過ごしてきた『夏休み』を振り返っても当てはまる節が...
これを元に考えると
「大学生は人生(=一時的にくる外部の悪環境)の夏休み(=心身の休養)」
ということになるでしょう。
大学生までにあった過酷に強いられる勉強競争からのがれ、自分が講義を取捨選択し多分に心身の休養をする。これは社会人をという新たな競争生活を始める上で最高の期間でありましょう。
しかし、自己管理が損なわれて時間を浪費したり、成人することも相まってどんな行動にも規制がなくなっていき、他人を傷つける行為にも見境がつかなくといったところでしょうか。
要約してしまうと
「これまでは受験戦争や学校の規制で大変だったし、これからの社会は大変で疲れるから今のうちに遊んでおけ」
という意味でしょう。
言ってることはわからなくない気がする。
しかし、これは人生が悪環境下にあることを前提としています。そんなネガティブな気持ちで我々若者は社会に出ていかなければならないのでしょうか?
人生は一時的ではありません。一回きりです。
悪環境ではなく良環境として考えるには『夏休み』を再定義してみる必要があるみたいです。
『夏休み』
これによって与えられた本質を考え直すと、ひとえにこれは
『自由』
という状態ということでしょう。
『夏休み』=『自由』『自由』=なんでもオッケー
この考えが、夏休みの悪い面を生み出す原因であり、こんなふうに考えて大学生活を過ごせと言ってるように聞こえるのが冒頭の一文であるのではないでしょうか?
『自由』=なんでもオッケー
というのは私が今の『夏休み』の定義から導き出した公式ですが、この感覚をアップデートしなくてはいけないと思いました。
ということで『自由』の定義も確認してみます。
『自由』
仏教用語で自由の「由」は「よる」「もとづく」という意であるから他に由らず、独立して、自存することを意味しています。つまり、「自らにもとづく」「自らに由る」ことが『自由』。
「自らにもとづく」「自らに由る」
お、これじゃないか
私が求めてた考えかたってここにあるじゃあないか
「大学生は人生の夏休み(自らに由る時間)なんだよ」
そうなんだよ、そこなんだよ。大学生は誰かに制されるわけでもなく、つられるわけでもなく「自らに由る時間」にしなければならないと私は考えます。
今までの学生生活は勉強しなければならないという縛りが受験ベースで作られていました。しかし、大学での学びは自分が選択することができます。
学生生活の外の時間も圧倒的に増え、学内でのクラス制度がないことで周りの空気を感じることもありません。
さあ、自分で選択し自分で進みなさいというのが夏休みによって与えられている状態でもあると思います。
皆さんはどんな『夏休み』を過ごしてきましたか?まだ大学生でない人はどんな『夏休み』を過ごしていく予定ですか?
私の『夏休み』ももう終盤です。皆さんいい『夏休み』をお過ごしください。
「大学生は人生の夏休みなんだよ」