見出し画像

愛とは何か【11月19日】

すごいタイトルを付けてしまいました笑。
最近、愛とは何かを感じる機会がたくさんあって、今日はそれについて今の僕が考えていることを、紡いでおきたいと思います。

これを書こうと思った大きなきっかけの一つは、大切な仲間が書いてくれたひとつのnoteがきっかけでした。

一生懸命に、真っ直ぐに紡いでくれた言葉に自分も心を動かされて、自分も書いてみようとそう思えました。

お時間がある方は是非読んでみてください。きっと日々を大切に生きる誰かの力になると思います。

ということで、愛とは何か。
難しいですね笑。全くわかりません笑。

とはいいつつ、愛されてるなと思う瞬間はたくさんあって、そんな瞬間を思い返すとなんだか共通点があるような気がしてきました。

愛って気持ち悪い

そのひとつは、「愛って気持ち悪い」ってことです。
なんで気持ち悪いかって、誰かから真っ直ぐに想いをぶつけられたり、応援されたり、話を聴いてもらったり、人を紹介してもらったり、そういう"有難い"ことをしてもらった時って、「なんでそんなに自分のためにしてくれるの?」って疑ってしまうからです。

ありがたいって、"有る"ことが"難しい"と書くわけで、そんなことって普通は起きないはずなんです。
僕はまだ何者でもなくて、そんな圧倒的な矢印に対して、返せるものを持ち合わせていないのです。だから何も返すことができない。そうなると、気持ち悪さみたいなものと同時に、相手への疑いを感じてしまいます。

それはきっと、僕たちが資本主義の社会に生きていることが大きな理由だろうと思います。お金を払えば、その対価として何かを手に入れることができる。

言い換えれば僕たちは"交換の世界"で日々を生きている。

だからこそ思うのです。自分がもらったものに見合うほどの返せるものを持ち合わせていない=交換できないそれを差し出す相手の真意とは何か。その真意がわからないから、気持ち悪さを感じるのです。

責任の範囲外

もう少し考えてみると、そういうどでかいプレゼントを親からもらっても、気持ち悪さはそこまで感じないと思います。
有難いことに、大切にされてきた僕自身はおそらくそれが当たり前になってしまっている。だからこそ、気持ち悪さを感じない。これはこれでとっても危険な状況なので、親とは言っても、人と人であり、大きな贈り物をしてくれるひとりの人に、特大の感謝を忘れないようにしたいとは思っています。

何が言いたいのかというと、この気持ち悪さを感じる瞬間の相手は、血縁などの直接的な繋がりを持たない人の方が多いのではないかということです。

言い換えると、僕たちが気持ち悪さを感じる贈り物をくれる人は、"責任の範囲外にいる人"なのではないかということです。

血縁などのそれを贈って当たり前の関係性ではなく、友達や先輩、仕事の同僚など、「不確かな関係性」の中で贈られる贈り物に僕たちは気持ち悪さを感じる。

ではなぜ僕たちはそんな不確かな関係性の中で、その人に何かを贈りたくなるのか。

不確かだからこそ贈りたい

これは僕の考えでしかありませんが、"不確かだからこそ贈りたくなる"のではないでしょうか。

きっと僕たちは、誰かを大切にする時、誰かを大切にすることが、本当はとても難しいことであることを潜在的にはわかっている。

だからどうすればそれだけの想いを相手に届けられるのかを必死に考える。その結果、合理的には語れないくらいに想いを届けたり、応援したりしてしまう。

それだけ、相手に何かを届けること、大切な関係性になることが難しいことを僕たちはわかっている。

だから時に、自分の価値観を変えてですら、相手の意見に寄り添ったり、自分の何かを犠牲にしてまでも、相手を大切にしようとしてしまう。

でもそれは気持ち悪い。相手目線で考えれば、なぜそこまでしてもらえるのかわからないから。その真意がわからないから。疑ってしまうから。

でもだからこそ願うのだろう

人って難しいなって思います笑。
でもだからこそ、諦めずに相手に大切であると伝え続けること、気持ち悪さを感じさせてしまうくらいに想っていると伝え続ける必要があるのだ思います。

もちろん、押し付けはダメです。
自分を犠牲にするのもダメです。
そこはバランスを取らないといけい。

前提として気持ち悪さは、"人と人は違う"というところからきていると思います。
本来であれば"分かり合えない"という前提に立っているからこその感覚だと思います。

それはそうです。言葉にした瞬間に、僕が伝えたいことが100%相手に伝わることは本質的にはあり得ないわけです。哲学でいう"クオリア"的な話です。

でもだからこそ、僕たちは言葉を紡ぐのだと思うし、誠心誠意を言葉に込めて紡ぎ出すのです。

だから本当は届くかどうかはわからない。なんなら、届かないことの方が多いのかもしれない。でも届いてほしいな、そう想える相手だからこそ、願いをいっぱいに込めて、言葉を紡ぐのです。

だから受け取ってもらえることが、"有難い"ことなんだろうと思います。
届いたかもな、そう思わせてくれる相手のことを、僕たちは大切にしていかなくてはいけません。それは当たり前のことではないから。

そして、そんな願いを送ってくれる誰かのことも、もちろん大切にするべきです。自分のいろんなものを"あなた"に向けてくれているのです。
気持ち悪いなって切り捨てたり、斜に構えるんじゃなくて、一旦受け止めること。有難いと伝えること。その上で、相手とどう向き合うのかを考えていくべきだと僕は思います。

愛とは、不確かだからこそ生まれるものである。
そして、合理ではなく非合理である。
最後に、責任の内側からではなく、外側から贈られるものである。

愛ってなんだ

僕は、愛をこんなものだと考えています。

とんでもなく長くなりました。
愛ってなんだろう、愛するってどういうことだろう、これからも考え続けていくために、今の僕の定義をここに残しておきます。

皆さんにとって、愛とは何ですか。
愛を感じる瞬間はいつですか。
誰かに愛を届けられていますか。願えていますか。

いいなと思ったら応援しよう!